2023.03.29 (Wed)
理解できない、違和感しかないようなことって、幼い頃から今日に至るまで、公私ともに、いくつも あるけれど、
昨今の政界に関して特に言うなら、
もう死んだ人だけど、安倍氏そのパフォーマンスのこと。
わりと最近、これも亡くなられたばかりの、『一水会』というところの顧問だという鈴木邦男氏が、『ビデオ ニュース ドット コム』だったかと思うが、御生前、そこのゲストとして登場されたとき、故 安倍氏に ついて、まずは「うまいな」と思った、というふうに評しておられた。
もちろん、だからと言って、安倍氏に賛同しているわけでは なく、
むしろ、批判的な立場だということだったようだが、
私は、それでも、やっぱり、そもそもが「右翼」だとか「民族主義」とかの出身というだけのことは あるからか、と思った。
というのは、
私自身は、安倍氏と、そのパフォーマンスについて、「うまいな」とは、微塵も思ったことが ないからだ。
それどころか、
なんとイヤラシイことよ、鼻につくワザとらしさよ、醜悪なくらいの軽薄なムードよ、
そういうふうにしか感じたことが なかった。
なので、
「うまい」と思える、その感性からしてが理解できないわけ。
しかしながら、
軽薄を絵に描いたような、政治家どころか、そのへんの一般人レベルにも達し得ていない、不勉強そのものなタレントあたりを、
または、
生きてきた世界も視野も狭い「世襲」の坊ちゃん嬢ちゃんを、ホイホイと国会議員にしてしまう、この国の有権者の大多数は、そりゃあ、くだんの鈴木氏と同じように、安倍氏を「うまい!」と感じる人が多いのだろう。
私とは、根本的に、感性が異なっているのだなあ、
としか言いようが ない。
私が、理解しづらいと思うのと同じく、相手側も また、私みたいな感性・性質の者をサッパリ理解できないのも当然なのだろう。
さて、
「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんは、何によらず、失笑もののカン違いした手合いが最多の代表だけど、
つい最近も、
いわく「保守」とか「右派」すなわち『自民党(ダッピ統一壺売国党)』支持者の本質は、「プラグマティスト」なだけなんだ、というふうな、知ったか主張を述べていたのを見かけたけど、まさに失笑ものだわな。
こやつの言ってることは、「プラグマティズム」なんぞでは ない。
それは、まさに、昨今の世俗でズバリ言い当てられている
「今だけカネだけ自分だけ」
ってことに過ぎない。
ほんと、嘲笑するしかないわ、
よりによってプラグマティストだってさ(爆嗤)
私はね、自分一個の利害損得のみを もって、これが「合理的」だとは考えないの。こと、政治や社会問題に関してはね。
なぜなら、そういう行き方は、誰かしらを踏みつけ、泣かせることになりこそ すれ、結局は誰も幸せにならないし、最終的には、いちばん大切なはずの可愛い自分の首も締まるからだ。
いまの日本の現実を見てたら分かるはずよ。
まっ、
「今だけカネだけ自分だけ」をイコール「プラグマティズム」だ、などと、
恥ずかしいカン違いしてる「ヤフゴミん」ふぜいには、逆立ちしたって、理解できないんでしょうw
もと『経産省』官僚だった古賀茂明氏には、私が知らない世界に住んでいる官僚たちの性質というものについて、多くを参考にさせてもらってきたのだが、その古賀氏の説明から察するに、およそ官僚とは、やはり、典型的な「優等生」気質なのだろう。
ボスとして仕える大臣の意を素早く読み取って、それを実現させる方向へと働くだけでなく、そもそも、言われる前に先先と察して動く、そういう明敏さ、機敏さを備えていなければ、官僚の至上目標であるところの、自省の繁栄、自分の出世に差し障る。
だから、ボスの言うこと、仕える対象の欲求が間違っていることを頭では分かっていたとしても、言われる前にササッと忖度してしまう、
