2021.05.12 (Wed)
病院も、がちでヒエラルキー世界なのだw
なぜ、医師に10万円で、看護師さんは1万円なん?
と思ったのは ともかくw
これ、公立病院での事なんだね。
『患者から市立病院に寄付100万円、医師や看護師に分配…副診療部長ら懲戒処分』5/3(月) 18:43配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/db855b593da6ebec954bd4a2de4ff5afb0feedef
思い出したのは、
私が、かつて、長年ガマンして やり過ごしてきた病気のため、とうとう、手術を受ける必要に迫られ、最初の引っ越し先から、泣く泣く、実家が ある市へと戻って来て、そこの市立病院に入院したおりのこと。
あるとき、見舞いに来た親が、せかせかした調子で言った。
「部長先生たちに、心付けの お金を渡さねば」
と いうふうなことだったので、
当の病人である私はノンキに、
「そんなん、いらんのちゃうー?壁に貼り出してあるもん、医師や職員へ金品は ご遠慮くださいて」
と答えると、即座に、親に どやしつけられたw
そして、
部長先生、やっぱり受け取りはったわ!!
と、
それ見ろ!と言わんばかりの調子。
まあ、貯金も困難なワープア生活が長かったゆえ、金銭的なことは全面的に親に甘えたので、親もイライラしていたのだろうw
ところで、
先月、荒れ模様の天候の日に、いきなり給湯器のリモコンに異常が発生していることに気づき、自分なりに、「エラーコード」の数字の意味とか、あり得る原因について調べてみて、いろいろ試してもみたのだが、
ちょうど、気温が上がり始めていた時季でもあり、冬場に比べれば、お湯が出ないことの苦痛は緩和されているので、もしかしたら、ヒョンな拍子に直るかも、と、はかない希望を抱いてグズグズしていたのだが、埒が明かないままでは、おふろに入れるメドすら立たない。なので、数年前の夏場、故障が判明したエアコンを取り替える際と同様、知人に再び依頼して、聴覚障碍の私の代わりに、管理会社との折衝を引き受けてもらった。
グズグズしていたら、すぐ連休に入り、それを過ぎて、なお数日を要したので、つい最近、やっと、一式まるごと新しいものに取り替えてもらうまで、かれこれ2週間以上が経過していた。
すでに廃止品だっただけに、老朽化していたようだが、
給湯器の取り替えって、エアコン取り替えよりも、ずっと費用が かかるんだね。
持ち家だと、こういったメンテナンスは、周期的に訪れるものだし、ましてや、災害などで大きく破損した場合の出費は、庶民クラスの経済力では、なかなかの痛手だ。
私が、何年も前の旧ブログ当時から指摘しておいたことの一つに、
『自民党』が奨励してきた、「持ち家」取得・促進政策ということが ある。
これってのは、鋭い、かつ、良心的な識者なら、間違っている政策だと、すでに指摘していたことで、
なるほど、大災害が殊に多い日本においては特に、庶民層に持ち家や不動産保有のリスクを負わせるよりも、公営住宅を増やすべきだったのだと。
公立病院や保健所をガシガシ削ってきたことも。
今国会での、『立憲民主党』を中心とする野党側は、もちろんのこと、
『オリンピック』実施による、一般国民へのリスク増大について追及しているようだけれど、政府・与党側は相変わらずで、リスクの ないようにと、慎重な手段を用いるのだから、だいじょぶだ、と言いたいのだろうが、これって、やっぱり、アベシの答弁(モドキ)を思い出させる。すなわち、「原発」の安全性についての。
だいじょうぶだから、だいじょうぶ、という、トートロジー的答弁(モドキ)。
いまの日本で噴出している数多の矛盾と問題は、ほぼ全て、『自民党』によるものが原因だから、今後も、これ以上にも、『自民党』政権を続けさせるならば、この先は、どうも暗い破滅の予感しか持てない。
しかしながら、
じゅうぶんな体力、余力が残されているうちに、「次を育てておこう」ということから逃げ続けた国民が大多数である以上、すでに取り返しが つかないほど遅過ぎたとしても、根本的には国民の自業自得だ。
ただ、せいぜい2、3割ていどの支持によって「大勝」だ「圧勝」だとなってしまう異様なシステムの深刻な問題をスルーして、『自民党』政権を持ち上げる御用マスコミだらけの日本メディア界に乗っかって、思考停止するスノッブ層に、否応も なく巻き込まれてしまって、不本意な思いを している者が、最も迷惑を こうむってる立場なわけだが。
それと、
「オリ・パラ」で来日する各国の選手に、ワクチン義務付けを しないということだそうだが、加えて、選手関係者の数をも合計すると、たしか、全体で6万人ほどにも のぼるらしい。
私なんかは、オリ・パラ開催中よりも、むしろ、終えたあとのほうを懸念しているのだが、その理由は、
来日した選手団の6万人という一挙に押し寄せる数に対して、開催国である日本側の各方面のスタッフも大勢で対応しなければ ならないのは必然なのであり、また、当然のこととして、オリ・パラが終わったあとも、その対応に従事した日本側の人々は、あたりまえに国内で動き回り続けるからだ。
このあたりの「コロナ禍」に関するシミュレーション予測とか出しているのだろうか?
たぶん、シミュレーションしてないはずは ないだろうと思えるし、
単に私が見てないだけかとは思うけれども。
どのような予測が出ているのか。分かりやすい分析を掲載している記事など出してもらいたいところだ。
なお、
スガ内閣官房参与とされている高橋某氏の言い放ったセリフ、
「さざ波~笑笑」
とかいうコトバで思い起こした詩が ある。
そして また、思った。
要するに、あの『ナチス』の思考回路に通じるのだ。
私の脳裏には、この光景も浮かんだ。
ガス室で殺された人々の遺品、たとえば、メガネならメガネ、靴なら靴を、一ヵ所に集めて、小山のように、うずたかく積み上げた、かの『アウシュビッツ収容所』の記録写真で有名な光景。
*――*――*――*――*――*――*――*――*――*
たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。
遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……
いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
埋葬の日は、言葉もなく
立ち会う者もなかった
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。
――『死んだ男』 鮎川信夫――