2019.05.03 (Fri)
5/2(木) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190502-00026841-forbes-bus_all
「~教育分野で目新しい問題ではないが~」
そのとおりで、
まあ、およそ「教育」というものに つきまとうジレンマみたいなものかな(笑)
ただ、アメリカでも、こういう問題が あるんだというのなら、日本なんかは、骨の髄まで、というレベルだからねえw
ま、国の違いに関係なく、一般大衆とは、そういう傾向なんだろうな。
だから私は、「民主主義」だから「多数決」だ(←違うよw)、
「国民投票」やるべ、というのは反対なの。
こんだけ教育レベルが高い、先進国なんだ、と言いながらも、
相変わらず、アホが多過ぎるからw
なので、私は、一般大衆や民衆というものをも、あまり信用してない。
「~米国人はただ自分が支持する側の人々を擁護し、議論の対象となっている問題については考えない傾向にある~」
へえー!
だって、アメリカって、「ディベート教育」が盛んじゃなかったっけ?
「~現在の米政界では、真実を述べたり追求したりすることがあまり重要視されていない」
いやぁ、むしろ、あちらさんでも認めてるように、日本政界の、とりわけ、安倍ちんらの真似しとるんでしょうよww
日本では、政界でなくても、「真実を述べたり追及したりする」と、袋叩きや迫害に遭う恐れが高いからね。
「空気読め!」
長芋あいや「長い物には巻かれろ!」
「水を さすな!!」
っつう定番のコトバもある、
「忖度ソンタクるるるるるん♪」の国柄ですからw
それでこそ、特別の才能は持ち合わせぬ、凡庸な者でも出世できるシステムだもの。
おりしも、『天皇・皇室』崇拝やってる連中を見てたら、そのことが あらためて実感できるわなww
ただ、個人的実感から、算数・数学に関してだけは、あとあとを考えると、ある程度には、「落ちこぼれ防止」策は重要だと思う。
この分野は、まず正解が決まってるもんだしね。
私個人の場合、国語や現代文とかって、いっさい、勉強なんか したことなかったよ。
もともと勉強ぎらいと言えば それまでなんだけど、国語系の科目に関しては、どうやって勉強すれば いいのか自体、わからなかったもの。
漢字の書き取り練習とか、文学年表の暗記とかなら ともかく、とは言え、漢字の書き取りも、ほとんど やったことが ない。小説でも何でも、漢字が出てくる文章に、日常から接してたら、それだけで覚えていくもんだし。
しかしながら、
私は、たとえば「この詩の作者が、いちばん言いたかったことは何か?」といった問題の答えを外したことは、まず ない。
たいがいピンと来るものが あるので、それを そのまま答えたら、常に、トップ クラスの成績を維持できていたから、ますます、勉強の必要を感じない。
だいたい、詩作品と論文とでは、異なってくるから。
ビジネス文書が「ポエム」では、そりゃ困りますよ。仕事にならねえし。
私個人的にも、すごく困る(爆)
けど、
詩において、論理だけ追及したって しょうがないでしょw
それこそ、「行間を味わいつつ読む」ってものが あるんだし。
私は、その「行間」ってやつを、読み取るのも、自分で書いているときも、かなり苦手なほうなんだけど(苦笑)
それでも、
少なくとも、ガッコの国語のテストや何かで、正答をハズシたことは、まず ないなあ。
京大や東大の過去の入試問題を見たことあるけど、たしかに、ほとんど「いじわるクイズ」みたいなもんだったwこれ作成した人は、よほどのヒネクレもんか、性根が悪いんだろうなあと思ったw
ひるがえって、算数や数学はね。。。
このことも、旧ブログや、その他で述べたことが ある話なんだけど、
私の場合、周囲も、そして自分自身も持て余したのが、
「公式の意味」
を解説してくれろと言い張り、教科担当の先生でさえ、納得のいく解説を してくれなかったら、そこでブチ切れちゃう、みたいな感じでw
クラスの友だちも含めた周囲からは、
「あんたさぁ、公式さえ暗記しといたら、それ使っただけでスイスイ解けるようになるんだから、ね?」
と勧められても、納得いかないと、頭に入れられないんだわ、これが。
われながら、困ったもんだと思うんだけど(苦笑)
そういうわけで、
