2016.07.20 (Wed)
という現実を知りましょう、
という内容のコメントを、あるサイトに向けて送りかけたのだが、
ネットで、知らない相手にメアドを記入・送信することも厭で、普段から、できるだけ避けているし、他にも思うところあって、けっきょく中止した。
で、こういうときは、自分のブログに載せとく、という定番。(笑)
私は、ニュース記事、なかでも、政治関係の記事は、比較的マメに読むほうですし、沖縄の、特に米軍基地問題のことも、かなり高い関心を持っているほうだと思います。ですが、
「東村高江」という地名を、たぶん、きょう初めて知ったように思いますし(あるいは、記憶に留めていなかったか)、その集落の ごく近辺に、米軍のヘリパッドというものを何ヵ所も設けるということも、初めて知りました。
本土の日本人たちの大多数は、私以上に知らない、かつ、沖縄の米軍基地問題への関心自体が薄いようだと思われます。
これが現実でしょう。
そこで、以前から、個人的に疑問に思ってきたのですが、
一般の国民への訴求力については、どの政権よりも、ずーっと大きい力を持つ大手新聞等が、このような問題を、ほとんど、あるいは全く報道していないという現状だというのであれば、
なぜ、報道しないのかを直接的に糾していく、報道するよう申し入れるといった方法は、そちらの かたがたのほうから なされたことはないのでしょうか?
さて、
日本国内の企業は、じつに100%近くが中・小企業だそうで、零細工場の経営者などは、自分の会社の資金繰りのこと等で頭いっぱいのようですから、よくは知らない沖縄の問題よりも、自分の目の前のカネ、経済の面で、安倍政権には、ほんの少しであろうとも希望を持てると思えるなら、そっちが最優先なのでしょう。
それこそ、国家が軍事優先にすることで、自分たちにも多少のオコボレが回ってくるのなら、それでいい、
これが現実なのです。
私個人は以前から、沖縄は、独立実現を主張してみせるくらいの激しさをもって訴えてみればいいのにとすら感じています。
原発立地域の場合にも、はては市井の一家庭にまでも窺えることですが、
どうでも、とにかく、まずは経済的に自立できない者は、
どれだけの被害者側であっても、理不尽で悔しい思いを呑まなければ ならない仕儀に陥る、
そこから抜け出すには、まさに命懸けとなる。
これが現実ではないでしょうか。
『参院選敗北で安倍政権の沖縄いじめが激化、米空軍機が沖縄市上空で照明弾発射の暴挙! しかし本土マスコミは一切報道せず』2016.07.18
http://lite-ra.com/2016/07/post-2425.html
~
しかも、である。このフレア発射問題を報じたのは地元紙だけで、読売、朝日、毎日、産経の4大紙は扱っていない。沖縄が抱える現実は国全体の問題なのに、メディアがこうした姿勢でいるために、いつまでたっても基地問題は“他人事”になってしまうのだ。~
『わずか9時間の歓喜~高江工事再開・民意圧殺の朝~』
2016年7月13日
http://www.magazine9.jp/article/mikami/29325/
〈今回の選挙で沖縄を圧迫する自民党政権を圧勝させた人たちは、これから高江で起きることについて目をそらしてはならない。自分の一票が支える権力がどこかで暴走していないか監視する義務があるはずだ〉
「目を逸らしては ならない」
「暴走していないか監視する」
わけないでしょうが。
なにノンキなこと言ってるんだろ(苦笑)
そんな心がけ持ってるくらいなら、
そもそも、自民党を支持なんか しませんがな、私が そうであるようにね。
「自民党政権を圧勝させた人たち」に対して、いまだ、そんな期待を持てるというのが、私に言わせりゃ、すんごくオメデタイ。
「これから起きること」が、どこで、どのようなことかも、ろくに知らないでしょうよ。
それどころか、
自民党・安倍政権支持者は、「暴走」していないかなんて、これっぽっちも思ってないよ。
安倍政権は正しい、もっと強引に行けー!!
と、日々、喚いてはりますわw
知らないの?
