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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.02.11 (Fri)

いやはや、この数日間だけで、何件の子殺しや、むごい虐待事件が起きたやら。。。

 

で、やっぱり、パターン的に、いちばん多いようなのが、

子連れの女が、おおかた「SNS」たら言うんだろうか、

いまどきの小学生の女児すらも、小遣い欲しさにか、ほいほいと「ラブホ」あたりへ連れられて行き、そのあとノコノコと警察に駆け込んで通報という、

しかも、相手の男らは、世間で昔から「お堅い」と定評あるはずの職業、たとえば、よりによってガッコの先生だとか公務員だとか、あげくは警察官そのものだとか、いったい、何を信用していいのやら、呆れ果てる事件と同じく、やっぱり、ネットで知り合ったのであろう男を、みずからの自宅に出入りさせて、自分の幼い子どもや、生後数ヵ月の あかんぼうにまで暴行されるのを黙認していた、あるいは、積極的に加担して死傷させた、かような件を、これまた呆れるほど頻々と起こしている。

 

それどころか、

実の母親が、ほんの数日前に産んだばかりの新生児をば、
いともアッサリと殺している事件までが起きた。

 

ちょいと話題を転換するが、

むかし入居していたマンションの隣室の女が、やがて、カレシを出入りさせるようになったらしく、てきめんに物音が酷くなったので、たまりかねて、管理会社に通報したりも したんだけれど、案の定で、埒が明かない。

あの当時は、こちとら、手術後の病みあがりで、傷の痛みを こらえつつ、身のまわりのことを自分で こなしながら、一人しずかに養生していた頃だったから、いきなり響きわたる物音の大きさに、いちいちビックリするわ、夜に寝ていても、騒音で、目が覚めるわで、だんだんノイローゼみたいになってきたから、ついには、隣室の男女が連れ立って出て来たところを、物音が あまりに大きくて煩いので、体調が悪化してきて、すごく困ってるということを告げたんだけれど、

すると、

居候というか同棲してる状態に近かったのであろう、一緒に出て来た男が威丈高に、おのれのカノジョの肩を全面的に持ちつつ、ヒステリックに猛反発してきた。

この子(←おのれのカノジョ)は、いたって行儀の いい子だし、自分たちは、なんにも悪くない!!と。

 

あのな、

言ってるオマエさんが出入りするようになってから、とたんに煩くなった!つってるの!!バカヤロが。

その おとなしい女つれて出て、テメエで借りた部屋で同棲してろや!

だいいちなぁ、

このマンション、ほんとは一人住まい専用で、勝手に同居人を連れ込んだらダメなんだぞ!

と、マア、心底、腹が立ったが、

しかしながら、いっぽうで、
それまでの経験から、どうやら共通している大きな原因の一つだと察していたのは、

この国では、いつの頃からか、賃貸マンションやアパートの類が、見かけとはウラハラに、けっこうな高額の家賃のわりには安普請なのか、防音などが、てんで なってない、全体に、質の悪い造りになっている物件が増えてしまってるせいなのか、ふだんから、よくよく、あらゆる動作に気を つけていないと、うっかり無神経な動作を したとたん、物音が大きく増幅されて響くこと。

それが分かっていた私は、極力、動作を静かにと心がけるのだが、そうすると、隣室の住人は、自分も静かに できているものと思い込む。

 

この一部始終を話したおり、うちの母親は、一言。

「だいたい、自宅に、男に上がり込まれるような女はダメや」。

 

ダブル不倫で「通い婚」のアパート暮らししていた過去のある母親が、
そんなエラソーに言えた立場か?とも思うんだけどw

 

ただ、あのバカップル、いずれ結婚するつもりだったのだろうが、どちらも、当時まだ独身のようだったから、虐待事件で連れ子が云々という話とは関係ないのだが。

 

でも、

言われてみれば、私も、親や身内であろうと、どんなに親しくなった男であろうと、誰かを自宅に勝手気ままに出入りさせるようなことは、決して なかった。
合鍵なんかも、ゼッタイ、誰にも渡すもんか、と当初から決めていた。