せっかくの公式を使えないから、自分なりに工夫wしてww、むしろ、文章題だと、いちおう正解を出したりしてたwww
でもさ、ある数学の専門家が言ってたには、ほんものの数学的才能が あったら、「公式の意味」なんて、それこそ、ピンと来るものなんだって。過去エントリーでも紹介した話です。
ところが、『集合論』だけは、難しいと思ったことが ないの。
クラスの優等生たちが、呻吟してたのを横目に、なにが難しいんだろか?と怪訝に思っていたものだ。
まっ、なにごとも、想像力を培うことが大切なんだろうと思う。
想像力の「引出し」を増やす。
それは、学問の世界だけじゃなく、人生そのものにも重大な影響を及ぼすほどのことだ。
さて、例によって、「ヤフゴミ溜め」のコメントを流し読みしてたら、
まさしく、あの「カルト連」の、なかんづく、「ストマック」なんたらいうハンネで、『汚気・愚』に出没してたオジンを ひっさしぶりに思い出したw
そうそう、「形式論理」とかってやつww
よく知らないが、まあ要するに、「文字で書かれていることが全てである」すなわち、ここでは、たとえば、あるコメント投稿者が出してた事例では、宮沢賢治の『やまなし』ですか、私は、この作品は、全体を きちんと読んだことは ないのだが、これに登場するという「青いもの」は「青いもの」と書いてあるんだから「青いもの」でしかない、という、単純過ぎる受け取りかたね。
これは、しかし、問題も限界も ある。
「青いもの」とは、いったい、何なのか。
それを追究していくのも、学問だし、
作者本人が、「青いもの」の正体を知っていながら、敢えて、「青いもの」とのみ記したのか。
あるいは、
それが「かわせみ」であることを、少なくとも、その時点では知らなかったから、単に「青いもの」としておいたのか。
作者が、正直に書くとは限らないのよw
そして、わざと曲解させるように仕向けることも あるだろうよww
ま、
「青いもの」は「青いもの」でしかない!
それ以上でも それ以下でも ない!
という受け止め方は、「アスペルガー」的でも あるのだろうが、
実際、生活上の問題としては、アスペルガーの人にとって、これは猛烈に苦手な示し方だろうなあw
うん、そうだ、フランスの映画にね、『まぼろし』という名作が ある。
これ、むかし、例の『汚気・愚』で回答するときの題材にしたことが あるんだけど、
ちょっとネタバレみたくなってしまいますが、ご容赦ください。
最後のシーンで、亡くなったらしい(自殺の疑いが濃厚っぽい)人が現れる、これを、実は死んでなかったから、そこへ戻って来て立ってたんだ、と解釈するのか、
そもそも、この作品の題名になっているように、主人公の願望から来た幻視みたいなものだったのか、
とにかく、向こうのほうに立っている、夫の姿を している人の所へ行こうと、主人公は一目散に走りだすのだけれど、場面は、そこまでで終わる。
答えは一つに絞れない。
だからこそ、いわゆるクロウト筋のあいだでは名作とされているんだろうけど、そして、私自身も、そう思うけれど、
世の一般大衆の評価は高くないらしい(苦笑)
『まぼろし』とは、最後に見えた人影のことなのか、
あるいは、
それまでの全てが「まぼろし」だったのか。
2019.04.14 (Sun)
あの『汚気・愚』でもそうだったが、
複アカ多重投稿して、それは小遣い稼ぎでやってるのか何だか知らないが、
まーた、ここへ覗きに来ては、私が書いたことを、アホみたいにパクって(つまり、オマエさんには、思考や思想のオリジナリティや哲学的資質が備わってないからw)、しかも、
しまつの悪い歪めかたを する
(オツムと性格の歪みそのものが表出しとるw)このパターン。
おい、カルト野郎。
あんた、いまだ かつて、まともに就職して、会社勤めした経験ナシだろw
で、うちのブログに来て、これ↓読んだんだろ(嗤)
私はね、「マイペース」であること自体を咎めたわけじゃない。
過ぎると問題だよ、って言ったの。
そりゃ、どんなに「マイペース」でも、分担した仕事さえ きちんと進行できているなら、周囲にシワ寄せは行かないのだから、誰に迷惑かけて恨まれることもない。
私自身、体質の弱点もあり、本来なら、サッサカ動けるタイプじゃない。いたって のんびりした性分だし、それこそ、心ゆくまでマイペースを通させてもらいたい。