しかし まあ、『ゲンダイ』とかでも そうだけど、
『リテラ』さんも、記事冒頭で毎度のように安倍チンの写真をデカデカとアップするの、やめてほしいわあ。まるで宣伝してるみたいだぞw
『ヤフー』個人のブログ筆者のなかにも、先日の選挙前、安倍朕に対する糾弾内容の記事であるにも かかわらず、奇みょうなことに、
野党側の人たちの写真は小さいのに、
なぜか、安倍チンの顔どアップ写真だけを、これでもか!というくらいにフルサイズで、繰り返し登場させていた。
記事に述べてある批判とは裏腹、ほんとうは応援しとるんじゃねーの?
と疑いたくなったわよ。
しかも、投票前だったんだから。。。
私にとっては、ほんとうに、何かと不可解な人が多い世のなか。
2016.07.17 (Sun)
『「天皇退位」について』の続き。
それにしても、↓このエントリーをアップして ほどなく、この話題だから、
これで幾度目かの苦笑を禁じえなかった。
近頃は、ほんとうに、奇怪なことが続いている。
なお、
天皇が退位したら「上皇」になるのか?という疑問が あるけれど、
それは ないだろうと思う。いかにも時代錯誤な感じもするし、
退位は退位、それだけのことで、皇族の お一人という立場に戻られるということだと、私は解している。
でも、おかしな現象になりかねないとも思う。
だって、「天皇」というのは、日本で最高の位なのだというからには、
今上が退位されたら、そのあと即位した「天皇」に、絶対的忠誠を誓って へりくだるような立場になるわけ?父親でもある今上天皇が?
なんかヘンな感じは否めないね。
もちろん、退位の場合でも、では「元号」は どうするのか?という疑問は あって当然だが、
まあ、退位後の「もと天皇」が存命の限りは、従来の元号で通す、となるのか、
「一世一元法」というのを、あくまでも、その「天皇」在位のうちに限る、というのであれば、元号は変えるのがスジだろう。
思い出すのは、
安倍政権が返り咲いて、ほどなく、「主権回復」と称したイベントを盛大に行い、取り残された沖縄の人々の怒りの声を完全に無視して、会場に、安倍朕らの「天皇陛下バンザーイ」の大声が響き渡った場面。
そのとき、天皇ご夫妻は、予定どおりに去りかけた歩みを止め、しばし、立ち尽くしておられたが、お二方とも、明らかな感情を浮かべられることは勿論なく、
その場面を、パソコンのモニター越しに見た私の目には、
まるで酔っ払いたちが集団で、言いたいことを叫んでいる あられもない狂態を、「いつものことだ、やれやれ」と静かに受け止めておられるかのような面持ちに見えた。
しかし、
天皇さんたちは、そのような狂態を晒して恥じない者どもの動きを、ご内心では喜んでおられるのだよ、という意見も ある。
もちろん、それは、「ウヨ」ら一流の見立てであろう。
ただの一国民に過ぎない私には分からないし、知る由も ない。
それだけに、
参院選直後であり、「安倍政権安泰」との お墨付きを得たかのごとくに、あれよあれよと「改憲」論議が前面に押し出されてきた感のある今、
なぜに、「退位」しかも、「憲法上」云々という話が持ち出されているのか、
国民として、正直なところ、不審な感は拭いがたいものが ある。
最後に一応ことわっておくが、
私個人は、敗戦後の急ごしらえが剥き出しのような「象徴」「天皇制」が孕む甚だしい矛盾について、いいかげん、これ以上、目を逸らすわけには いかないと考えている。
だが、同時に、
いまの天皇さんを始め、天皇家の かたがたに対して、人としての敬意を持ちこそすれ、貶めるような意向は一切、持っていない。
また同時に、
天皇や、それに連なる一族の かたがたを、やれ「心の支え」だの「日本人としての誇り」の理由になど、したことも感じたこともない。
彼らは彼らの一家だし、私は私だ。
なので、非人間的なまでの御無理は なさらないでいただきたいのだ。
それだけ。
『日本会議』あたりの連中が唆しているのかと、私は睨んでいるが、
主権在民、人権・基本的人権を、国民から奪ってしまえという、
近ごろの自民党・安倍政権や、そのシンパらの主張の裏には、
天皇の人権が、事実上、認められていないから、
ということが あるのだろう。
「天皇」家の存在意義、存在理由とは何なのか?