なんせ、やっとのことで、厭な厭な実家を出られたんだから。

私の住まいは、私だけの世界!という思いが、心のなかで強かったから。

 

 

で、

相も変わらず、「次に生まれたときは」だの「天国では」てなノンキな他人事まる出しで言ってるヤフゴミんを見るにつけても、
判で押したような「リセット」願望しか言えないのかと呆れるばかり。

 

こんなだから、
いつまでも、ラチの あかない政治屋を支持し続け、あるいは、われ関せずのまま、四方八方が、ラチの あかない国に なってしまったんだろうなと思う。

 

「次」もないし、「天国」も あるかい、あほか。

個々の命は一回性。

 

失われたら、どうやっても取り返しが つかないから、二度と繰り返したくない悲惨な事件だっての。

「リセット」あると、安易に思っているうちはダメだわな。そこで止まるわ。

 

それから、

やれ、女性が忙し過ぎるから!母親にばかり負担が かかるから!と、出産・子育ての辛さを言い募るヤフゴミんも相変わらずで、
雁首揃えて、

「サポートが ないなら!」「実家の親に預かってもらえないなら!」

などと愚痴ったりも してるようだが、

先日なんかは、

預かったものの、孫のメンドウ見きれんと苦悩したあげく、あっさり殺しちゃった祖母の事件も報じられてたわね。

だいたい、体力のある若い女でさえ、しんどいシンドイ言うてるのに、

トシくったら、一人で子育てはシンドイのがアッタリマエだろうし、

うちの母親なんかは、私が、出産どころか結婚も遥かに先の、まだ学生時分に、何を思ってか突然、

「おまえに子どもが生まれたって、こっちは、孫のメンドウみる気は一切ないからな!!」

って、

いきなりピシャッと宣言されたよw

私は何も言ってないのにww

 

 

考えてみたら、
私らの子ども時分から、社会人になったあたりの頃の『昭和時代』。

つらつら思い起こすと、

あの時代は、たしかに、父親が「大黒柱」として稼ぐ中心で、

母親は「専業主婦」か、せいぜいパート勤務、

子どもは二人か、せいぜい三人まで、

というのが標準的な家庭として最も多かったと思う。

 

かく言う私とこは、ぜんぜん、別よw

まさに「スクラップ家族」なる呼びかたが ふさわしい、
世間から大きくハズレた、はっきり言って、かなり異常なケースの所帯だったからねww

 

それは さて置き、

「24時間戦えますか?」

てなキャッチ フレーズがブームになったコマーシャルは、あの頃だったかと思うんだけど、

田舎でなければ、ほぼ完全に、いわゆる「核家族」で あたりまえの時代だったから、ほとんどの家庭では、

おとうさんは、早朝から深夜まで会社で仕事だし、

おかあさんは、家事と子育てに加え、時々、町内会の行事やら『PТA』などの活動にも、だいたい いつも一人で参加し、

そのうえ、場合によっては、時期が来たらば、主にダンナの親の世話や介護も あった。

 

でも、私の記憶では、
あの頃、いまどきみたいに、家庭内で子ども殺した事件なんて、そうそう聞いた覚えが ない。

 

家庭内というのは、事故も事件も、実のところ、最も多く勃発する現場なのだそうだが、

私の実家なら、まあ、そう聞いて驚かないケースだったにせよw

世間一般では、さすがに、めったと なかったように思える。

と すると、

やっぱり、性犯罪的な虐待も含めて、実際は多いのに、ひっそり隠蔽されてきたのだろうか。

 

【続く】

 

 

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Updated   
2022.02.08 (Tue)

近頃の所感いくつか。の続き。

 

ちょうど、
その頃から、『法善寺』の『水かけ不動尊』が、あのように苔に まみれていったのは何故、という話題が出た先日、
それは、くだんの『不動尊』「脇侍仏」の石像が、「器物損壊」だとかいうので、警察沙汰になりかけたというニュースが あったからだが、

聞けば、『コンガラ』『セイタカ』両像とも、頭部の苔が剥がされており、

いつ、誰が、というので、防犯カメラの記録映像を確認してみたら、とある老年の男性が、たぶん、あそこの備え付けの柄杓を使ってだろう、「脇侍仏」の頭をゴーリゴリやってるところが映っていたという。

