2017.04.02 (Sun)
『(続) 類友夫婦』
私はハッキリ言いますが、
いわゆる「スピリチュアル系」と思われる、また、そう自称する相手と話していると、先方は、みずからを「癒し系」とでも任じているようなのだが、全然、癒されるとかなくて、むしろイライラさせられたり、まったく不快しか感じられなかった。
この感覚には、言わば、「不毛感」が終始つきまとうものなので、
いったい、この不毛感的なものを齎すのは何ゆえなのだろうかと考えていたことも、しばし、あったのだが、
最近、どこかのサイトのコラムで、ある人が指摘しているのを読んで、あ、それか、と思い当たった。
要するに、「思考停止」なのである、ということだった。
これで、もう一つ思い当たったこと。
私が、かねて、「カルト連」と呼んできた連中のうちに、いまでは、間違いなくグルになっていた者として加えている一人に、「ミコデシ」なる、みょうなハンドルを名乗っていた『汚気・愚』常連が いたのだが、
これが、また、何の理由でか、しつこく、私に つきまとってきていたんだけれど
(「カルト連」は皆、そう。ハンドルとっかえひっかえしながら、より大勢に見せかけつつね嗤)、
この者も、ご多分に漏れずの「スピリチュアル」傾倒者で、ズバリ、「思考停止」のススメを やってたわけ。
これで、腑に落ちたわよ。
だいたい、あの「カルト連」ってのは、いやに「スピリチュアル」とか宗教の臭いがプ~ンプンしていて、
そこも、私にとっては反発を もよおす点だった。
まだ ある。
数年前に、あの『産経』系ブログ サイトで、同じくブログを やってた、長野県在住という女性が いたんだけど、この人も、
「スピリチュアルを知ってますか」
てな、ケッタイなことを、私に対して言って寄こしたことが あった。
まあ、ご本人は、その子どもさんが、何かの発達障害なのだそうで、以前のエントリーで触れたように、イイ年齢になってからも、はた迷惑な嘘を つく癖が おさまらなかったとか、
当の自分自身も知能に問題を抱えているとか言ってたので、
さもノンビリおっとり構えているようでも、悩みは深いのだなということは察していたけれど、
いかんせん、鼻につくのよ。
大きな劣等感の反動から来るのか、みょうに、高みから見下ろし口調の、その説教臭さがね。
いや、説教も いいのよ。的を突いてるならね。
だが、ズレた説教は不愉快だし、迷惑。
たまには、ちょっと拾える賢明なことも言うのだから、
私としては、けっして、全面的にクサすつもりまではないが、もうちょっと自覚してもらえんかなあと思った。
たとえば、その人の場合、近隣や職場の人たちに対する鬱屈した思いが あるようなんだけど、
だからと言って、どう見ても、ご本人の生活等に損害を齎すようなことを はたらかれたわけでもないのに、あたかも意趣返しのごとく、その人たちの個人情報に結びつくようなことを、ブログ内にて縷々晒していたから、見かねて、注意したことも あったよ。
まあ、ひらきなおりのうえにも ひらきなおったけどね、その人。
ちなみに、
この女性と、先述の「ミコデシ」の共通点には、
どちらも、知能指数が平均以下だという自己申告が あった。
このことは、何を意味しているのだろうか。
…結局、悩みが あるから、「スピリチュアル」だの何らかの宗教にハマり込んでしまうんだろうな。
かの お釈迦さまですら、悩みゆえの出家だったというし。
どれだけ悩みが あっても、そういう方向には行かない私みたいなタイプも いるんだけどね。
けれど、
私は、これも以前のエントリーでチラッと述べておいたことは あるが、
まず母親とか母方の親戚とかを筆頭に、周囲の者が、「そういう(オカルト的)系統の資質」だったし、
ある種の「才能」と言うか、能力のうちでは あるんだろう。
だが、それが あるから人格者、でもないし、見識が全般に優れているというわけでもない。
それは、たとえば芸術などの方面や、どのような分野での才能を持っていても同じこと。
このテの「特技」が ある人は、たいがい、自慢してみせたり、自分は特別な存在なんだと思いたがる人が多いようだと、
私は、うちの母親を はじめ、その他、周囲を見てきて実感してるのだけれど、
こういう傾向ってのは、ほれ、「人格障害者」の特徴でもあるでしょw
実は、この私自身も、「霊的」としか言いようのないフシギな体験なんか、何度も してきてる。予知夢とかね(笑)いえ、マジな話だよ。
でもね、
それだからといって、何らかの既存の宗教や「スピリチュアル」だのといったものに走ろうとは思わないんだ。
辛いことが あったからと、おんおん泣いたり、酒をガブガブ飲みたおしたりして憂さ晴らししようと思わない、そんなことしても、なんになる?と思うのと同じ感じかな。
まずは、自分のアタマで、とことん考えるから。どんな偉い人の お説にも頼らない。
もちろん、他人の意見に耳を傾けることは するし、参考にできそうなことが あれば そうする。
ときには、手放すことも必要だし、否応もなく、そのときは来るものなんだけれど、
まずは、自分のアタマで考え抜く。手放していくのは、そのあと。
【続く】