ということを、あらためて、深く考察しなければ なるまい。
要するに、
現代のような、「天皇家」ならではの活動、「皇室外交」を始め、各国との政治的事情の上に繰り広げる交流というものを取っ払えば、
そこに、何が残るのか残らないのか。
また、
「天皇家」特有の祭祀は、何を置いても最重視しなければならないほどのことなのか。
その祭祀事に、男性であるか女性であるかの別は、本当に、意味のあることなのか。
あるとしたら、どういう意味なのか。
一国民には、知りようもないことだ。
だから私は、『産経』系サイトでの旧ブログにおいても、
そこのところ、今上天皇にしか分からないこと、そのあたりの忌憚のない お考えを、いまのうちに問うておく必要が あると指摘しておいた。
これは、「政治的」にも何も、あくまで「天皇家」としての内々の祭祀事なのだから、あれこれを臆することなく、天皇さんの思いの正直なところを発表されたら よいのにと思う。
「女性天皇」「女系天皇」の可否の問題は、そこを確認してからでないと、話の進めようがないはず。
もちろん、女性の、また女系天皇であっても、実のところは何ら差し障りないのが実態であれば、一国民である私個人としても、「女性天皇」大いに結構じゃないかと思っている。
昭和天皇の お若い頃、ご結婚を討議しているとき、のちの皇太后となられた良子さまとの縁談に、何やらの遺伝が、と横から嘴を入れて、昭和天皇からアッサリと、「良子でよい」と一蹴され、たちまちケチョンケチョンになったという、当時のオエライがいたそうな。
こういう、崇め奉っているようでいて、隙あらば、その存在に、もっと上のほうから偉そうな指図を したがる者も いる。
いつの時代も そうだ。
もちろん、安倍朕は、天皇家でも何でも、立ってるものはコトゴトク、自分のために利用する腹だろう。
そして、
一度は自分を糾弾し、徹底的に辱め、追い落としたマスコミと、そのマスコミに依存している一般国民シモジモを、心底、軽蔑し、憎んでさえいることだろう。
そんな安倍朕が、為政者として、庶民・国民のためを思っての政治など敷くわけがないのだ。
彼の目的は、まったく別のところに あるのだから。
「ファンタジー」をファンタジーとして、静かに置いておけないのが、
こないだの『ヤフー』の特別記事にも登場した『日本会議』創設者の一人だったという村上某氏のような手合いだ。
※追記:
私は、以前から再々、『日米地位協定』のほうを どうにもできないうちに改憲先行、それこそ、軍隊保有ということにしてしまうと、これまで以上に、アメリカの言いなりになって、今度こそ、土地・カネに加え、命までも粛々と献上するハメになるでは ないかと言ってきたのだが、
むやみと鼻息荒くも、始末の悪いノスタルジーにドップリコと浸かったままノボセあがっているだけと見受ける『日本会議』の爺さまたちは、
現実問題、この『日米地位協定』を、どうするつもりでいるのか、これ一つを考えてみても、甚だ不審でしかない。
ま、それこそは「目くそ鼻くそ」の争い。
日本の神話というものも、ギリシャの それと同様、まさしく、人間の物語である。
どこまでが事実なのか、実在したのか、サッパリ分かりもしないし、
しょせん「ファンタジー」であることは承知のうえなのだから、
どこの国の神話が事実無根で荒唐無稽で、と嗤う筋合いでは ない。
ましてや、天皇自身が、祖先筋であることを明言している国のことを。
ともあれ、霞のような「象徴」でもロボットでもない、事実、生きている人間にほかならない天皇さんの お疲れに配慮して
(なにしろ、亡くなられた皇太后の最晩年は認知症だったというし)、
最悪の場合、お出ましの席で、という、もしもの事態も あり得ないことでは ない。
せめて、すみやかに、善後策を講じてさしあげることだ。
2016.07.17 (Sun)