 

一報を目にしたとき、私が真っ先に思ったのは、

「なに?!怪しからんなあ。しかし、このジイサン、よそ者なのか?」

ということ。

なぜなら、あの『不動尊』は、苔に覆われていてアタリマエという感覚が、大阪人なら、幼い子どもにすら共通しているであろうからだ。

 

私自身、あの苔を剥がそうなんて、ついぞ思ったことが ない。

あそこの近場で生まれ育った母親に連れられ、祖父宅へ訪問した帰途などに、お参りしたことが何度も あるが、
初めて、あの『不動尊』像を見たときは、たしかに、少々ギョッとした感覚は あったかと思う。

でも、それが、ここの『お不動さん』の姿なんだと、すんなり納得していた。苔だらけになっているのは何故かと、親に尋ねることもなかった。

 

だって、見たら分かる。毎日毎日、みんなで寄ってたかって、水を かけるんだからさ。

「お頼()申します」と祈りを込めて かけ続け、
それが積もり積もって、あのモコモコの緑の衣装だ。

 

地元の人だろうか、一人だけ、

「寄せられる信仰の厚さが、そのまま、あの苔の厚さなのだ」

というふうに、『ヤフー』コメント欄に投稿していたが、要するに、そういうことだろうよ。

 

んで、

「脇侍仏」は、おつむのテッペンからスムーズに水を かけやすいけれど、真ん中の『お不動さん』自体には、うまく水かけするのが、けっこう難しいのよ。おとなでも、見上げるくらいの大きさだから、私なんか、子ども時分から、『お不動さん』のおつむに水を、なんとかして かけようとチャレンジしたものだけれどw(この意味、わかるね?ww)

なかなか、うまく いかず、せっかく かけた水が、こっちへ跳ね返ってくる。なので、
むき出しの石像にパシャッと かけるよりは、水を吸う苔に、みっちり覆われているほうがイイくらいなのね。

 

やっちゃったジイサンは、きれいにしてあげたいと思ってのことだったそうだが、たしかに、一週間後くらいに、またぞろ訪れて、手には、ペーパータオルみたいなものを、「脇侍仏」のオツムを拭くために持って来ていたらしいから、ま、悪気で やったわけじゃないのだろう。

お寺側も、穏便に済ませたそうだから、それで良いだろう。

 

ただし。

信心の表現も いろいろだ。

ふつうなら、こんなはずは ないのに、ということが まかり通ってきているということは、何らかの理由なり事情の積み重ねが あろうかと察し、それでも疑問や問題に思うのなら、この場合、まずは、そばに ある寺務所に尋ねれば いいんだよ。

それも せずに、勝手に、いきなりだからね。

おとなの やることや ないよ。

『法善寺』ならぬ、まさに独り善がり。

しかし、このテの独善的な性格の者って、なぜか、老人それも爺さんに多いような印象は あるなぁ。

なんでやろ?

 

それと、

「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんのなかには、

言わば「お不動さんの意思で、そうさせた」かも、

みたいな、わかったようなオカルトこじつけ言ってる者が いたが、

だったら、この世の全ての災厄、それは、あくまで人間にとってのだが、それら災厄の類の全てをも、「(神仏の)思し召し」として、素直に受容できるのか?

 

なべて「神仏」、それへの信仰というものは、人間の恐れ、苦しみ、不安、納得いかなさ、それこそを母胎に生まれたものだろう。

 

ともあれ、

子ども時分から、私は、『法善寺の水かけ不動』さんへ お参りするたび、なんとなく、「わが家に帰って来た」ような安らぎを感じていた。

あの お寺さんは、いまだ「戦後の復興」途中であるとは知らなんだが、
言われてみれば、子ども心にも、どこか変わった雰囲気の つくりでは あった。

 

『不動明王』が「本尊」に当たるという、うちの母親が亡くなってから、ほぼ全く、訪れることも なくなったので、なんとも言えず懐かしい。
いつか、機会が あれば、また お参りしたいと思った。

