2015.01.07 (Wed)
ずっと前に、見出しをチラっと見かけてて、ちょっとだけ興味わいたんだけど、そのときは、本文まで読むヒマなくて、そのまんまだった。
最近、また見かけたので、今度こそはと、クリックしてみた。
…ありゃぁ、なんだあ、すでに2013年の記事でやんの。かなり出遅れちゃったんだな。
(そういや、旧ブログで お初の自己紹介も、「デオクレチアヌスで御座います」だったっけ、ワシってばw)
「ビジネス ジャーナル」さんは、「ヘルス・ライフ」枠として紹介しているが、元記事を出したほうのサイトはサイトならではなのか、
堂々の「オカルト」としてあるぞ(笑)
双方とも、カテゴリー分けがイマイチ、腑に落ちないがw
まあ、とにかく読んでみた。
『竿竹屋が潰れない本当の理由が明らかに!? 誰も知らない、竿竹屋の怖い正体とは?』
Business Journal 2013.07.25
http://biz-journal.jp/2013/07/post_2564.html
『竿竹屋は公安だった!? 本当は恐ろしい、竿竹屋の正体とは?』
(元記事)2013.07.24
http://happism.cyzowoman.com/2013/07/post_2727_2.html
途中、やっぱり?何度かフいたけど(笑)
でもさ、まるっきり荒唐無稽として うっちゃるには、些か引っ掛かるとこもあるねー。
と言うのも、
ここでは、「竿竹屋」さんの話になってるけど、似たような事情の話を、父の経験談の一端として、本人から少しだけ聞いたことがある。
「竿竹屋」さんが、「おこも(薦)さん」に置き換わってるような話なんだがね。
あるいは、現代では、建築・建設関係の業者なんかでも、そういった側面を持つのだと、実際に、その業界の者だという男
(たぶん、「カルト連」のアイツw)
が述べているのを目にしたこともある。
で、うちの親父が、戦時中のことだと言ってたと思うんだけど、
特殊諜報訓練を叩き込まれてから、任務を帯びて、とある地方へ潜伏したときのことだったそうな。
現代でもそうなんだろうか?私は疎くて知らないが、
かつては日本各地に、大概こういう水面下の土地事情ってものがアタリマエに あったらしく、
表面には、おいそれと浮上しない、ましてヨソ者の耳には決して入れないような、その土地、土地の土着的裏情報について探るには、なんと、
「おこもさん」集団に まさる協力組織もなかったくらいなんだと言う。
ところが、
だんだんと、なれた口を利き、親しげな態度になっていき、接触を重ねているうち、まだホンの若造だった親父が、ある時、ついウッカリと、僅かに隙を見せかけた瞬間、
たちまち、父の任務について感づき、不審を あらわにした「おこもさん」グループのリーダー格に凄まれ、そりゃあ、もの凄い怖い思いをしたそうだ。
まじで身の危険を感じ、ほうほうの体で、その場から逃げ出さざるを得なかったという。
「おこもさん」集団というものにも、ある種の力があるってな話は、往年の有名俳優さんで、どなただったか、いまも御存命かどうか、聞けば思い出すだろうけれど、お名前を失念してしまっているので、いまのとこ私には不明だし、大雑把な記憶なのだが、
上品な雰囲気を醸し出していた その俳優さんは、北方の、とある地方の有名な旧家御出身で、たいへん裕福な お育ちらしい。
で、のちの俳優さんとなられた そのかたも、子ども時分は普通に元気いっぱいの男の子、戸外で、友だちと遊びたい盛りに、学校から帰ってきて、ほどなく飛び出して行こうとすると、、、
とたんに、門のあたりで、ざざざと姿を現した「おこもさん」たちに、行く手を遮られ、そして、
地の底から響くかのようなドスのきいた声で、
「おぼっちゃ~~ん、もう宿題を済ませましたか~、お勉強は なさらなくていいのですかあ~~~」(←エコー)
などと糾されるんだそうな。
それこそ「こも」か何かを、ばっさ、ばっさと蝙蝠みたく広げたり、すぼめたりしながら、ブキミに凄むんだって。
子ども時代の、自宅敷地内に たむろしていた「おこもさん」たちとの懐かしくも恐い思い出を語っていた、くだんの俳優氏、やっぱり、もの凄く怖ろしかったそうだ。
自分の親なんかより、彼らのほうが、よっぽど教育熱心で厳しかったとか。
「おこもさん」たちは、何故かと言うと、
くだんの旧家で(昔は、こういうの、珍しくないことだったのかね?)、広い広い敷地内に、彼ら「おこもさん」たちの寝ぐらスペース等を確保・提供しておられたのだそうで、そういった義理や恩に着てか、そこの お屋敷の旦那に対する忠誠心は非常に固く、
それがゆえ、そこんちの子に対しても、あくまで旦那の期待に沿うようにと、子息の監視と教育的指導を自任し、頑として弛めなかったのだそうな。
んで、これは、私自身のことなんだけど、
いまの住まいの、前の前だから、かれこれ10年以上前の引っ越し時。
その前の住まいから、まだ わりと新しかった物干し竿を運んで来るのを、うっかり失念して、新居に入ってから仕方なく、新しい物干し竿を調達するべく、家の者が手配しておいてくれたのだと思うが、
ある日、「竿竹屋」の(と言っても、いまどきに、バンブー製は ないじゃろうが)
オッチャンが、ピカピカのステンレス製の立派なのを二竿、
「まいど!ご注文の竿だす♪」と運んで来てくれた。
そして、
竿を担いだ そのまま勢いよく、玄関から部屋を通り、ベランダまでイッキに突き進もうと、オッチャンすっかり その気で(竿長を確認しようとしたんだろうね)、履き物をソソクサ脱ぎ掛けたのを、私は、
あいや、こっから先は、自分で運べますよって、と、上がり込まれる寸前に押しとどめた。
心なしか、どこか残念そうなオッチャンの表情だったが、素直に引き下がってくれた、その晩だったか二晩、三晩後だったか、
「夜分に、恐れ入ります」
とて、訪ねて来られた男性二人。
用心しながら、細く、ドアを開けて窺うと、ま正面に立っていたほうの男性が、サッと取り出し、差し出して見せたのが、警察手帳、、、
だったんだろうなあ、ハッキリそうと分かったわけじゃないけども。
だって、本物を間近で見たの、そのときが初めてだったし。
で、
なんだかジャガイモめいた お顔立ちの その男性は、れっきとした刑事さんなのだそうで、せいいっぱいの笑顔と共に言われたには、
なんでも、
「オウム真理教の」逃亡中の残党を捜査中ゆえ、ちょっと確認させていただきたいということでして、、、
とか云々述べられて、頻りに恐縮しておられる。
恐縮しておられながらも、
にこにこ笑顔のまま、わらわの かんばせをササッと確かめ、ついで、
さりげな~く、奥の室内のほうへも、サササッと視線を滑らせておられた、と思う。あまりにも、さりげなくだったけど。
「それは、ご苦労さまですぅ」とて、わらわの ねぎらいに、ますますもって恐縮の ようす、
ますます、ジャガイモが、へちゃっと笑ったごとくの素朴な可愛い笑顔を ふり撒きつつ、刑事さんたちはソソクサと引き返していかれた。
そのまた数日後。
来ましたがな、呼んでもないのに、今度は、「皆さまのNHK」がねw
こう見てくるとだな、点と線、
上掲の記事で説かれている「竿竹屋の正体」、
なーるほど、かもね?かもね?!
と思っちゃったわけ、アタシも。(笑)