2018.01.13 (Sat)
『【続】That's『カルト連』』の続き。
もしも、こんなヤカラに依頼して、「ページビュー」稼ぎなんかを手伝わせているのだとしたら、『汚気・愚』にしても『ヤフー』にしても、とんだ反社会的業者じゃねえかと糾弾しなければ ならんところだが。
もちろん、単に一般ユーザーでしかない当方には、どうすることも できない。
かたっぽは、『ヤフー・知恵袋』の真似しゴンべに過ぎないが、
なぜか、この両経営者ともに、ルーツを同じくしていて、もと在日朝鮮人なのね。
(再掲)
「土木・建設関係やら暴力団系と言いますと、あーた、もろ」
…まっ、この方面に所属する人々には、むざむざと、自分の仲間たちのイメージを殊更に落とすことなきよう していただきたいもんですわ。
ここで何度目かのクギを刺しておく。
をい、(オ)カルト野郎。
てめーみたいな、わっかりやっすい手合いの腹なんか、とうに お見通しw
てめーのナリスマシ遊びに用いていた、あの氏名、この氏名。
どうやら実在の人たちのものだということは、すでに分かってるんだ。
そう、実在の人の実名。
科学系事業所なんたらラボに勤務しているサラリーマン竹●某氏だとか、
さる大学に勤務しているというフランス文学の助教だか講師だかとか、
あるいは、ブラ下郎ジイサンが名乗ってた日比野某とかいった者たちについての真偽は、完全に調べあげようと思えば、いつでも可能ということを、肝に銘じておけよ。
そうそう、『城島』某という売れないモノ書きさんを めぐっても、なにやら胡散臭い臭気が漂ってたなーw
いつまでもチョーシこいてると、てめえの手が後ろに まわる日が来る。
診断と治療を受けるなり、
さっき言ったように、その邪まエネルギーを、まともな労働で発散しておくなりして、無関係の人を犠牲にする悪趣味は、たいがいに しておけ。
2018.01.13 (Sat)
『That's『カルト連』』の続き。
あの頃の私は、ネット スラングつうやつにも疎く、
『2ちゃん』も殆ど知らない、「ネトウヨ」というコトバ、そう呼ばれる連中が存在することは、全く知らなかった。
さもありなんと言うべきか、
どうやら、こやつ(ら)、ずばり言って、土建屋だ建設業関係だ、さらに言えば、実家の父親もしくは「親分」と仰ぐ対象の者が暴力団関係者であるとか、そういう臭いプ~ンプン漂ってたのね、あの当時も。
実際、それを窺わせる言動多々で。
土木・建設関係やら暴力団系と言いますと、あーた、、、
もろに「ウヨ」世界のイメージざんしょw
で、ブラ下郎なんかは、ホントの話か どうかは知らないが、
「政治団体を主宰」してました、
との自己申告だww
そいでもって、あらためて確認できたんだけど、
こやつ(ら)は、ここでも、自分が複アカを使っていて、
しかも、
何の趣味からかwそのことをハッキリ感じさせる やりかたを敢えてするもんだからw
狙い定めて絡んでいく相手にも、たちまち、そのことを疑わせ、指摘されるよう、みずから煽って仕向けておいたうえで、そうして、
いよいよ、狙いどおりに指摘してくれたと見るや、思いっきり激昂の感情を剥き出し、と同時に、
ひどくシツコくてヘンな つきまとい攻撃を開始。延々延々とね。
このとき、相手を孤立させんものと謀って罵倒するため必ず使うセリフが、