旧のブログを やっていた『産経』系サイトで、私は、これを言ったことが ある。
すなわち、
自分のことを、自分以外の代わりの誰かに「象徴」してもらいたいと望んだことなど一切ない、と。
そのときも早速、コメントを寄こしてきたのは、いまでこそ察しているが、「ネットウヨ」か、ネットは関係なく「ウヨ」なのかは ともかくとして、
あの「在特会」の構成員である中高年女性だった。
その「界隈」では、わりと有名?なのらしい(嗤)
私が全く無知だった あの当時も、
さすがに『産経』系だけあってか、「ウヨ」仲間には相違ない他のブロガーからでさえ、「しつこい、厭なやつ」と激怒されていた、この「在特会」構成員であるブロガー女性は、私にとっても、かなり鬱陶しさを もよおす相手だったが、
先方は、なぜか、私に関して、かなりカン違いした印象を持って接近してきたものらしい。
ま、例の「カルト連」に よく似たカン違いぶりでは あったw
さて、当ブログにおいても何度か言及したように、
そもそも、国民主権・民主主義体制と、「天皇制」・「天皇による象徴」制というものには、どの角度から考えてみても、致命的な乖離と矛盾が あるのは、
情緒によらずして、賛否を問わずして、まずは論理的に思考しようとする意志と能力が ある人には、自明のことだ。
ただ、無知・無教養な一般の国民は、ことに日本人の気質は、論理よりも、曖昧模糊な情緒に傾きがちのようだし、それどころか、むしろ、論理的自体を忌避する性向すら見受ける。
こうした「やり過ごし」性向の国民性ならでは、致命的矛盾全般を平気で受け入れて流しておれるのだろう。
その一方では、
『日本会議』を代表とする、盲目的・狂信的主張を恥じない「右翼」と称する一団が近ごろ目立ってきて、やっとのこと、疑念を向ける記事も増えてきた。
(ちなみに、私は、普段、あえて読まないのだが、なぜなら、『在特会』や『日本会議』構成員がウヨウヨしていると思しい)『ヤフー』の特別記事にも、ついに登場した、『日本会議』創設者の一人だったという村上某氏のような、
「明治憲法」「大日本帝国憲法」へ巻き戻すべしといった、現実を無視しきった原理主義と成り果てている、この お爺さんの主張する、
現在の日本国憲法が、歴史の流れを「分断」して云々とかいう指摘は、ソックリそのまま、
自分たちの側の主張にこそ当てはまることを自覚すべきだ。
なにを、いまどきに世迷言を言っているのだろうか。
呆れて呆れて呆れ果てざるを得ない。
さて、「天皇退位」問題。
いまごろになって大騒ぎだが、
私も、数年前には、この方面の問題がチラッと出ていたのを憶えている。
そのときは、ズバリ「退位」というよりも、天皇公務の削減を期す、ということが中心の提案だったと思う。
天皇さんと皇太子さん秋篠宮さん御三方の水入らずで、定期的に「家族会議」のような場を設けており、そこで、こういうことも含めて話し合っておられ、たしか、秋篠宮さんが、「私や皇太子に、もっと公務の比重を」等々おっしゃってたかと。
その前後にも、週刊誌の配信サイト記事だったが、
宮内庁の、特に、天皇家の日常的側近として勤務している職員たちの、覆面座談会のような席での発言を紹介していた内容のものが あった。
そのなかで、職員の一人が、天皇さんに関して、
「ワーカーホリック」になっておられるから、
という指摘が あった。
そのようにならざるを得なかったのか、
あるいは、天皇ご自身の、つよい義務感ゆえのことなのか、
はたまた、その両方ゆえなのか、一般国民には推し測りがたいことでは ある。
ただ、
天皇さんと言えども人間、いろいろ思うところ、お考えは あって当然だと思うし、
ご自分なりに築き上げられたポリシーのようなものは持っておられるのだろうと思うし、
どうも「ワーカーホリック」という、そこには、いわゆる「平民」出身であった美智子皇后の お考えと信念からの影響も少なからず あるのではないかという気が している。