 

そして、母親は、私に言ったのだった。

「疎開から帰って来たら、難波から梅田まで、すかーっと見渡せるんや。ほんまに焼野原。おまえ、想像できるか?」と。

 

思えば、その、一面の焼け野原のなかで、くだんの『不動尊』だけが、轟々たる石の炎を背負ったまま、立ちつくしていたというわけだ。
どんな光景だったやら。

 

「あんたたち、想像できるか?」

以前にも紹介したとおり、これは、『広島』で「二次被爆」したという恩師のコトバ。

道端に、腕やら足やらゴロンと転がってる。誰も驚かんし、見も せん。
いまやったら、指一本でも大騒ぎで警察を呼ぶやろ?と。

 

おとなでさえ、大事な話と分かっていても、同じような内容を何度も聞いたりしているうちには、緊張感も薄れてくるし、ましてや子ども世代なら、なおさらだろう。

 

戦後となってからは、『平和教育』として、生々しい体験談を直に聞くことは、あの時代を生きたことが ない、体験できない者にとって、たいへんに得難いことだ。

けれど、
いつしか、もう だいぶ前から、『広島』や『沖縄』などで、重い体験を話してくださる人への礼儀を欠いた態度や、無関心さを あらわにする子どもが目立ち始めているという問題が報じられるようになり、
私も、どうしたものかしらと思っていた。

 

さて、先述の記事で、

横井氏が長年、『グアム島』で隠れ住んでいた地中の穴の空間を、実物大の断面図で、シンプルかつ的確に表現したパネル ボードを作製・設置し、子どもたちに体感してもらったという。

なるほど、「体感」!

とても良い発想、着眼点だと思う。

 

これまでにも、ちょっとした追体験的なイベントなどは、各所で時おり実施していたことと思うが、

たとえば、「すいとん」を作って試食してみたとか。

で、意外に美味しいと、子どもらが喜んだとw

 

ま、いかに美味しくても、年がら年中じゃ苦痛になるというところまで味わわないと、ほんとうの追体験には ならないんだろうな(苦笑)

 

話を聞いたり、見たりだけでなく、自分の身をもって、「自分事」体感してみる くふう。

「体感」。

今後の平和教育に大きなヒントと できうるのでは ないだろうか。

 

 

 

現在の『ミャンマー』などに おける、「民主主義の危機」的騒動を報じる記事を読んでいたら、なぜか、どうしても、自国のことを連想させるものが あり、

しかも、この日本のほうが、水面下でジワジワ進行しているのでないかという特徴的な危惧は、年々、確かさを増しているように思われる昨今。

 

「権力は腐敗する」。

長期権力は強固になった分、なおさら厄介だ。

こんなことくらい、世のなかの多くの凡人も指摘しているし、「ヤフゴミん」ですら、それくらいのコメントは しておる。

 

ただ、辛うじて選挙だけは やってるからと、「民主主義国家」として機能している、とは言えまい。

 

悪しき権力は、いずこに おいても、長く続けば続くほど、装いも巧妙に、手が込んでくる。

 

『民主主義』のはずの選挙も、あっけなく、機能しなくなるものなのだ。

 

装いの下が、どうなっていることか。。。

 

それを見分け、見抜いて、どう判断するのかは、有権者の知性しだいだ。

 

装いを凝らす必要すらも なくなったら。。。

とんだ「先祖返り」だわな。

 

文字、読むこと、書くことは、大昔は特権者のものだった。

悪しき権力者は、民衆の知性を、最も恐れるもの。

 

しかも、

辛うじて「間引き」せずに残した子どもには、さっさと働いてもらいたい、嫁入って口減らししてもらいたい、

うちのセガレや娘どもに、読み書きソロバン、学問なんぞ不要!

小難しいこと言うやつぁ目障り!

「お上」に間違いは あるはずない!すべて おまかせいたしやす!