そういう「弱い人」なのだともいう。
もちろん、古賀氏のように、多少、毛色が異なる官僚たちも いるわけだが、
なるほど、やはり、私とは真逆なほど異なる種類の人たちなんだなとは思う。
私は、まず、もともとニブイ性質の者だから、相手の意向や欲求を先先と推しはかって、たとえ、間違っていることが分かっていようとも迎合、そういうことを選んだりは しない。
つまり、要するに「空気を敢えて読まない」。
あくまでも、それは おかしい、間違ってるぞと思えた場合には、であるが、
ただし、
自分個人が、ちょっと譲歩したら、それだけのことで済む程度のことならば、敢えて そうする。いちいち盾突いたり、しょうもないことで自己主張するのもメンドクサイから。
しかし、
広く、あるいは深く、悪影響が生じるのでは ないかと判断した場合は、相手が誰であろうと、わりとズバッと言ってしまうタイプだ。
もちろん、キゲンを損ねられたら、かえって、始末が悪くなること必定であるような相手なら、言いかたには極力、気を つける。
いろいろとハンデを背負って生きてきた私の、言わば「ことば修行」なんて、そのために鍛えられたようなもんなのである。
それでもね、たしかに、存在してますわ、うちの親らみたいな、典型的な「ワカランちん」とか、人の話いっさい聞かない「バカの壁」みたいなやつは。
さしづめ『自己愛性人格障害』なんだろうよ。
彼らが聞かないのは、ほとんどの場合、彼らの、特に「メンツ」とか「プライド」にとって、多かれ少なかれ、つごうが悪いからなんだけど、
かつ、
この手合いが、いやに熱心に言い募ってくる場合も、圧倒的に、自分の つごうと、欲得がらみ。
このところ大騒ぎになっていた「公文書(行政文書)」の問題。
この騒ぎの本質は、たしかに深刻なものであり、
よりによって、当の『総務省』のボス、総務大臣だったことも忘れ果てたのかとしか思えない、そのくせ、記憶力には絶対の自信が あるらしい高市氏の、さもしい顔して言い放った、ゴリ押し暴言の数々は、決して看過できないものである、はずなのだが、
またぞろ、『立憲民主党』議員の、ターゲットの据え方と追及のヘタクソぶりだけが拡大されて終わってしまいそうな情況らしい。
でも、小西議員って、この人も官僚出身なんでしょ?すごく頭イイはずなのにね?。。。w
ま、「更迭は しない!」と突っ撥ねた岸田首相は、高市氏に、ここで恩を一つ売れたことにもなるのだろうて。いや、持ちつ持たれつか?(嗤)
さて、
先日、『創』という雑誌の編集長である篠田博之氏のコラムを拝読した。
そのコラムにて、篠田氏も、この「公文書『捏造』問題」騒ぎに関連して、安倍政権時の、メディア各社に対する圧力や忖度の事実ということで、当時の資料を添える かたちで、発信者側各位からの抗議の内容を紹介しておられたのだが、
一読して思い出したのは、
もう何年前になるのか、たしか、『朝日新聞』のベテラン記者さんだったかと記憶しているのだが、その人が、ある日、選挙演説のごとく、みずから、街頭に立ち、道行く人々に向かって、いま、自社のなかで、深刻な事態が起きているということを、けんめいに訴えていると、そういった内容の記事だった。
その頃は、私は、旧のブログを やっていた頃だったかなと思うのだが(いまのブログかもしれないけど、ハッキリしない)、
とにかく、くだんの記事を読んで、ブログ エントリーを更新し、そのなかで、当該の新聞記者氏を叱咤したのだった。
まずは、自分の会社の上層部、オエライに言わんかい!と。
そんなメソメソ泣き言めいた話を訴えられても、一般の者は、おたくとこの社内の問題なんて知ったこっちゃないし、どうすることも できや しないと、だいたい、そんなふうに述べたと思う。
そのことを、篠田氏のコラムを読んで、思い出したのである。
