2022.02.19 (Sat)
『【続】最新の所感いくつか――超弩キュンの世界――』の続き。
女性でも、それなりの経済力が あれば、バカで凶暴な男と かかわらずに、一人で子育てできると力説する「ヤフゴミん」どもは、すっかり忘れてしまってるようだが、
たしか『埼玉』県下の、とある学校の教職員だという、キャリアも経済力も あるシングル マザーが、小学生の一人息子の世話と監督役を受け持たせるつもりで、これまたネットで物色したらしい、そうとう年下の男を、自宅に迎え入れて結婚し(要するに「ヒモ」)、わざわざ、息子と同じ部屋で起居させていたとかいう、そんな状態だった、その「世話係」兼「ヒモ」男が、託されていた小学生を殺害した容疑で逮捕された、という事件が、数年前に起きたわね。
経済力ある母親のミエとウヌボレと小賢しさによる、とんだ誤算。
子どもに、もろにトバッチリ。
どういう顛末になったのやら、
なんか中途半端なまま、報じられなくなったようなので、私は、その後を知らないけど。
男性一般にも、子どもっぽく、あさはかな拘りが あるのと同様で、
ちょっと昔までは、ずばり、「コブ付き」の年増女は、ふつうは、男に敬遠され、もはや、女としては相手にされない代名詞の如き存在だったのが従来。
貧しい生活のなか、思いがけず、亭主を失えば、キャリアなき女は、髪振り乱し、粗末な なりで、汗水たらして労働してたら、お化粧パフパフどころじゃない。
大概の場合は、子どもを手離し、自分の身ひとつになり、あらためて、他家へ嫁入りし直す。
でなきゃ、夜の世界に入る。
あえて言わないでいたが、
私なりの、そうとうに辛辣な観察と分析を述べてみようか。
子どもが何人いようと、
いまどきの日本の母親は、浮ついたハイティーンの頃のように「女の子」のままで いたがるのかな。
それとも、昔から、女性には一定の、そんな傾向が あったかもしれないが、
現代は、外見も、実年齢よりも飛躍的に若く見えるようになり、おまけに、若い女性の多くは、ほんとうに研究熱心でwお化粧の腕前だけはwこれまた飛躍的に上がったみたいだし、そのニーズに応える様々な商品も豊富に揃う時代となっているから、年齢を重ねても、いつまでも「女女(おんなおんな)」していたいし、しようと思えば、かなりの程度は可能という時代の風潮が あるようにも思える。
そのせいか、
「カレシ」と呼べる存在が常に いないと、なんだか肩身が狭いかのようでもある。
ましてや、猫も杓子もという勢いで、軽薄なインターネットが拍車を かけている。
昔なら、いわゆる「お水」系とか性的な商売の女性特有、みたいなものだったろうと思うのだが、現代女性は、もはや、「カタギ」の一般家庭の娘や学生であろうとも、気軽なバイト感覚で稼げるくらいに思っているし、そういう感覚に、抵抗感が少なくなっていると思う。
結婚が伴っていようと いなかろうと、少なくとも、子どもを産むということは、すなわち、セックスする関係の親密な男が いるもん!という、一種のミエみたいなもんでもあるのだろう。
まさに、「性の商品」たることを、女性みずからが肯定し、拘り、
学問などや仕事に邁進できない女性は、ますますもって「商品としての女性」ロードを ひた走るしか なく、
けっこうな手当金(税金)を もらって、せっかく出産した子を、片っ端から虐め殺していくようでは、まったくバカバカしい仕儀だとしか言いようが ないが、
たしかに、日本では昔から、特に女性の価値は若いことに置いているし、
日本に限らず、ほぼ世界共通の基本では あるのだろうが、やはり外見に囚われる傾向は確かに ある。
外見有利であれば、それだけで、結婚でも仕事でも有利。概ねの事実では ある。
もっとも、弊害(悪い虫w)が つきまとうことも少なくない。本人の知性と見識しだいの面も大きいだろう。
生来の容貌が人並み以上でさえ あれば、内面的には浅薄な人がらで あったり、無意識のうちに、容貌を鼻にかける人も、めずらしくは ないのを、私自身、身近な例で幾つも知っている。
どういうわけか、容貌の格差バラツキが、昔から大きいらしい?お隣の国では、整形が盛ん過ぎるのかw特に芸能人などは、皆、唖然とするほど、揃って同じ顔に見えてしまうことも あるがww
心理的に、内心の劣等感が どうにも できないほど つよいもので あると、やたらと外見ばかりを気にするようになるのは、めずらしいことでは ない。たとえ、生来の美男美女で あってもだ。ましてや、そうでないとなると、、、(ry)
とりあえずは外面的に自信が持てれば、いちおう安心できるし、
この場合の「外見」には、学歴や肩書の類も含まれてくる。
以下は、先日のエントリー『【続】昔の「ヤング ケアラー」と、現代の母親たち』の追記です。
「裁ち鋏の鋭い刃は、義祖母の太腿に突き刺さり、救急車を呼ぶ騒ぎになった、そのあいだじゅう、義祖母は、狂ったように泣き喚いていたという」
このように述べたのだが、
述べた あとから思い出した。
と言うのは、
その当時、すでに、十代で嫁がされたために、おとなしい妹を庇うことも できなくなっていたという、私の母親の述懐によれば、
たまたま、そのとき、父親(私の祖父)が不在だったのを いいことに
(だから、義理の娘を素っ裸にして、家の外へ放り出す狼藉を やれたんだろうが)、
義祖母の虐待ぶりを普段から知っていた近所の人たちが、スクラムを組むみたいに、救急車を呼ぶのをジャマしたか、テキトーなこと言って、ていよく、救急隊員を追い返したか、そういう話だった。
継子に対する虐待が酷かった義祖母が、ついには殺されたとしても、事情を知っている近所の人々は、ひょっとすると、やっぱり、救急を呼ぶのをジャマしたかもしれない。
昨今の虐待事件を めぐる、ご近所や周辺の人々の反応を報じる記事を眺めていて、ふと、そのことを思った しだい。
【続く】