かつて、秋篠宮さんも、明治帝を尊敬している、と発言されていたそうだから、「ネットウヨ」「ウヨ」ども『日本会議』あたりの息のかかった連中が、秋篠宮を次期天皇に!と担ぎたがるのもフシギは ないか(嗤)
そうして、秋篠宮ご夫妻にも、天皇ご夫妻からと言う以上に美智子皇后の信念による活動スタイルからの強い影響を感じ取れる。
もともと、美智子さまや紀子さまほどには、皇室への輿入れを強く希望する気持ちが乏しかったのであろう雅子さまにも、誰からも有無を言わせぬほど完璧を目指す彼女たちと同様のスタイルで活動を続けられていたなら、どこからも非難を蒙ることも なかったのであろうけれど。
もちろん、今上天皇ご夫妻が、まだ若く、意のままに活動でき得る体力・能力に自信が持てていた頃のこと、
現在となっては、皇后ご自身が、天皇さんの御健康を最も心配され、
ご自身についても、「何かと心細い」という感慨を訴えておられた記事も あった。
そのようなことが、皇室近辺から漏れ伝わってきたという記事を見たときには、「退位」という明白なコトバまでは なかったように思うし、
あくまでも、ご公務の思い切った削減に向けた調整を、ということが主旨だったと記憶している。
今上天皇ご夫妻は、
「帝王教育を施されて生育した最後の天皇」と言われた昭和天皇の時代とは、
ことに、戦前・戦中での ありようとは大いに一線を画す姿を見せてこられた、少なくとも、われわれ一般国民の前では そうであったし、
陰に陽に渾身の御努力を実行されてきたと思う。
お言葉遣い一つにも、それは現れている。
昭和天皇ご夫妻は、「シモジモ」に向かって敬語を遣われることは なかったようだし(せいぜい「ため口」程度)、
こんにちの天皇家は、美智子さまは特に そのようだが、一般国民に対しても、丁寧に敬語を用いて話される。
いわく、天皇そして皇族には、政治的権力は ないものとしているけれど、現実には、そうとは言い切れないようだ。
このことは、政治と皇室関係に詳しい識者が指摘していたが、
実際、各国の要人たちと頻繁に会談するし、
諸外国へも赴くし、その発言には、軽からぬ影響が あることは、自他ともに認めざるを得まいし、
現実として、天皇と、その一家の発言には、政治的な隠然たる力が あるのである。
いまは、世間で忘れられているようだが、
今上天皇が即位される前に、
名前は思い出せないが、すでに亡くなっていて、「その世界」では有名だったらしい極右翼団体の代表者だというオッサンが、
「大御位に見合うだけの重み」が感じられないだとか何とか頻りに言っていたのを、テレビ番組で見たことが ある。
たぶん、『朝までナマ』なんとか言う番組だったw
【続く】
2016.07.13 (Wed)
「アベノミクス」⇔「壊憲」
思いっきり端的に指摘しちまえば。
「アベノミクス」と壊憲、あ いや、改憲はイコール、
と言って過言でない。
両者は互いに目的・本質・最終仕上げ。
壊憲、あ いや、改憲させてもらわんことには、
いつまで たっても「道なかば」、
「アベノミクス」の本番が
(「トリクル ダウン」は?っと言われても、はて??)
訪れは しない。
だ・か・ら、
この場合における「改憲」とは、
是非とも自民党「日本会議」合作憲法でなければ ならない。
誰かさんたちのみクスッと ほくそ笑む日を待っている、
首を長くして待っている。
●ンゾー、まだかぃ、急ぐのぢゃ。
目指せ!merchant of death!!
全世界お股に掛ける Japanese merchant of death!!
「穢棲多侮裏種慢徒」は号令する。
…
腹に一物、手に荷物、
さあー、シモジモ、踊れ踊れ!
これが欲しいか、そら、やるぞ。
飴玉チラ見せ、けしかける。
シモジモ、ぐるぐる回るんだ!!