「妄想」「被害妄想」とか
はては「統失」とかいった、パターン化された決めつけ。
かつて、私に対しても、いろんな精神病名を付けてくれてたけどw
これらの「病識が ない!」とかなんとか言ってくれちゃって、
憧れの職業らしき医者とか学者を装ってw
うちの身内には本物の医者もいるし、バレバレだっちゅうの!(嗤)
とにかく、
一晩中でも何日連続でも平気で かかってくるから、当然、まともに職業に就いてやしないのモロバレだし、
そのバカげてるほどのシツコさと体力に呆れ果てて、
「あんた、バケモノですか?」(←つまり、ヒトデナシかい!って意味よw)
と言ってやったことも ある。こちとら、からだ弱いだでね(苦笑)
ま、あれだけ体力あるとこ見ると、さぞかし溜まって、持て余して、
自分じゃ、もう、どーしようもないんだねえ(嗤)
しょせんインテリのタイプじゃなし、
さっさと有意義な肉体労働にでも就いて、ちっとは発散しとけばエエがね。あんな邪まなエネルギーたれ流して、はた迷惑だ
…
正直に言って、私自身も、本当のところ何が切っ掛けや原因で、いきなり ああいうふうに絡まれることになったのか、よくは分からないままでいたんだけど、やっとハッキリ分かった。
要するに、
複アカやナリスマシやらを指摘されたとたん、こやつのなかに、猛烈な怒りの火が点くわけなんだな(嗤)
おかしなことに、これ見よがしのことをワザワザやってのけるくせしてw
しかも、
そのことを不審に感じさせられた相手が指摘してくるのを、まだか今かと、舌なめずりするほど待ち焦がれてる(嗤)嗤)
なんだ、「仕事のため」とか「落語家」を目指してる修行中だとか言ってたっけか?w
いーから、オマエさんみたいなタイプの場合は、ネットなんかじゃなく、
まずは、過酷な肉体労働で発散しとけって。
それが、少しは、はたに迷惑かけないで済むコツだわ。
いったい、なにが そこまでオモシロくて、こういうことを やるのか、
そうでも なく、ほぼ無自覚のまま やらかしてるのか?という、断言しきれないでいる疑問点は残ってたんだけれど、まあ、多分、わざと、だもんねw
あれ見たら、ほとんどの人は分かると思う。
で、
その動機は奈辺?という、なお残る疑問、それは、一見して知れるように、
「スレッド」と言うのかな、ああいう、自分の投稿場所にて、絡めそうなターゲットを定めたあとは、ひたすら延々と、こやつ自身の発言どおりに「不毛」で、くだらない応酬を繰り返して蓄積していき、
いやがうえにも長引かせようと画策することにある。
だって、こやつの最終目的は、
ターゲット相手の時間をムダに奪い尽くすこと、
そして、とことん疲弊させることなんだもんw
つまりは、「餓鬼」の所業だ。
これが、何の「修行」に価するというんだか、まじ、くっだらねえわとしか思わんかったけど(もちろん今でも。)、
これ、はたして、このヤカラの内面性に発するのみなのか、
もしかして、例の『汚気・愚』でも同様の疑念を齎したように、サイト側との取引であるとか、そうした類の、
まさに『カルト連』自身の発言だったとおり、「仕事」で やってるのか?ということ。
つまり、そこに、報酬に相当するものが あるのかしらん?ということだ。
【続く】
2018.01.13 (Sat)
いやあ、こりゃまたモロ出しで来ましたw
おっと、何の話、って?
