2015.05.09 (Sat)
私は近ごろ読んだ記事で、沖縄の人たちの、米軍基地に関する葛藤というものが、ただ憤りのみではないことを知る機会があった。
それは要するに、
米軍基地があったからこそ、たとえば、米兵を父とする男性との出会いがあったので、とか、基地に仕事を得て、生活の糧を得ているので、とかいったことの吐露であった。
まあ、たしかに、米軍基地にて仕事を得ているとか、その他、とにかく、米軍基地がある おかげで、何らかのメリットを得ている人たちのことは、それは それとして、現実的な代替策を考えることだろう。
だから、そのことは、ここでは置いといて、
地元沖縄出身のシンガーである女性が言ってたということも知ったのだが、
たしか、「コッコ」さんとかいう女性シンガーだったかな。
「米軍基地があったからこそ、いまのパートナーと めぐり会ったのだ」とか言ってた。
そういう葛藤の辛さ云々を述べておられたわけだが、
私は、ぴしゃり言ってしまおう。
それを言っちゃあ、おしまいでしょうよと。
おそらく、米兵か、それに近い立場のアメリカ人が、彼女のパートナーである男性の父親なのだろうと思しいが、そんなことは、たまたまに過ぎないでしょう?と。
まあ、何事にも、そこに必然性的なものを持たせて考えてしまう性分の人とか、けっこう多いみたいだし、私自身も、けっして理解できないこともないのだが。
しかし、そういう情緒的な意味での一種の論理を持ち出してくるのなら、すでに起きてしまっていたことは全て何事も、宿命や運命だとして、従容と受け入れるしかないではないか。
もちろん、徹底した受容精神や姿勢とか人生態度というものも、一つの境地としてあり得るとは思う。
これは、私個人の出自の話からだが、
私は、両親の、いわゆる「ダブル不倫」によって、この世に生まれ落ちた。
つまり、親たちの身勝手、若気の至りと言うか
(私の出生届を出すこともサボってたらしい助平親父のほうは、母よりも大幅に年上で、すでに30代半ばにもなっていたのだが)、
軽率な「不倫」行為が なければ、わたしゃあ、この世に存在してなかったわけだ。
だからと言って、当の私自身が、「不倫」行為の お蔭で生まれてこれたからと、大いに「不倫」を世に奨励したいか?というと、それと これとは別(苦笑)。
しかもだね、
その「不倫」を はたらいた当事者バカップルである、うちの親たち自身、世の「不倫」カップルたちに対して、身につまされ、共感等していたか?というと、これが、まるで逆だったの(爆)
じかに見たもんなら、ケシカランとて、目ぇサンカクにして怒ってたもん(爆)爆)
ま、かくのごとく、
人間なんて、トコトンご都合主義で自己ちゅーで自分棚上げなものですわw
そう、さしづめ「平和憲法を、敗戦した日本に押し付けた」くせに??その押し付けてきた(?)側のアメリカが、いまに始まったことでもなく、
いつも自分とこの戦争の都合しだいで、日本に対して、
「おい、その平和憲法は、もういいから、そろそろ、こっちを手伝えよ」
と要求してきたようなもんww
うちの実家の話に戻すと、
実際、そもそもの家系と、親たちのそれぞれ複雑な経緯を背負っていたうえ、家族間の心情も、一筋縄では済まないほど拗れていた家族関係のなかに否応なく巻き込まれた私自身、簡単には言い尽くせない苦労を、内外で経験してきたわけでもあるから、
逆立ちしたって、
「不倫、良いよぉ♪みんなも励みましょうよぉ」
なんて、口が裂けても言いたくはないさ(苦笑)
ただ、ま、人間関係は、リクツで割り切れない情動も絡むのが常だし、
ヒトが拵えておいた「法」とか「倫理」体系、「道徳」だけで成り立てるわけには いかない。
もし、そうできるなら、とうに世のなか、もっとスッキリさっぱりしてて、
およそ「ゲイジュツ」「ブンガク」なんぞ、ネタにも事欠くだろw
はたから見ても、何ら問題なさそうな、ややこしい関係なんか微塵もないはずの家庭でも、悲惨な事例はナンボでも起きるし。
キッカケには多かれ少なかれ、なりやすいかもしれないが、「不倫」だとか家族関係が複雑だとかいうことだけが、家庭問題の全てでも、直結するわけでもない、それが世の現実ですね。
どんな状況・情況も、そこに必然性を感じてしまうのは、人間ならではの知性と心ゆえだろう。
もしも、米軍基地がなかった世界なら、
くだんの女性のパートナーが生まれることはない世界、
したがって、全然別の人と出会っていたであろう世界。
それは それで、全然別の人は、また「掛け替えのない」存在となったのではないだろうか?
なにごとも、これ必然、これしかない宿命、運命なのだと、
あれソレが なかったら、それコレもなかったからと、
そのようなパターンで考えずにいられないのならば、
米軍基地だろうと何だろうと、この世の すべてをキッパリ必然とし、従容と受け入れりゃいい。
そういう境地になれなければ、そりゃあ、「矛盾に引き裂かれる」思いだろう。
そうして、
その引き裂かれる思いも一切合切、すべて引き受けきって、もがくように生きるしかないでしょう。
ほんの一歩違ってたら、それだけで、まったく別の状況・情況が、出会いが あったはず。。。
だから、
それも、それこそが、「一期一会」でないかと。
まあ、かく言いながらも、わたしゃ、ややこしいのはマッピラゴメンナサイなほうの人ですがね(爆)
もう、オナカイッパイなもんでw