鞭を ひゅんひゅん、唸らせる。
怪傀回壊晦古の夢、
「穢棲多侮裏種慢徒」の夢。
…
いえ、「戦時レトリック」のつもりは なかったのやけどm(_ _)m
そのうち、まじで必要になるかもね~ン;
2016.07.12 (Tue)
いちおう?何かの大臣を務められたことも全く忘却と言うか最初から知らなかったかも。。。
まあ要するに、興味なくて、
今回の都知事選では、都民でもない私は、
小池さんと自民党関係者らとのあいだで、なんかモメてるという内容の記事を、気が向いたときだけ、部分的にチラチラと読み流しているうち、
どこかの記事で、
もともと、彼女は、元首相の小泉さんとの関わりが大きかったらしいと知ってみれば、
あ、なるほどね、
かつて「小泉劇場」と称されたところを、
今度は小池さんが「小池劇場」として、ひと興行 打つ、
という見せ場を賑やかに開始されてるわけか、と。
小泉さんて、安倍ちんも そうらしいけど、後輩議員なんかに、真似されちゃうのかね。
その小泉さんと言えば、
例の、「自民党をブッ潰す!」という、とにかく威勢のいいハッタリ的キャッチ フレーズが脚光を浴びていたことは、記憶に残っている。
しかし、
その「ブッ潰す」理由が何だったか、すっかり忘却と言うよりも、最後までイマイチよく分かんないままだった。
当時の私って、政権の運営ぶりなんぞ、いまよりも ずっと関心は薄く、
ただ、たまたま見ていたテレビで、
訪米していた小泉さんが、何を思ったのか、プレスリーのモノマネ
を やり始めて、
ブッシュ大統領夫妻の困惑と侮蔑的苦笑を買っていたのを見ながら、
うちの母親なんか、プレスリーの大ファンだから、彼のモノマネやってる人を見たら毎度こう叫ぶように、
「エルヴィスが そんな歌いかた するわけない!オッサン、やめんか!!ヘタクソーっ!!!」
と、猛激怒するところだわな、、、と思ったり、
田中真紀子さんが、小泉さん他、自民党のオッサン議員たちを喩えて「奇人凡人変人軍人」(だったかな?)とか言ってて、なかなか的を突いてるのでは?と評価されてたり、
そんな しょうもないことばっかりだ、憶えてるのは。
ああ、でも、
北朝鮮の拉致被害者のことで、日本じゅう大騒ぎになってたことは、いまだに、かなり鮮明に思い出せる。
ちなみに、
安倍ちん、あのとき、たいへんな ご活躍だったという「神話」とか「伝説」を、安倍ちんサイドから盛んに流布されていたそうなのだが、
わたしゃ、この頃、安倍ちんの存在自体を、本当に、まーったく、知らなかった。
なので、
当初、首相の座に就いたことを知ったときも、
「えっ?ありゃま。。。こんなひと、いたっけか?見たことないなー。ああ、おとうさんが安倍シンタロウさん、そっちなら、まあ憶えてる。私が子どもの頃、国会のなか歩いてはるとこ、テレビに映ってたし。その息子さんだと聞けば、なるほど、デコの狭さがソックリね」
としか思わんかった。
ちなみの ついで、
麻生さんの存在自体も、まーったく、知らなかった。
やはり首相に就任されたときも、
「えっ?こんなひと、いたっけ?見たことないわー」
としか思わんかった。
吉田茂の名と、あの、下駄みたいな風貌くらいは、たぶん、学校の教科書あたりの写真で見た記憶はボンヤリあったが、
麻生さんの ひい祖父さんだか、ひいひい祖父さんだかに あたるというのも、まったく知らず。
閑話休題(?)
さて今度は小池さんが、「都連(?)都議会(?)をブッ潰すわ!」という大見得を切る段、ですか。
でもさ、
元祖・小泉さんの「自民党をブッ潰す(ブッ壊す、だったかね?)」てのも、私にゃ最後まで、分かったような分からないような、やっぱり分からないままだったし、
小池さんにしたところで、しょせん、自民党の人。
見せ場づくり、関心逸らし、実は全てが打ち合わせ済み?
パターナリズム自民の女だって、ときには反旗を翻すことも あるのよ、と?
いっそ、党と離縁するところまで行くほどのケンカを演じてみたらw
ま、都民じゃないし、自民党キライだし、小池さんにも東京オリンピックにも関心ない私にとって、どれも どーーーでもいい話なのに、けっこう長文を綴ってしまった。。。
うう、なにやってんだぁ、このエントリーわ?