自分のペースを無理に変えることほど、ストレスになるものは ない。
でも、それだと、仕事が終わらないことも多々あるのよ。特に、チームワークで、常に締め切りに追われる業務だとね。
べつに、「マイペース」だとしても、私自身は自分の担当分だけは、最後に帳尻合わせて捌いていけるんだけど、
かなしいことに、障碍のため、一部だけ、大目に見てもらわないとならないことが あるから、
「マイペース過ぎ」るあまり、サッパリ進行しない先輩の担当分を、新入りの私が引き受けざるを得ない状態になってしまってたわけ。
当時の上司の言い分では、
「障碍のために、どうしても できないことが ある分、他の社員の何倍も こなしなさい」
と要求されてたんでね。
なんでやねん、と思うけどさw
新入りの こちとら、仕事できない先輩社員よりも、給料が少なかったんだけどさw
だいぶ前の過去エントリーでも書いたとおり、
あの当時は、異様なほど無能な先輩社員の、その無能の原因なり理由なりに、気づいていなかったから、ものすごく怪訝に思ってたわけ。
私に対して、過重なほど要求する上司を始め、少なくとも人並みの能力の先輩社員たちも、おもて立って注意するということを避けてたようだし、
私にばっかり押しつけるかわりに、本人に言わないのがフシギだった。
いまごろになって振り返ると、あ、と思うわけ。
いわゆる『発達障碍』の一種だったのだろう、
「マイペース」過ぎて、本人一人は、自分の業務の進捗ゼロでも、
他の全員がネジリ鉢巻き状態で、こめかみに青筋たてて、もうすぐ来る締め切りに合わせなければならんとガンバってるっつう状態なのに、
いちおう設定された休憩時間になれば、本人一人、つと立ち上がって、自分のための お茶を汲みに行く。
自席に戻ってくると、マイ湯呑みを、机の上の、寸分たがわぬ決まった位置に置く。
「どこまで進みました?」と尋ねると、案の定で、全然サッパリ。。。
それを知って、ゲゲッと のけぞった各メンバーは慌てて、自分の担当分に、「マイペース過ぎ」な おかたの分の仕事を つぎ足す。当然のように、私には、より多く足されるw
よりいっそう処理スピードを上げていくチームのなかで、一人、涼しい顔して、おもむろに、マイ湯呑みを取り上げ、お茶を すすっておられ。
そりゃ、しまいに怒られても しょうがないわなあ。
でも、本人、キョトンとしてるのよ。性格が悪いというのとも違ってた。
それで、高校のときのクラスメートを思い出した。
授業中に、堂々と、教壇に背を向け、真後ろの席の子に話しかけてる。
普通の大きさの声で!
話しかけられてた真後ろの席の子は、さすがに、終始、小声で応じてたけど、
先生が、「△▼さん」と、最初は静かな声で呼びかけて、それを全く無視しよるもんだから、先生もカチンときたのか、もう少し大きな声で呼ぶ。
それでも相変わらず、真後ろ向いたまま、自分ひとり くっちゃべってる。
どうもね、悪いこと、非常識なことしてる意識ないんだ。
とうとう、業を煮やした先生が、かなり大きな声で、前を向くよう叱ったら、やっと振り返った本人、キョトンとしてやんの。
で、しばらくしたら、また繰り返す。
私もビックリした。
教師をバカにしてるのでも なく、悪気なく、ああいう態度を とれるんだから。
成績は、まあ中くらい?いちおう真面目な子だったよ。全体に地味と言うか、女子高生らしい華とかシャレっけとか全然なかったけど。
正直言うと、その子に対して、良い印象は持てなかった。
私が聴覚障碍のせいなのか、それとも、他の理由でなのか、
なぜか、いつも小バカにしたような眼つきと見下すような態度だったから。
なので、上記のような、授業中の異様な態度を目撃して、
やっぱ、この子、ヘンやな、と思ったもんだ。
『発達障碍』というコトバや概念は、まだ全く知らなかった。
【続く】
2019.03.28 (Thu)
『けしからん『ソフトバンク/ヤフー』』の続き。
それにしてもだ。
最先端技術を つかさどる世界の代表格のはずだろ?「インターネット」ってのは。
そのなかでも、『ソフトバンク/ヤフー ジャパン』は、国内で最大手の一角じゃないかい。
それが、ひとたび何か問題が起きたら、
聴障者にとっては泣き所の、ややこしい電話案内のみかよ。いやはや、えらく素朴なこって。
まじで、この際だから、今度こそは、プロバイダーから変えちゃる!
