2015.05.07 (Thu)
『【【続】「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる者を相手にするとき』
くだんの水島 宏明さんという筆者も述べておられるように、
各方面からの見解を等しく並列させるとか、あるいは、「マスゴミ」と呼ばわる者が毎度主張する「事実のみを淡々と述べておけ」というのが、どれほどナンセンスにして弊害の大きいものか、
仮に、それを実施してみたら、単に「代表取材」権を与えられた一社なり一者のみで済ませることになろうが、それで、はたして誰が良い思いをするのか、その良い思いできる者以外にとっての不利益・弊害、世のなかが どのようになっていくか、
少しでもマトモに考えてみたら分かりそうなものだ。
このへんの「真実」を、なぜ、知らない、理解できないでいる人が多いのだろうか。
水島さん御自身、どう お考えになりますかね?
さてさて、朝日新聞社。
私自身も、さきごろの「誤報」・「従軍慰安婦」問題なかんづく「吉田証言」というものについて、これは、とうの昔に、誰あろう吉田本人が、あれはデマだったと認めたことが知れた段階で、すみやかに対処しておかなかったことが、やがて、あの大バッシングを招いた、言わば朝日新聞社の「自業自得」だった面もあると思っているし、すでに長年、その問題を平気で放置してあったという朝日新聞社の姿勢は、どうにも理解しようがないと、怪訝に思っていた。
と同時に、
朝日新聞を目のカタキとばかり、現政権の歩きたい道にヘコヘコ付き添って、たかだかと提灯持ちを任じている新聞社だということは、少なからぬ人たちによって、とっくに喝破されている産経新聞社、
これも営利企業ならでは商売戦略のうちだろう。
その他の新聞等各社も似たか寄ったか五十歩百歩の間違いを おかしてきているではないかと、このことは池上 彰さんというかたも指摘されている。
つまり、
「汝、罪を犯したことなき者だけが、石を投げよ」
というわけだ。
『「国益に反して何が悪い?」池上彰が朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!』2014.11.16
http://lite-ra.com/2014/11/post-633.html
私自身は、「従軍慰安婦」問題全体のなかで、「吉田証言」自体の問題は、大して重い比重を持っていたものとは見ていない。デマは論外だが、中心問題自体の本質を考えるとき、せいぜい、側面からの補強程度にしかなっていないものを、むしろ、これを利用することによって、全体の問題そのものをウヤムヤに、あわよくば、最終的には、もとから、問題が存在しなかったことにしようとしている、ある種の群れの意志を感じる。彼らは、自身を称して、「愛国心」ゆえと主張するのだろうが、私は、それは真実「愛国心」では ないと思うし、そういう行きかたに価値を感じない。
それこそ、水島氏が指摘する古賀氏の「テロ」的発言による騒ぎを利用して、現政府が、ここぞと圧力を かける契機にせんものという意志と同様の性質を感じるわけだ。
いずれにせよ、古賀氏の、あの発言があろうとなかろうと、近ごろの安倍政権の働きかけゆえにか、メディアが全体、おとなしくなってきているという指摘は あったわけなのだ。
古賀氏の あれら発言がなければ ないで、それは それで、
もちろんのこと現政権にとっては何ら変わらずに、思うさま、メディア各社への働きかけを続けていたはずだ。
そして、その一方で、
一般的な国民大衆は、日々、テレビなどの、目にし、耳に届き易いものから影響を受けることは、
特に自民党あたりが、選挙において、二世政治家と言わず芸人・タレントの類と言わず、とにかく、まずは知名度のある者を押し立て担ぎ上げようとする癖があることにも現れている。
世間の平凡な国民一般は、インターネットを駆使して、様々な情報を多方面から汲み取ろうと、そうできる人々は、まだまだ限られているようだ。
まして、自分の考え方というものが、基本や土台の部分において、基礎教育を終えてのちも、なお、誰かしら有名・著名な人、どこかのエライ人の啓蒙なり干渉なりを意に含んだ発言に左右されずして確立できている人は、大のオトナと言えども希少なのが、世の実態ではないだろうか。
これは、私個人の印象だけれど、
古賀さんは、朝日放送の、あの番組出演前の打合せ段階においても、局側から特段のダメ押し等もなかったのに、とか言っておられたようなのだが、
古賀さんは、出演時、よく、「フリップ」というものを掲げられるらしい。
そういえば、そのフリップ ボードだが、のちに、動画等で、私が見たものは、なかなか立派に作られてあった。
ご自分で作っておいてから、スタジオに持ち込まれたのか、それとも、
番組スタッフのほうで用意してもらったのかな?とチラッと思っていた。
古賀氏がブチまけた政府からの様々に圧迫という告発的発言と、一方の官房長官の菅さんが言ったこととを つき合わせてみるに、
「粛々」とは、すなわち「ゴリ押し」を意味するものでしかない現実に対して、あくまで「粛々としか言ってませんよ?」みたいなバリケードを張る側には、決して くみしたくない私には、
朝日放送番組でと言い、そこで古賀氏による言動がと言い、
一般の国民は、ああいう騒ぎが起きなかったならば、水面下で起きてきていることを知りようもなく、それも紛れもない現実なのですよと言いたいわけ。
ちなみに、
テレビを見ない私は、“IS”いわゆる「イスラム国」で囚われていて、そのまま犠牲になってしまった人たちのことも、その事件が大騒ぎになるまで全然、知らないでいて、
その絡みで、例の“I am not ABE”という、政権批判のフリップを掲げたことが話題になった古賀さんの存在を、ネット記事で知ったわけで、
よくも、あのようにサンザン放置しておいたあげく、人質になってしまっている国民を、国際舞台における政治的に利用したものだと、
やれ、安倍叩きに「便乗した」などと言うが、便乗したのは、国民が人質のまま、なすすべもなく亡くなったあとも、なお、彼らを政治的に利用した安倍氏のほうこそではないのか、という、つよい疑念と深い憤りを感じていた私には、古賀氏の意見のほうが、よっぽど説得力を持って腑に落ちるものだった。
国民の命を、自己目的のために利用する為政者なんど、万死に値するはずだ。
【続く】