かねてからのストーカー連中を除いて!のことだけれど、
当ブログを読んでくださってるかたのなかには、このブログでは、旧ブログに引き続いての『インターネット問題/「カルト連」』とて、コーナー分けしてあるのを、目にした人も いらっしゃるだろうし、また、
当方の過去事情すなわち、私が個人的に、インターネット利用を、世間一般よりも大幅に遅く開始して ごく初期の頃、早速、ネット上の一大トラブルに出遭い、巻き込まれた事情を知らない場合、当然に、
「『カルト連』って、何よ?」
と怪訝に思われたかたも おいでだろうと察する。
まあ、そんなことに興味を持つ人も希少であろうとは思うけれど、
もし、この『カルト連』というものの、その特有なるパターン的やりくち、ケッタイさ、滑稽さ、この下もないくらい異常性癖とさえ言えるほどの特徴を垣間見たいと思われるなら、くだんの『カルト連』その正体を窺わせるに ふさわしいのが、まさに、以降に掲出しておく報道記事に付いた『ヤフコメ』。
そこにおける冒頭の主コメ中にて延々と展開されるに至ったスレだ。
これを御覧いただけば、私が、何ゆえ、『カルト連』と名付けるに至ったかという動機や心情を、多少なりとも御理解いただけると確信するものである。
下記、当該記事に付いた『ヤフコメ』中で、かねてより私が呼称としてきたところの『カルト連』がアカラサマなる徘徊ぶりを晒しているのが、ここのコメント欄。↓
『加計学園への補助金「妥当」と判断 今治市第三者委』
1/12(金) 15:37配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180112-00000033-ann-soci
まあ、(オ)カルト野郎のターゲットになっちまった投稿者の発言だけれども、「ガラケーでネットやコメント投稿」することがアホか どうかについては、
また、そのせいで、カルト野郎の文面、ことに、「改行」の具合が甚だしく奇妙を呈している云々との指摘も、そんなことは、わざわざに咎められるほどのものでなかろうと思うし、
ましてや、「底辺」云々という罵倒の返しも、カルト連中に負けない下品なセリフ。
イラつく あまりに、なのは理解できないでもないけど。
基本的には、いちおう読めて、辛うじてでも文意が伝わるならば、私個人的には、どうでもいいかなと思えることだ。
ネットにおける場合の文章というもの、旧来の文章作法と少しく異なっていても無理は ないし、まずは画面上の見た目に読み易いか否かのほうを重視するのも大いにアリだろう。長文になる場合は特に。
私自身、いったいに、文章についての指摘は、それで おまんまを いただいてた経歴も あるので、あえて しようと思えば、それなりに指摘できるんだけど。
「主語と述語くらい整理しましょう」
あ、そう言えば、
『●●んこ~!』オババさまは、ケータイ命!!だったんだよなーあw
しかし、何年経っても相変わらずだねー、この(オ)カルト野郎は。
その哀れなほどのズレっぷり、異様な執拗さ。
まったく、進歩も成長も改善もしてない、呆れるほどに、変わってない。
ある種の「異常」であることが自慢になると思ってるふしが あって、
「天才」の呼称や「自己承認欲求」に餓えてて、
人並み程度の論理能力を備えただけの者ですら、こやつの主張してるヘリクツを見ただけで、こいつぁ紛れもなく、凡才にも届かないのが明らかと分かるのに、
にも かかわらず、凡才、凡人であることにさえガマンならんみたいよね。怖がってるようだったもの(嗤)
何の事情も知らない、あかの他人である私にゃ、こやつの病的なまでの傍迷惑な劣等感その裏返しのカラッポなプライドで凝り固まった原因や理由に関しては何も知らんけど。
知ってたら、もう少し深い分析してやれたかしれんけど。
残念ながら、些かの魅力を感じることもなく、最初から最後まで、一個の人間として素朴な興味すら持てなかった。
あまりに浅はか過ぎ、それよりなによりも、その やすっぽさ、俗悪ぶりがね。
極めて俗物なのに、本人としては、これでも「純さ」を隠し、崇高なる使命を秘めた者なのだとでも、自分で信じてるようだったよw
それに、もちろん「ネトウヨ」です、こやつは。ええ、間違いないよ。
ネトウヨお約束の『ナチス』ファンだしw
【続く】
2017.04.25 (Tue)
と感じたのは、これが一度や二度でない。
今回、もろに感じたのは、この記事で。
『審議前に売買契約の手順資料 財務省、森友側に渡す』