と思ってたんだけど、
最初に相談させてもらったスタッフのニイチャンに、
「これまで契約してきたものを止めて、新契約となると、違約金とか工事代金とか発生しちゃいますから、正直、おすすめできません」
と言われた。
でもまあ、カスタマーサービス電話番号を調べてくれて、教えてもらった おかげで、なんとか、なんとか、かたづいた、ようだ。。。やれやれ。
と思いきや、
なんかイヤな予感が、なお残る。。。![]()
というのは、
『ソフトバンク/ヤフー』が寄こす宅配業者から、うちに来る直前に、予告電話一本、入れてもらえないですかねと尋ねたら、大まかな時間は指定できますが、電話の御要望については お受けできませんということだったので、しかたない、
こういう場合には、玄関ドアを開けっぱなしにする、もしくは、ドアの傍に立ちっぱなしで、ひたすら待つのよ。
相手が来るまで。1時間でも2時間でも。
真冬の風が吹き込もうとも、真夏の熱風が押し寄せようとも。
なぜって、ドアホンも聞こえないからね、私の場合。
先日は、寒さが戻ってきた感じだったし、『ソフトバンク』の店舗を探し回って疲れたせいか、カゼっぽくて、体調が良くないから、玄関のドアを開きっぱなしにしておいたあと、ちょっと横になってたら、タイミング悪く、業者が やって来ていたのに気づかず、
そそくさと「ご不在連絡票」だけ置いて行かれちゃってた。
だいいち、
何度も念押しといた予定時間帯と違うがなー!!サガワくんよぉ!![]()
あわてて、電話受付に、再配達を頼もうとしたら、なぜか、受付の女の子の声が、
「お客様の お声が聞こえません」
とか言ってるようだったが、アッサリそのまま、冷たくプツン。
あ?えっ?ちょっとお!!
それは、こっちのセリフですがなー!!!![]()
たいがいの場合、玄関ドアが大きく開いてるのに、インターホン鳴らしても、玄関先へ出て来なかったら、大きめの声かけて呼んでくれるんだけど。
もう一度、配達担当の人に電話し直して、これから持って来てもらいたいが、何時ごろになります?と聞いても、ハッキリとは分かりません、多分、夕方の5時ごろまでなら、なんとか、、、と言ってるらしい。
そんなら、5時までということで待ってます、玄関のドアホンが聞こえないから、ドアを開けっぱなしにしてあるので、もし出て来なかったら、大きな声で呼んでくださいね、と、あらためて念押し。
というわけで、終始、スッタモンダが続いた。
なんだか、うちのクソ親と『ヤフー』が、がっちりリンクしたかのような構図だった。。。
だが、
私にとって、このメンドクサ~イ「構図」は、人生の様々な場面において定番パターンとさえ言えるものだ。
何故かは知らんが、呪いなんだろうな、母親の。![]()
私の障碍特性上の必要から言っても、特に、メールや、聴力を必要としない調べものなどの有用性は あるから、ただクサすばかりにするつもりは ないのだけれど、
マスコミ業界も含めた商売人、その御用達の政治屋、そのまた御用達の役人ども、
それらを戴いているだけのことは ある一般国民・大衆が、どんだけ~;なレベルなのかということも思い知ってしまったのは、インターネットの世界を通してならではだった。
ネットを使ってなかった頃は、いまの世のなか、これほどに、バカが跳梁跋扈してるとは、想像の外だった。
「パソコンやインターネットなど ないほうが、しあわせだった」という意見にも頷ける気が してくるな。
「こんなもの、イラネ!!」のなかに放り込んでしまいたくなるような気も してくるよ。
さて、近く行われる統一地方選挙、そして、参院議員選挙。
そこで、懐かしの1曲を。
〽これから始まる大レース~
ひしめきあって いななくは~♪
「駄馬いっせいにスタート!!」![]()
でもでも、1頭2頭くらいは、駄馬じゃないのも混じっている、と思いたいわなあ。
そうでないと、ますます無気力に陥ってしまいそうだもの。。。
ちなみに、
以前の地元首長の選挙で、候補者が、いずれも『自民』か自民寄りの党から出てるという、異常なほどの狭い選択肢しかなかったので、
思案投げ首を繰り返しても、どっちの候補者にも投票する気になれず、
なおも迷いつつ、とうとう、投票所に着いて、そのなかに入り、白い投票用紙を、意味なく凝視しながら、筆記具を握っても、なお、決めかねていた。
いつまで そうしているわけにも いかない、投票所のスタッフたちに不審に思われてしまうと焦ったあげく、
「全員、イヤ!!」
と書いた用紙を投票箱へ![]()
もちろん、「無効票」にしかならないわけだが、どうにも こうにも、ゲンナリする候補者しか いなかったもんで。。。![]()
「白紙投票」はダメだという基本の考えを堅持する私が、このようなことを したのは、それが初めて。
願わくは、選択肢が あるようでいて、どれも選択したくないという、ある種の「拷問」めいた選挙だけは、御免蒙りたいものである。
しかし、
「選択肢が あるように見えて、実は選択になっていない」、
こういうことって、選挙以外の場面でも、私の人生では、けっこう多かったような気が する。。。
一例を挙げると、
聴覚障碍者なのに、よりによって聴覚を駆使しなければならない仕事のための養成学校へ進学せざるを得ない情況へと、母親の意向で、追い込まれたこととか。
母親に言わせれば、
「アンタには、この道しかない!」
ということで、そっちを選びたくないのならば、
障碍のことを隠し通し、あくまで健常者として、普通に就職すべし、さあ、どっちにするんだ?
