2015.05.11 (Mon)
このかたも時々読ませていただいて、参考にしているコラムの書き手の お一人。
『何が不足しているので、貧困な子どもに普通の大人が「おせっかい」できないのか?』
みわよしこ 2015年5月9日
http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20150509-00045555/
~
「生活保護は全然恥ずかしいことじゃないと思いますよ」と話すだけでも、力になるかもしれません。~
いやぁ、でもさ、、、
この筆者みわさんのところに毎度のごとくドドドっと押し寄せてくるヘイト コメントの凄まじさ見てたらねえw
まさに当事者たちにとっては、「力になる」どころの騒ぎじゃないでしょうね(苦笑)
ヘタすると、
かえって、それらのコメント読んじゃった当事者たちのうちの誰かしらを、自殺へと誘導し、追い込みかねないかもよぉ;恐ろしや~
それに、
「朝日新聞」あたりの(朝日新聞に限らないだろうけど)社説を書けるような御仁ともなれば、かなりのエリート意識の持ち主なんじゃない?w
そら、無理ムリww
しょせん、本当には、巷の現実の底のあたりなんて、経験も体験も したことないだろうし、何ごとも通りすがりの通行人程度でしかなく、ほとんど見えてないと思う。まあ、一般的にも そうだろう。
それから。
「格差はあってもいいんです」というよりも、恐らく、なくせませんでしょうね。このことも、私は何年も前から何度も言ってる。
例の「カルト連」のオッサンの一人
(「ブラげろんぬ」の分身腰巾着の一人で、なんつったかな?
たしか、「非どっち」とかタケナカ某とか言ったっけ?)
が付きまとって来たときにも、何かの話の流れのなかで言って聞かせてやったこともあるんだが、哀しいかな、あまり理解できないでいるようすだった(嗤)
で、まあ、
摂理的にも、「格差」ゼロは不可能でしょう。
ただ、
それが行き過ぎると、
と言うことは、すなわち、不自然な域に入ってしまってること、
つまり、人為的であることに他ならないわけだが、
つくりあげられた格差の上辺にいる者たち自身までにも、「自分の首が締まるときが来るよ」と言ってきた。
ここで筆者みわさんも おっしゃってるように、「多様性」「健全性」が問われる問題だろう。
そういえば、
私の親の古い友人で、うちの実家の事情も、私のことも よく知っていて、とても可愛がってくれていた人が、もう すっかり、年を取っているのだけれど、
夫に2度、死に別れ、育てた養女とも疎遠、
やっぱり、九州の片田舎出身で、高い学歴もないからなのか、
若い頃から苦労して働いて働いてだったのに、高齢となったいま、もはや返せない借金を抱えているうえ、あまりに乏しい年金で、むかし、癌を患ったこともあって、医療費が酷く苦しいと言って嘆いてる。
そんな生活でも、ご近所の人が、週に何度も食事に呼んでくれるから、それだけでも、すごく助かってるよと言ってたのに、その人は数ヵ月前に引っ越していかれたそうで、私も、それ聞いて、心細く、残念に思った。
ただでさえ落ちた食欲を、ますます なくしているようで、
この前に訪ねて行ったとき、持参した手土産の食べ物を入れておこうと、冷蔵庫を開けたら、ほとんどカラッポだった。
もっと会いに行ってあげたいのだが、けっこう遠距離、こちらも、お世辞にも余裕があるわけでないゆえ、次に行けるまで、もう少し待っててね、と言いつつ、できるだけ電話してあげることくらいしか できないのが哀しい。
この次に行ったら、もしものときの段取りは どうするつもりなのか、連絡先とか、確認しておかないとと考えている。
~生活保護基準は、過去「健康で文化的な最低限度の生活」を実現していた時期が一度もありません。~
だから、
「健康で文化的な最低限度の生活」とやらいうのを、
「餓死しない程度の生活」に書き替えて変更するしかないんじゃないの?w
そのうちには、病人、障碍者、高齢者適用「安楽死」制度も設けられるのだろうww
なんせ、これが「普通の日本国民」全体からの、政治に対する、社会的要望なのだそうだからww
「普通の日本国民」とは、自民党ネトサポ、ネトウヨ、「日本会議」あたりのメンバーも含まれてるのかな?www
あーあナサケナイ「先進国」があったもんだ(嗤)
ところが どっこい、まだまだ上(下?)が。
そう、日本の宗主国にして筆頭「先進国」にして、
しかも低福祉wなのらしいケッタイな「大国」wアメリカの場合ですが、
もともと「プロテスタンティズムの倫理」だとか資本主義の源流はキリスト教というのだから、根底に、そういう精神の存続があるわけであれば、「共助」「互助」のほうを重く見るのは、むしろ当然なことかとも思える。
さて、うちの実家の兄はですねえ、一応、国立だが駅弁大学の教育学部卒で、教職に就いたのだけども。
理由は、当時の家計が苦しかったから。
私の母親は、父とのあいだに、結局、私しか産まれなかったから、父の先妻の産んだ息子である兄は、わが家唯一の男の子、すなわち、跡取り息子だということで、
兄とは、年齢が大きく離れていて、まだ幼かった末娘の私の目から見ていても、かなり熱心に教育ママを やっていたなあと思う。
授業参観や保護者懇談会のときは、幼児だった私の手を引いて、遠い自宅から、いつも一番乗りしてくるというので、のちに私も通った学校の先生たちのあいだで有名だったそうな。
(ちなみに、
そうしたおり、兄のクラスの教室にトコトコ入って行った私を取り囲み、
「きゃー可愛いー、この子、○○クンとこの妹だってぇ?」
と、女子どもが大騒ぎしてたもんだと、兄が思い出話を したこともあった(笑))
なにしろ、
たまたま二人で外出した あるとき、帰宅途中の道で、何の話からだったか、兄がボソッと、
「おばちゃん(私の母親のこと)に、完全にレールを敷かれたって感じ」
と言ったことがあった。
そう、
ガッコのセンセイ、教職は、弁護士の次に、母自身が なりたかった職業の夢だったのだ。
【続く】