2021.10.25 (Mon)
『【続・続】とにかく汚い『自民党』はダッピッピw(←誹謗中傷?ww)』の続き。
閑話休題。
さて、日本においては、マスメディアから何から全体に政権寄りの気風、
特に、長年を政権の座に就いてきた『自民党』政権寄りであることが知られていると、当ブログでも何度か言及してきている。このことは、
実は「独立できていない」との指摘が相次いできた、司法界や裁判所に おいても同じくで、
ときの政権が、最高裁の裁判官を任命する(それ以外の裁判官も、最高裁が提出した名簿によって、内閣が任命するという)のだから、どうしても、そうなるのだろうし、
それを踏まえて、特に重要な岐路に立っている事案を捌く判決を客観的に見ていたら、なるほど、さもありなんと思えるものだ。
『沖縄の重要訴訟に関わった裁判官は7人 最高裁「国民審査」対象者はどんな裁判官か』10/23(土) 10:44配信 最終更新:10/23(土) 10:57
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6377f3809fa917268e05949caa1b2d73b5903bb
まさに「よらしむべし、知らしむべからず」か。もちろん皮肉な意味だ。
最高裁の裁判官審査に関し、国として、国民一般に対する周知の努力不足が殊に明らかだし、
今回は、私も、できるだけ情報を得たうえで、初めてのことだが、すでに、自前の「メモ」を用意してある。
安倍政権になってからというもの、殊のほか、政権寄りのために歪んだ、または逃げ姿勢の判決が、目につくようになっていたからだ。
議員を選ぶことすら、いったい誰に投票すれば いいものやら、「良い」とまでは いかないにしても、「ベター」を選ぶにも、あまりに不勉強で、政治や政策といったことについて、ついぞ、思考を整えたことも皆無ゆえ、
全くのアナタまかせで「白紙投票」という、実質の「白紙委任状」に走る、それどころか、それすらメンドクサがって、そもそも、投票所に行かない者が大多数という体たらく。まさに、「民主主義の危機」にある。
もっとも、不勉強のまま、ろくに見識を磨かずして投票に臨むというのも、始末が悪いのでないかという懸念は ある。
かく言う私自身、以前にも言ったとおりで、病気と仕事と介護などが重なり、しんどい生活だったから、たまの休日を、選挙に向けた情報収集に割いたうえで、投票所に赴く、というエネルギーさえも失っていた頃が ある。
長年に わたり、疲労困憊しており、ひどい不眠症だったので、まずは、ふつうに起床して、外出のための身じたくを行うことすら困難だった。
このような事情を抱えている人々も、どうしても存在するのだから、
きちんと投票に赴ける人は、それだけ、自分には、まだ少しばかり余裕が あるのだということに感謝して、しっかりと考えあわせたうえで、投票したいものだ。
久しく、新聞購読の余裕を失い、テレビは見ない、スマホも保有していないので、もっぱらインターネットのニュースや検索に頼っている現在、
パソコンが使えなくなったら、ほぼ完全に、情報遮断の状態に陥る。
もちろん、このブログの更新も不可能となる。
それでも、選挙になれば、どういう候補者に投票するかの基本は、従来と、それほど変わらないだろうと思う。
それは、政治面も含めて新聞を読み、テレビは、娯楽番組よりも、報道系やドキュメンタリーを好んで選んできた小学生の頃からの蓄積が あるからだ。
そうして、私は、常に、自分よりも困難な状態に置かれている人々のことも念頭に置いた「選良」選びを第一に心がけている。
けれども、
地元の自治体選挙において、あまりの選択肢のなさに、
考えあぐねたすえ、
「全員イヤ!!」
と書いて、
「白票」では なく敢えての「無効票」を投函したことも ある(苦笑)
ぜったいに やっちゃいけないわけでなく、あくまで意思表示の「権利」なのだから、どうしても、どの候補者もダメだと思う場合は、しかたないかなと思う。
つくづく、人材が乏しくなってきてるのだなと実感したことだった。
まあ、私は、いまのところ、この一度だけで、めったにないはずのことだろうし、
基本的には、ベターを考え、せめてもの戦略を意識する。「ビリヤード」のように。
たしかに、「白票」を主張する人が言うように、
これで万全に「託せる」というほどの候補者も政党も あり得ないのだろう。
えてして、政権を担った経験が全く ない場合も、この国では異様に多いのだから、実力は未知数であるとか、有権者にとっても賭けの面は あろう。
だが、遠回しのイヤミ程度にしかならない、自己満足でしかない「白票」よりは、もう少しだけ、頭を使って、ビリヤード ゲームのように考えてみよう、と。
せいいっぱいの「白票」でも、『自民党』にとっては、つごうが いい。
腐り果てて、ダメになっているものに、なおも強大な権力を持たせることほど、国家と国民生活一般にとって有害なことは ない。
それにしても、
いったい、「白票」に意味は ありや なしや。
ない、というほうが、現実的では あるだろう。
しかし、