という、母親が設定した「二者択一」的情況になってしまっていた。
それ以前、
そもそも、幾つかの理由で失敗した大学入試でも、まず、ヒアリング式のテストに、全く、歯が立たなかったのよね。。。
就活の面接でも、確実に、「健常者」の数倍は、エネルギー消耗してた。
だから、
それこそ「就職氷河期」なんて、何十社と面接を繰り返すのはアタリマエと言われていたけど、私には無理。ほんとにブッ倒れるよ。
あのころの母親の胸中では、いったい何を期していたのか、現在の私は察している。
つまり、私に対する常日頃の口癖だった、
「おまえのは障害なんかじゃない、単に、性格の問題なのだから、根性と努力で、どうとでも できるはず」、
ひいては、
「私の娘は、障害者なんかじゃございません!」
ということに したかったからなんだ。
要は、
私が、「健常者のフリ」を終生やり通せることを、固く望んでいたわけ。
母親の知人たちのなかで、障碍者福祉に関わっている人たちは、私の将来に深刻な影響が残るだろう、と忠告していたらしいのだが、うちの母は、ろこつに不快な表情を浮かべて、無視を貫いていたと、これは、母親の死後になって、親しかった人から打ち明けられたことだ。
もともとが、おつむボンヤリ、性格おっとりなタイプで、最初から、他者を むやみと疑ってかかるマメな性質では全然なかったので、巷間、よく聞くところだった
「条件付きでないと、わが子を愛せない」
といった、いわゆる「毒親」の問題が、当の自分の親に該当しているなどとは、私は、つゆほども気づいてなかった。ひたすら、自分を責めていた。
なんせ、アル中・酒乱の亭主の存在さえも、うちの母親は、自分の健気さ、正義の立場としてのイメージづくりに利用していたとも窺える。
また、
子である私にしてみれば、親父を信用できるはずもないのは、火を見るより明らかという感じにならざるを得ないから、どうしても、母親に つくしかない。
いかにも太っ腹でアネゴ肌的な、気性は非常に激しいが、きっぷの良い女であり、親であるという演出のための仮面を被っている母親の、その仮面の下の異形の顔に、全く気づいていなかった。
恐るべき計算高さ、駆け引き好き、くだらない見栄っ張り、
その動機は、やはり、娘の私でも、なかなか理解し難いほどに深い劣等意識だったようだ。
じつに、母親が亡くなって、だいぶ経ったのちだ、やっと気づいたのは。
これを選んだら、いずれ詰むのは 目に見えている、
あるいは、
どうにも せっぱ詰まって、
「どれも腐り始めているのは分かっちゃいるが、とりあえず、傷みが より少ないものを拾いあげるしかない」
という情況のなかでの「選択肢」。
それは、「選択死」への道。
2019.03.28 (Thu)
以前のエントリーでも、『ヤフー』は怪しからんという内容を述べたことが あるけどw
最近またぞろ、
この怒りと言うか不信感を新たにする出来事が あった。
数日前のこと、どこかで手続き上の行き違いが あったのか知らんけど、『ヤフー』関係の機器に支障が起きた。もうメンドイこと このうえないが、かと言って、このまま、手を つかねておっては、支払ってる高い料金が本当に1日ごとにムダになってしまうじゃないか!
