2022.02.13 (Sun)
いつも いつも、あさはか、小賢しい、
それが、「ヤフゴミ捨て場のヤフゴミん」連中だ。
「縁なき衆生は度し難し」とは言えど、
今回も また、こうして、ブログ更新、
ああ、めんどくせえ。。。 ほんとに、めんどくせえ。。。
どうして、わかんないかねえ。
子どもの虐待や子殺しの問題に限らない。
複雑怪奇な人生の実態・様相を知らない者に、こういった案件の分析・理解は できまいよ。
ましてや、
現実の対応となると、ものが分かっている人ですら困難だもの。
実際問題、せっかく通報しても、ムダになってる事例が幾つも報じられてる。
通報できるのは、まず、交友関係が ある場合か、多少なり、異変を目撃した場合に限られる。
まったく かかわりのない他人だと、すぐ隣に住んでいても、密室のなかのことは分からない。
まあ、どんなことでも、ほんとうに、他者を助けようと思ったら、ハンパなことでは無理だろう。
けれど、ほんの ちょっとのことが、命拾いに繋がったことも あるのだ。
非力な私でも、気づく努力、気づいた以上は、自分に できることを やるまでだ。知っていて知らん顔だけは すまい。
まずは、やらなきゃ始まらないことが、すでにハッキリしている手立てを、政府や行政各所が、さっさと 取り掛かれ!
いつまでもグズグズするな!!
保身にばかり汲々と しくさって。
有権者国民も、いつまで寝ボケてんだ?
ただね。
『児相』とか、育てられないなら、親から引き離して施設に、とカンタンに言っても、それが万全の解決策であろうはずもない。
そもそも、親に見捨てられたカタチや、自分を養育する力のない親だったから引き離された、
そんな立場になった子どもが、てんで嬉しいはずも なく、
心底では、みじめで寂しい思いを抱えているのもアタリマエだろう。
私自身、ある夜の親父が暴れている最中、辛うじて隙を見て、ひとまず、近所の知人宅へ、母親と共に逃げ出したことが あった。
そこは、幼なじみの家でも あり、おじさんも おばさんも、むかしから、うちの事情を多少は知っているのだけれど、やっぱり、認識が甘いのよ。
おじさんは、
「□△ちゃん(私のこと)は、うちで泊める。けど、あんた(私の母親)は帰りなさいよ」
と言った。
それで、私は、引き止める おじさんたちを断って、結局、母親と一緒に、スゴスゴ帰宅した。
帰り道で、
「おかあさん、死にたいね」
私が呟くと、
母親に どやしつけられた。
さて。
「子は、親を選べない」のと同じく、「親だって、子を選べない」。
この小賢しいセリフ、うちの母親も、口とんがらかして言ってたよw
まあ、たしかに「産む産まないの選択は、ある程度は~」みたいに、これまた小賢しい断りを言い添えてたけど、
こういうことは、とりわけ、生物の一種でありつつも、人間ならではの特殊性も影響するので、基本的には、人間以外の動物たちのように、時期が来たら、何らの疑問も持たず、本能的なものに従う、そういう人間のほうが圧倒的に多いだろうけれど、
同時に、「賭け」を覚悟しなければ ならない面も あるよね。
だからこそ、
まずは「五体満足」であることにホッとするのよね。
「金融投資」などと同じくで、「賭け」は、やっぱり自己責任だ。
自分はリスクを負いきれるのか どうかを考慮しなければ ならない。
リスクなんか ないだろうと、もし、あったとしても、なんとかなるさ~、自分以外の誰かが なんとかと、ノーテンキまる出しの幼児的万能感の、
年齢、いや、カラダだけ成人こそが、いちばん、子どもをホイホイと産む(嗤)
でも まあ、そういうアホやバカの おかげで、人類は連綿と続いてこれた(嗤(嗤)
知性が高い者ほど、子を産むことを躊躇し、あれやこれやのリスクも考えてしまうのは当然だし、
それでも、大概の場合、敢えて産むことのほうに傾けさせるのは、
やはり、自己愛とウヌボレだろう。
ましてや、男性側は、少なくとも、妊娠・出産については、自分の心身の負担が ない。
どこまでも「据え膳」みたいなもんだし、だからこそ、その代償を引き受けないと、責められる。
ことさら、「男として!」「守るんだー!!」と、自他に対して精いっぱいにリキまざるを得ないw