朝日新聞デジタル 4/22(土) 7:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170422-00000013-asahi-pol
(朝日新聞デジタルの元記事は↓こっち。)
『審議前に売買契約の手順資料 財務省、森友側に渡す』
南彰2017年4月22日07時30分
http://www.asahi.com/articles/ASK4P4KF1K4PUTFK00T.html
以前にもあったことと同様、
『ヤフージャパン』のポータルで、上掲記事掲載日時が該当するページの項目一覧を、何度確認してみても、見つけられなかった。
掲載して間もないうちに、この記事だけ、スコッと抜けてるみたい。
さて、『森友学園』問題については、例の籠池氏が取り溜めていた大量の資料をダンボールごと、追及側に渡してあるということらしいので、
これからも、何やかや出てくるんだろうとは思うけど、
この学園の問題が発覚した当初、私は、あの(元)理事長のオッサンが、そもそも公務員やってた時期が あるとは言えど、小学校建設のための用地における胡散臭い入手手段の かずかずには、なんと言っても専門筋等からの入れヂエが あったはずと指摘しておいたが、どうやらズバリだったようだ。
ニュース ポータルの各サイトで、あっという間に、当該記事を押し流し、以後、浮上する余地もなくしているらしいところを見ると、やっぱり、いろいろと、よっぽどマズイんだろうなと思わざるを得ない。
以前も、このことは、当ブログで言ったと思うけど、
特に自民党や、殊に安倍政権にとって、つごうが悪いかと思われる記事や報道となると、『ヤフージャパン』を筆頭に、他のポータルサイトでも、掲載時間を極端なまでにカットし、早々に引っ込めているようだ。
これとは逆に、
ある種の方面の内容の記事なんかだと、いつまーでも、しつこく、トップ画面にブラさげておいたりしてるがw
そういう やりかたにおいても、何らかの意図を感じさせるという面は あるよねww
サイト側も、姑息な商売を やるもんでwww
そして、今は、「北朝鮮の脅威」を煽るのにヤッキ。
りっぱな情報統制国家なんだよね、日本は、と言うか、日本も。
まあ、あれも これも、なにを今さら、なんだろうけど。
私は、基本的に、インターネットのメリット以上に、社会的弊害のほうを、より重視してきた立場だけど、
たしかに、むかしのように、各大手新聞社の記事やテレビ放送等を信用して、素直に受け取っていた頃には、知らず知らずのうちに、体よく情報コントロールされているうちの一国民かもという自覚に乏しかった、このことに気づいたのは、やはり、インターネットに、日常的に親しむようになってからのことだ。
もっとも、これとても、インターネットならではの、ある意味、悪しき面からこそ気づかされたことの一つでは あるが。
既存の大手メディア以外の、良心的で冷静な、現場に通暁している発信者からの情報をも読み比べることが可能になった、この点は、間違いなく、インターネットのメリット面。
まだまだ「愚衆」と呼ばれるに ふさわしいのが一般大衆の質と姿のままだと、あとは、見分ける力のある人々が、どれだけ台頭できるか、できないかというところが分かれ目かな。
こないだの朝日新聞コラムの執筆者さんに、ついでに言っておこうかね。
こんなこと、もう何度も言ってきたことだけど、
「民主主義とポピュリズム」、これらは、不可分の問題でしょ。
ポピュリズムそのものが、というよりは、その内容にもよるね。
そんなことくらい、日本では「エリート」とされている大手メディアの一員として、とうに知ってるはずよね?
私なんかですら、誰に言われるでもなく分かってることだよ。
メディアと政治と国民。
まさに、「鶏と卵」の関係。
2017.04.02 (Sun)
『(続) 類友夫婦』
私はハッキリ言いますが、
いわゆる「スピリチュアル系」と思われる、また、そう自称する相手と話していると、先方は、みずからを「癒し系」とでも任じているようなのだが、全然、癒されるとかなくて、むしろイライラさせられたり、まったく不快しか感じられなかった。
この感覚には、言わば、「不毛感」が終始つきまとうものなので、
いったい、この不毛感的なものを齎すのは何ゆえなのだろうかと考えていたことも、しばし、あったのだが、
最近、どこかのサイトのコラムで、ある人が指摘しているのを読んで、あ、それか、と思い当たった。