電話よりも、メール連絡のほうが好つごうな、聴障者たる私にとって、
しかも、新聞を購読してない、テレビも見れないとなると、やっぱり、ネットが利用できないのは困ってしまう面も大きい。なので、
急ぎ、近場(と言っても、かなりの距離)の、過去、パソコンを購入したりしてきた大型電気店へと走り、たまたま、『ヤフー』関係のキャンペーンを やってるところを見受けたので、声かけてくれたスタッフの人に、すみませんが、筆談で相談させてもらえる人お願い、と頼んだ。
『ソフトバンク』の各支店も、ひところを思えば、かなり、たたんでしまったのか、相談に応じてくれたスタッフの人が、近距離の店舗を検索して、やっと一つ見つけてくれたものの、
そこを目指して、該当付近を探し回っても見つからず。
飲まず食わずで、おなかペコペコだは、持病かかえてる足腰が痛くなっちゃったはで、ヘトヘトになって、
あきらめて、結局、自宅から電話することに。
キャンペーン スタッフの人が、「電話になるので、大変かとは思いますが、、、」と、案じてくれたとおり。いや、そんなことは、自分で分かってる。
案の定、ほとんど聞こえないのを、あぶら汗、冷や汗かきまくりつつ、
あてずっぽで、マニュアル案内の か細い声が要求してくるとおりしているつもりで、てきとーにピッポッパ。![]()
何度か かけ直し、最初から聞き直しを繰り返して、やーっとかめ、ナマの人間の声らしきものが、かすかに聞こえ始めたので、こちら、聴覚障碍です、と、まずは ことわって、何人か応対する人が替わって、そこから先も、さんざんに待たされ、
本格的に やり取りが始まってからも、途中、話が噛み合わなかったり、そうとうにトンチンカンな応答(こういう場面は、私にとって毎度のこと)を交えつつwかれこれ1時間ほど経過。
受話器で強く圧迫し続けた耳が赤くなって、痛い。![]()
聴障者はツライよ。。。
思わず、グチを言いたくなった出来事でした。
何度も何度も繰り返さざるを得なかった、このテの出来事が あるたびに、ナサケナイ、なんとも言えずミジメな気分になるのよ。
健常者の世界では勿論のこと浮きまくり、
さりとて、同じ聴障者どうしのはずの世界でも、なじむには、もはや時機を逸してしまった、まことに中途半端な存在である私にとって、
これが人生、
と言うか、疲れる。
心身の底深くから、疲れる。。。
ところで、聴障者との遣り取りにおいて、筆談等に応じるのは、「合理的配慮」のうちということで、いまでは、法的義務あるいは「努力義務」になっているらしいんだけども、専門筋や弁護士さんでも、それを知らない人が多いみたいな感じ。
当の私自身が、わりと最近、知人に教えてもらうまで知らんかった。
それで、スムーズな遣り取りのために、対面の場合なら筆談をと、あらかじめ用意しておいたペンとノート![]()
差し出し、お願いしても、相変わらずで、いっさい、応じてくれない人も少なくないのが現実。
電話じゃ埒が明かない場合であっても、ファクスが不可能ときたら、
話スムーズに進まないと、応対する立場のアナタもイライラするでしょうに?と、
ぶっちゃけ、障碍者である こちとらも内心、かなりイライラしてくることもある。急いでる場合は特にね。
しかし、それを、チラッとでも、雰囲気に出してしまったら、たちまち、人間関係とか悪くなるでしょ。
しょうもないことで不利益を被りたくは ないから、ここはグッと こらえて、平身低頭、どうか、どうか、お願いしますぅ~;と、拝み倒すくらいでないと。
つくづく、世のなか、聴障者のことなんか、そもそも考えてないわな、と、あらためて、身に沁みまする![]()
まあ、そうは言っても、私だって、自分自身が体験してない障碍については、理解が及んでないこと多いだろうからなあ。
で、こちらに拝み倒させるほど、頑なで意地の悪い相手というのは、たいがいの場合、さも勿体つけ、恩着せがましく、エラそーに踏んぞり返った態度と、こう、相場が決まってるってなもんで。