「寝てないよ。ちゃんと起きてるで」くらいの意味は あるのだろう。
まあ、その程度だけど。
実のところ、不勉強のせいで、誰に投票したらいいのか皆目わからないが、とりあえず、棄権だけは してないぞ、という、自己に対する言いわけのような「白票」では、なさけないことだ。
一般大衆とは、わかりやすいものが好きだ。
わかりやすいということは、自分のオツムが ついていきやすいレベルの対象だということ。
結婚相手でも そうでしょw
毎日が大ゲンカばかりだとしても、それでも離れないのであれば、どこかで、ちょうど つり合ってるからw
聞くところでは、IQが大きく違うと、たちまち、相手の言うことを理解不能になるそうな。自分よりもIQが高い相手は特に。
だったら、
その「わかりやすい」レベルを、もっと上げていく必要が ある。
「民主主義」国家に おける国民のレベルは、知性が、教育レベルが如実に左右するというのは、そういうことだ。
ほんとうはね、政治家とか、人々の上に立って、権力を行使する者は、単なる「見返り」だとか、自分を中心に、世を考えるような視野の狭さでは いけないんだ。
「あ」の人が、どうにもダメなのは、まず、そういうところ。
国会議員、しかも、首相になることからして、根本的に間違ってる。
自分の周囲の数メートルしか視野に入らないのなら、せいぜい、中小・零細の経営者でも目指すくらいに留めておくことだ。
お膳立てしてもらったうえ、自分つごうの欲ばかり掻かれたら、大多数の人は大迷惑するから。
ここで、『ヤフーコメント』投稿者の一人が主張していることを取りあげてみる。
いわく、「市長選挙で、2人出馬、どちらも個人的に よく知っている。2人とも政治家どころか人間として非常識で許せない人物。どちらかに投票などできない」と、まあ、すごい事情だがw
作話してコジツケた理由では なく、事実なのかな?(苦笑)
まあ、とにかく、
この、「棄権」や「白票」を推奨したいらしい投稿者へ直接「回答」は してあげられないが、
「個人的に、よく知っている」相手であれば、まだしも幸いでは ないかと思う。
もっとも、もし、何らか「ヤバいバック」を持ってる候補者だったりしたら、そう簡単な話になりにくいだろうけどw
そうでないかぎり、私なら、直に話を しに行く。「個人的に、よく知ってる」相手だというんだからさ。
そこで、その候補者たちの政治に対する姿勢や方針を問いただし、
やっぱり問題だと思う点は、容赦なく指摘し、可能なかぎり、考え直してもらえるように話し合うと思う。それによっては、家族など周囲も含めた投票の如何を、こちらとしても考えるよ、と申し渡す。
それでも、どうしようもないなら、
実際に、選挙に立候補するような人たちと、個人的にも、よく知り合っているくらいなのだから、この人自身、そういう事情に近い立場に居るのだろう、自分の周辺で、もっと有望な人を担ぎだす活動を始めるための仲間づくりに とりかかれば いいのではと思う。
それは同時に、いま立候補している知人たちが、「人間として非常識で許せない人物」であるという真実を知らしめていく機会にも できようし。
もっとも、この投稿者にとって、何が「非常識で許せない」と思えるのかが、こちとらには不明なわけだけどw
ふつうは、候補者個人のことを、表面的でなく知るのは、一般有権者には、かなり難しい。
だから、
私は、基本的に、どこの組織や政党に属しているのかで、その候補者の考えかたや人となりまでも、ある程度は推察、判断できると言ってきた。政界での実績が まだない新人の候補者なら、なおさらだ。
基本的な考えかたや理念や方針などが、大きく異なる政党に所属していられるはずもないだろうから。
もっとも、これが『自民党』となると、政治家としての理念や方針なんぞは そっちのけにできる、いざとなったら、まったく別な目的のために所属しているだけ、という感じの議員が多いように見受けるのだ。
とりあえず、カネと物量の『自民党』に所属して立候補したほうが、当選確率を有利にできるという、理不尽な現実が あるからだろう。
正直言って、私個人的には、いまから政権交代できたとしても、あまりに遅すぎているかも、という不安も拭えないでいる。
この国は、もう、ただ朽ちていくだけかも、と。
それでも、最後の抵抗を試みるしかない。
無理を重ねてきた私の命も、そうは長くないだろうと思う。
有権者のうちの少数に過ぎない連中が、おのれと、狭い周辺のためだけの利益目的に、腐れ果てた国家権力を維持していくという低次元な精神レベルの、さても哀れな国へと なり果ててしまうことになるのは、辛い。
自国が、こんな姿になっているのを受け入れることは耐え難いし、こんな国で生きていたくは ないから。
最後に言い添えておくが、
内田樹氏あたりも主張されているようなのだが、
要は、権力と権威とは分けておく、つまり、日本では『天皇』という「権威」に、清廉潔白さや「道徳」といった面を体現する存在として君臨してもらうのだ、
といったような考えかたは、いろんな面で間違っているし、危険だ。
ここまで来たら、少しは見えてきただろう。