テレビ局の内側なんぞ、どれほど思い上がっていて俗悪な世界か、という話は、私自身も、いろんな記事で読んだり、また、自分の職場関係の者からも聞いていたので、ある程度は知っていたが、
篠田氏のコラムを読んだあとの今でも、私の考えは殆ど変わらない。
自分自身の足もとで、何も言えない、自分の所属する組織のなかで、何も できない。
そもそも、そんな体たらくで、どうやって、強大な国家権力の闇に立ち向かえるというのだろうか。
ただ一言。
ヘ・タ・レ。
独裁や専制状態の外国では、組織に守ってもらえないフリージャーナリストなどが、世界に向けて情報発信を諦めず、女性の身でも、政権の横暴に立ち向かい続けて、ついには殺害されている。これほどの気骨なんか ないやろ。せめて、もっとアタマつかいなさいよ。
それにしても、
メディア各界の、現場じゃなくて、オエライのほう、経営上層というのは、やはり、至上目標とするところや、「優等生」あるいは迎合的気質という点に おいて、官僚と よく似てるのかね。
ついでのオマケ。
これも最近、見かけた記事のなかで、
「結婚なんてクダラナイ」と唱えてきた上野千鶴子氏が、なんと、とっくに結婚していたぞ!!それも、長年、不倫だった相手と云々、、、
という現実をスッパ抜かれたというので、
ああwそれって、先日、うちのブログで取りあげたばかりの人やんかと思って読んでみたんだけどww
『『LGBTQ』や『同性婚』を罵倒するコメントの代表格を紹介w』
『【続】ここ数日の雑感より~ゴミ捨て場の真ん中で、憎悪を叫ぶ亡者ども』
これ↓書いてたの、すっかり忘れてた。
まあ、もともと殆ど知らないでいた人だし、少し詳しく知ったあとになっても、やっぱり、あまり関心を持てそうにないタイプの人なんで、上野さん個人のことについては、正直、どうでも いいんだけど、
ただ、こんな有名な、ごリッパな学者さんでも、ずいぶんと軽薄なことを唱えてきておられたんだなあと思ったのは、
結婚制度のクダラナサを主張する理由として、ピントがズレまくりというか、まさに机上の空論を唱えておられたのかぁ、ということ。
だってね、
結婚してさえいなけりゃ、セックスも気まま勝手に自由にできるじゃん、というのは、ひどく短絡的だし、
ほぼコジツケに等しい、理由のための理由に過ぎないだろう。
あまりにも、人間の現実を無視していて、青臭いにも ほどが ある。
えらく奔放なことを言ってるようでいて、実際は、ほとんど何も知らない、性や異性の経験値は低いほうなんじゃないの?この人、
みたいな批判も見かけたけどね。まあ同様の感想は、私も持ったよ。
私には、「結婚クダラナイ」という、そのコジツケ理由のセリフのわりに、実は この人、ものすごーく、結婚という法的制度の重さを重視していることの裏返しでしかなかったんだなと思えた。
そして、結局、その重さには逆らえなかったってわけか、と。
ただ、ひとつ確かに言えるのは、制度上の困り事は、“LGBT”の人たちも同じなんだってことよね。
まあ、飽くまでセックスを自由に気ままに奔放にと望むゆえ、結婚するのはイヤ!なのであれば、独身のままで いて、
俗に言う「プレイ ボーイ」「プレイ ガール」を通せば いいだけのことだし、
なんなら、結婚してようが どうだろうが、やりたいほうだいの人なんて、世のなかゴマンといるんじゃないの?w
私自身も、えらそうなことは言えないけどw
ただ、ほんとうに好きで、この人なら!と思えるほど愛している相手が いたら、他の人に対してまで欲求とか、あまり興味は持たないと思う、自然とね。たぶん、一般的に、女性は そんなもんだろうと思う。
新婚ホヤホヤの同僚女性に聞いたこと あるけど、どんなにカッコイイ人が いても、ただチロチロと見るだけ~(笑)と言ってたよw
多くの男性の場合は異なるかもしれないけどね。
だからと言って、こういうところで、わざわざ、男性の真似を しなければ ならないわけでも なかろうに。
「解放」ってよりも、拘り過ぎ。むしろ囚われてる。