字が上手くないからと、自分で決めつけていたので、人前ではゼッタイに、字を書かない態度を通していた。異様にプライド高かったからね。
まあ、筆談にせよ、それ以外の方法にせよ、幼児期からの聴障者である自分の弱点を常日頃から自覚し理解していて、日常的に慣れてる私は、
いま何の話なのか、その要旨に関係する、言わば「キーワード」一つが分かりさえすれば、そこから全体をサーッと理解することが できる場合は多いんだけど。
いわゆる健常者また健聴者にしてみれば、殊更、大層な、めんどくさい作業、というイメージが あるみたいで、筆談のコツ的なことなんて、普段思いもしない、知る気もない人が殆どだろう。
なので、
こういう場面に慣れてない、かつ真面目な人ほど、いざとなると、やたら丁寧に、話すコトバ全てを書き連ねようと、無意味なくらいガンバってくださるから、そりゃメンドクサイわよねえと思う。
お察しできますよ。こちらも、ますます、申し訳なく思っちゃう。m(_ _)m
小学校で1年生から担任だった、昔かたぎなベテラン教師が、いみじくも見抜いたとおりとなった。
純真で、同情心あつい、素直な性質の子どもだが、あまりにも自己主張が できなさ過ぎるままだと、この子は将来、大変な苦労を することになるだろう、と。
思えば、
幼稚園、小学校と、担任教師に促されても促されても、専門医に診せるのを忌避し、
「おまえのは障害じゃないんだ、性格の問題だ!努力と根性が足りないからだ!!」
と、障害手帳の申請をトコトンまで邪魔し、就職の足を引っ張り、
時すでに遅過ぎた補聴器を、高価なため、やっと片耳の分だけ(本当は、両耳でないと いけないのだが)購入するのに資金援助してくれた親父に謝れ!と要求し、
結局、私の障碍タイプでは、どんな補聴器も役に立たないと分かったら、これまた呆れ果てたように、「ワガママ」呼ばわりし、さんざん罵り、
すべてを私一人に押しつけ、
周囲の全員に、「あの出来損ない娘が悪いから、こうなった」ということに しおおせたのち、死をもってトンズラこくのに間に合った、
要領だけはスバラシく抜きん出たクソ親。
他人よりも、しまつが悪い、実の親。
これで、「自己主張」だの「自己肯定感」なんざ、
ハナから培えるわきゃねえのよ。
ややこし過ぎる人間関係、愛憎入り乱れる血縁関係のなかに放り込まれて、一人だけ幼児だった私の眼から見れば、家族らは、不可解で凶暴なオトナばかり。。。
そう言えば、むかしの勤務先の、かなり年上の同僚で、
ご本人自身、そうとうの問題を抱える人物だったんだけれど、あるとき、うちの親と会って、食事を共にする機会が あったあとで、
この同僚は、こう言った。
「あんた、おかあさんを信用し過ぎだよ!」
その当時は、私も若かったせいか、ピンと来なかった。
これらのことも振り返ってみれば、
自分自身が邪まなら、相手も また、その類に違いないと疑ってかかるのが心理だろうし、
狡猾どうしの駆け引き勝負よろしく、相手を陥れてでも、自分が勝とうとヤッキになる。それが生き甲斐ですら ある、似た者どうしこそは、自分の同類を嗅ぎ分け、見分けられるもんだと。
ところが、自分自身が持たざる性質の相手だと、とうてい、想像も及ばぬまま、ただ素朴に単純に、相手を良いように理解しようとする。
この場合は、自分と似ても似つかない相手だからこそ、なかなか見分けられないんだと思う。
まして、親だとね。
子どもにとっては、自分の親を疑って かかるというのは、どうしても困難だ。
ダブル不倫の計算づく、しかも根本バカ女が妊婦、その腹のなかに いるうちから、脳性マヒにならないほうがフシギな状態で放置、
予定日もデタラメななかで産み落とされ、
したがって、大難産の重度仮死状態だったわけで、
その時点で、栄養どころか、酸欠脳状態。
だから、何十年このかた、「ぼ~~~」っとしてるの!!しんどいからよ!
自慢の立派な墓に、終生執着した相手と同じ穴ぐらの底、目論見どおり納まって、
おまえさんら「共依存」夫婦の死後の世界や「来世」とやらは、
さぞやシアワセ万々歳?