要するに、「思考停止」なのである、ということだった。
これで、もう一つ思い当たったこと。
私が、かねて、「カルト連」と呼んできた連中のうちに、いまでは、間違いなくグルになっていた者として加えている一人に、「ミコデシ」なる、みょうなハンドルを名乗っていた『汚気・愚』常連が いたのだが、
これが、また、何の理由でか、しつこく、私に つきまとってきていたんだけれど
(「カルト連」は皆、そう。ハンドルとっかえひっかえしながら、より大勢に見せかけつつね嗤)、
この者も、ご多分に漏れずの「スピリチュアル」傾倒者で、ズバリ、「思考停止」のススメを やってたわけ。
これで、腑に落ちたわよ。
だいたい、あの「カルト連」ってのは、いやに「スピリチュアル」とか宗教の臭いがプ~ンプンしていて、
そこも、私にとっては反発を もよおす点だった。
まだ ある。
数年前に、あの『産経』系ブログ サイトで、同じくブログを やってた、長野県在住という女性が いたんだけど、この人も、
「スピリチュアルを知ってますか」
てな、ケッタイなことを、私に対して言って寄こしたことが あった。
まあ、ご本人は、その子どもさんが、何かの発達障害なのだそうで、以前のエントリーで触れたように、イイ年齢になってからも、はた迷惑な嘘を つく癖が おさまらなかったとか、
当の自分自身も知能に問題を抱えているとか言ってたので、
さもノンビリおっとり構えているようでも、悩みは深いのだなということは察していたけれど、
いかんせん、鼻につくのよ。
大きな劣等感の反動から来るのか、みょうに、高みから見下ろし口調の、その説教臭さがね。
いや、説教も いいのよ。的を突いてるならね。
だが、ズレた説教は不愉快だし、迷惑。
たまには、ちょっと拾える賢明なことも言うのだから、
私としては、けっして、全面的にクサすつもりまではないが、もうちょっと自覚してもらえんかなあと思った。
たとえば、その人の場合、近隣や職場の人たちに対する鬱屈した思いが あるようなんだけど、
だからと言って、どう見ても、ご本人の生活等に損害を齎すようなことを はたらかれたわけでもないのに、あたかも意趣返しのごとく、その人たちの個人情報に結びつくようなことを、ブログ内にて縷々晒していたから、見かねて、注意したことも あったよ。
まあ、ひらきなおりのうえにも ひらきなおったけどね、その人。
ちなみに、
この女性と、先述の「ミコデシ」の共通点には、
どちらも、知能指数が平均以下だという自己申告が あった。
このことは、何を意味しているのだろうか。
…結局、悩みが あるから、「スピリチュアル」だの何らかの宗教にハマり込んでしまうんだろうな。
かの お釈迦さまですら、悩みゆえの出家だったというし。
どれだけ悩みが あっても、そういう方向には行かない私みたいなタイプも いるんだけどね。
けれど、
私は、これも以前のエントリーでチラッと述べておいたことは あるが、
まず母親とか母方の親戚とかを筆頭に、周囲の者が、「そういう(オカルト的)系統の資質」だったし、
ある種の「才能」と言うか、能力のうちでは あるんだろう。
だが、それが あるから人格者、でもないし、見識が全般に優れているというわけでもない。
それは、たとえば芸術などの方面や、どのような分野での才能を持っていても同じこと。
このテの「特技」が ある人は、たいがい、自慢してみせたり、自分は特別な存在なんだと思いたがる人が多いようだと、
私は、うちの母親を はじめ、その他、周囲を見てきて実感してるのだけれど、
こういう傾向ってのは、ほれ、「人格障害者」の特徴でもあるでしょw
実は、この私自身も、「霊的」としか言いようのないフシギな体験なんか、何度も してきてる。予知夢とかね(笑)いえ、マジな話だよ。
でもね、
それだからといって、何らかの既存の宗教や「スピリチュアル」だのといったものに走ろうとは思わないんだ。
辛いことが あったからと、おんおん泣いたり、酒をガブガブ飲みたおしたりして憂さ晴らししようと思わない、そんなことしても、なんになる?と思うのと同じ感じかな。
まずは、自分のアタマで、とことん考えるから。どんな偉い人の お説にも頼らない。
もちろん、他人の意見に耳を傾けることは するし、参考にできそうなことが あれば そうする。
ときには、手放すことも必要だし、否応もなく、そのときは来るものなんだけれど、
まずは、自分のアタマで考え抜く。手放していくのは、そのあと。
【続く】