「籠のなかに入りたがる鳥、出たがる鳥」(嗤)
あまり苦労せずに、スムーズに生きてこれた人なら勿論だし、
真逆に、
苦労だらけで、それがコンプレックス、劣等感の原因になってしまってる場合も、
「ここで挽回するぞ」とか「やっと人並みだぁ」とか、ささやかな「支配欲を満たせるかも」といった目的で産む、特に現代社会は、そんな人も多いだろうと思う。
出産でも結婚でも、人生のスゴロクに おいて、言わば最大の「賭け」だわね。女性にとっては特に そうだろう。
少なくとも出産は、さしづめ、ここ数年来、私個人的に、『ユーチューブ』などで視聴してきた、主として『アカゲザル』などに おける出産・育児の ありさまを観察していたら、人間の場合と同じく「賭け」なんだ。
母猿の気質、体調、タイミング。子猿も同じく。
もちろん、人間の場合と同様、難産だったり、先天的障碍を持って生まれる子猿も少なくない。
基本的には野生だから、それだけでも危険が様々に待ち受けるが、そこへ加えて、人間どもが齎す悪影響も大きい。ゆえに、
母親も、一部の四肢の欠損やら失明などの障碍を負っていることが多いうえ、食料の乏しさから、母乳の分泌も乏しいことが多い。したがって、せっかく生まれた子どもの発育も貧しい。
もちろん、知能的欠陥を伴って生まれてくる子猿も いる。人間と同じ。
ところが、知能の遅れが伴う子猿に対して、通常の子猿に対する以上に根気づよく、甘やかしているとさえ見えるほど可愛がって育てる母猿も いるんだよ。
むしろ、まずまず健康な子のほうには厳しめで、できるだけ早く自立させたいのだろうが
(のべつ しがみつかれて、乳を吸われる母猿もシンドイからね)、
しかし、なぜか、特に知能に問題を抱えている子のほうには甘い。
私が観察し続けた親子のなかでも、ある子猿は、あきらかな知能の遅れが見られた。
「毛づくろい」は、猿の社会に おけるコミュニケーション、
それは、もともと、健康のための処方であり、ケガなどの回復を促進するためでも あり、子猿を よく眠らせ、躾と自立を早めるためでも あり、
真面目に真剣に行なうべき、「神聖な」仕事の一つでさえ ある。
通常レベルの発育状態にある子猿なら、おとなの猿たちを見習って、毛づくろいの やりかたを覚えようとの積極性の発露が見受けられるのに、
くだんの、先天的に知能の問題が見られた子猿は、ずうたいが大きくなってからも、なかなか覚えようと せず、怠惰で、なげやりで、もっぱら、やってもらうほう専門。
常に、母親の乳を恋しがり、ねだり、食べることだけ夢中。
この光景を、うちのブログで紹介し、私も、いささか冷笑していたことが あるのだがw
ところが、
いつの間にか、毛づくろいを覚えており、
他の猿に対して、積極的に取り組むようになっていた。
まあ、多少はヘタなようだったがw
それでも、真剣な眼差しで、没頭して やっていた。
私は、それを見ながら、
よくあるアクシデントのようだが、人間の何者かに殺害されたらしき母猿を思い浮かべ、
「根気づよく育てた甲斐あって、死んじゃった かあちゃんも、やっと報われたねえ」
と、
心のなかで労いつつ、その先天性知能障碍の若いオス猿の成長ぶりを、しみじみと眺めた。
こういう例は、他の親子にも見られた。
しかし、恐らくは、少ない事例なのかもしれない。
くだんの母猿は、比較的に体格が大きく、母乳の出も豊かなほうで(これは決め手)、しっかりしたベテランかあちゃんであり、知性の高さを窺える雌猿だった。
猿の社会では、母親の知性や気質如何、健康であることは、人間社会に おける生育環境の有利さと如実に重なるもので、
親自身が生きのびるために、いろいろと不利な条件が重なる場合などは、障碍の ある子どもは、さっさと見捨てることも多いだろう。
付け加えて言うと、
オス猿でも、余裕が あるなら、自分の子を可愛がるのみならず、群れのなかの子猿を躾けたり、メンドウを みてやったりも するのだが、
自分の食料を確保するために、人間の興味や関心を惹きやすい可愛い子猿を、母猿から奪って確保し、その子猿の餌を全て横取りして、ついには餓死させてしまう例も ある。
人間にも、いろんな面で、子を利用する親やオトナなんて、めずらしくもない。
【続】