今回、私が、「そういう星のもとに生まれて」、自分の「宿題」を果たしたのだ、という、もっともらしいスピリチュアル話が真実であるのなら、
次に、「宿題」を果たさなければ ならないのは、まさに、おまえさんたちだ。そういうことだろ?(嗤)
いったい、この世で最初の「カルマ」とやらを拵えたのは、誰だったというのか。
ならば、やっぱり、宇宙ごと、この世は消滅すべきだろが。
まったくもって、無意味なオハナシが あったもんだ。
【続く】
2019.02.09 (Sat)
の続き。
それにしても、
『ビッグ イシュー』について検索かけてみたものの、
ほぼ全て、『ビッグ イシュー』本社のサイトがズラリ、
それ以外でも、『ビッグ イシュー』賛同的なものばかり。
日本では、こういう方面に無関心で無知な人が多いため、知名度も低いからなのかもしれないけれど、なんだか、ますます胡散臭さを感じてしまった。
常々指摘させてもらっているように、
『ヤフーコメント欄』は、有害性のほうが、だんぜん高い。
けれど、
「オーサー」つまり識者であるという衣装を着て、特別な登場ステージを設けた所へ出てきて、主張を展開する以上、
今回、藤田氏には、このたびのコメントを、よく振り返っていただき、今後は、このように甚だコトバ足りずというのか、軽薄な印象を持たざるを得ないような投稿は慎んでいただきたいと思った。
字数制限が ある場合は、特に慎重を期さなければ ならない。
ただでさえ読解力が低いうえに、無知蒙昧が大多数なのだから。
ここの常連投稿者の殆どは、自民党や、その政権、そこから旨みを得ているのであろうかと思わせるような連中が、
作話、
ナリスマシてデマゴギー、
複アカ、
「連打アプリ」、
ありとあらゆる不正手段でもって夥しい投稿を繰り返しているらしいことは、ちょっと見ていたら容易に察せられる。
しょせん、この程度のオツム、あさはかな精神性、それを実感させられるのが、『ヤフーコメント欄』の「ヤフゴミん」だ。
いちばん望ましいのは、
『ヤフー』側が、このコメント欄を廃止することなのだが、
なにしろ、「ページ ビュー」というカネ儲けの手段としての旨みの前には、社会的有害性なんぞ、気にもならないのだろう。
アキンドというものは、そうした根性ならではだ。
うちのブログも、基本的に、コメント欄を閉鎖し続けているけれど、
旧のブログでは、外部コメントを受け付けていて、
そのために、不愉快このうえない誹謗・中傷に晒され、
大変な労力を割き続けるハメになっていた。
それは、私が、コメント投稿者に対して、無責任に言わせっぱなしで放置せず、基本的には、可能なかぎり応じ続ける姿勢を貫いていたからでもあるが、
ハッキリ言って、生活妨害だ。
その多くの原因となったのは、当ブログのカテゴリー分けにも入れてある「カルト連」の問題。
やはり、『ヤフー』の経営者と同様に、もと在日朝鮮人が、あからさまなまでの『ヤフー』のパクり方針で経営している、
そこの経営者自身の、胡散臭さ まる出しなスピリチュアル臭ふんぷんとした「伝説」を、NHKにまで協力してもらって華々しく宣伝していた某サイト。
そこで遭遇したのが、あの連中。
当時の私には皆目不明だったのだが、
いまでは、その正体をハッキリ指摘できる。
もちろん、いわゆる「ネト(バカ)ウヨ」たちであり、
あるいは また、
売れないモノ書き・作家あたりが、思想信条以前の、生活費のためなのか、バイト代わりに引き受けて量産したコメントを、ネットじゅうにバラマキ続けてもいる。
そりゃ、コメント量産は お得意でしょうよ、いちおう「作家」を名乗るほどなんだから。
ねっ、「芸名」J・A氏?w
他にもいるけどね。某大学の助教とか、某化学系企業の社員とか。
大企業たる『ヤフー』の運営、そして、孫さんに対しても言い続けているのは、
管理責任を全うできないのなら、コメント欄を設けるべきでないし、
それは、なにも「検閲」しろと言っているのでは なくて、
無責任で浅慮極まる投稿を垂れ流す場のまま、デマまでも放置するようなことでは、「自由な発言の場」なんどでは あり得ず、
あきらかに、かの『2ちゃんねる』同様、
社会的有害性を齎している場でしかない、
ということだ。
これだから、カネ絡みでしか計算しない手合いはねえ。
さて、
生活保護制度を利用している場合は、働いて得た収入に、厳しい上限が設けられているのであるから、むしろ、生活保護制度を利用したうえで、たとえ数千円の低額しか得られなくても、「リハビリ」を兼ねてアルバイトに出るという かたちは、まあ、現行では合理的と言えるんだろうが、
それも、
きちんと栄養状態が満たされていて、生活の基本が回っていて、
そこからだ。やっと、外に出て、請け負った業務が人並みに遂行でき得るのは。
たかだか数千円の「自立」、それは、何を意味しているのだろうか。
「ホームレス」である人たちが、「身を入れたら」(???)生活保護と ほぼ同額の稼ぎになる、はず、という『ビッグ イシュー』側の主張は、どれほどの可能性と現実性が あると言えるのだろうか。
お役所の「障がい者雇用水増し」発覚と言い、
最賃から除外された治外法権的世界である「障がい者作業所」の問題と言い、
この『ビッグ イシュー』についても、
「自立」って何だ?
という根本考察が必要。