と、

自分から言ってしまうのが、愚かなシモジモ庶民。

 

現代の日本人なんか、

「お上の間違いは、良い間違い」

てなことまで言いかねない。

なっ?『自民ダッピ党』支持者や、その周辺()

 

民衆の あさはかさを、悪しき権力者は、最も悦ぶ。

手間いらずだからねw

 

 

民衆の知性が、良く はたらくのなら、

独裁権力でさえ、良く はたらかざるを得ないだろう。

 

結局のところ、『民主主義』も、独裁の道具たりうる。

 

『民主主義』自体で自動機能するわけでは ないから。

 

 

Updated   
2022.02.08 (Tue)

まずは、
先日の、電車内タバコ注意したら凶悪暴行で返されたという事件ね。

これも あとから詳しく報じていたけど、

暴行犯は女連れだったそうで、「優先座席に寝そべり」という最初の情況は、ははあ、連れの女の膝にでも頭のっけてタバコぷかぷか、なんてな光景だったのか?wと。

 

で、
キッパリずばり真っ向から注意した男子高校生側も、数人連れだった。

 

「恥かかされた!」「メンツへし折られた!」
それも「女の前で!!」みたいな、か?ww

女連れの男、特に、屈折した劣等感のカタマリみたいな若造ほど、そりゃイキりたつもんねぇw

 

 

うちの母親が、親父と抜き差しならぬ不倫関係になり、とあるアパートで「通い婚」的な生活状態だったときに、階下の一室に入居していた家族連れの男性と、私の母親が、切っ掛けや理由は、私は聞いたのに憶えてないのか忘れてしまったか、とにかく、険悪な状況になったのだそうだ。

敗戦後の余韻も まだ少しは残っている時代だったのであろう。

くだんの男性は、戦時中、うちの親父よりも、ずっと下位の軍人だったとかも言ってたかなぁ?

で、親父が、私の母親の訴えを聞いてイキリたち、

「俺の女にガタガタ言うんじゃねえ!!」

とかナントカと怒鳴り込みに行って、ソッコーで相手の男性を問答無用に屈服させたらしい。

「俺の女」だった、私の母親は、うっとり

なーんてことも あったらしい()

男女絡みは、リクツじゃないからねえw


 

で、次は、横井庄一氏に関する記事。

そうだった、そうだった。

30年近くも『グアム島』内で隠れ住んでいた横井氏が帰国されたときの大騒ぎは、私は まだ子どもだったが、世間も、うちの親も、もちきりの話題だっただけに、さすがに憶えているし、例の、「恥ずかしながら」というコトバが、一種のブームのようになっていた影響で、クラスメートの男子たちが、軽薄にもフザケて真似したりしていたことも あったように思う。

 

これが横井庄一さんの隠れた「穴」の断面図原寸大を前に小学生たちも息を飲む~
2/1() 15:00配信 最終更新:2/1() 16:26CBCテレビ

https://news.yahoo.co.jp/articles/6782b34dd492dbdd9e6d85af3efd4666a968409e

 

この記事のなかでアップされている動画を見てみて、
あの頃の私は、やはり、戦後の子どもだったのだと再認識した。

というのは、
帰国後の記者会見の席に おいて、「恥ずかしながら」と話す、横井氏の表情の意味するところを、当時の私には、理解しきれていなかったなと気づいたから。

 

いま、このトシになって、やっと多少の理解が及ぶようになったのだろうか、

「恥ずかしながら、生きながらえておりましたけど」

と絞り出す、その表情は、帰国できた単純な嬉しさよりも、むしろ、
「ああー、やれやれだった」という深い深い疲労感と共に、どこか苦渋の入り混じった、なんとも複雑な表情だった。

 

のちに、今度は、『ルバング島』で小野田寛郎氏が発見されたわけだが、

かつての上官を、現地に呼びつけ、「情報将校」としての長い、あまりにも長い任務を、キッチリと手順を踏んで解除させてのけた、そのうえで、あくまでも「命令」に従ったのである、と言わんばかりの帰国を果たした小野田氏の表情からは(横井氏のときよりは、私の年齢も少し上がって、中学生になっていただけあってか)

もはや、話に聞くしかなかった時代の、まさに、ほんものの兵士の、現に生きて、立っている姿に、凄まじい意地と気迫を感じさせられたものだが、

そこのあたりの差が、横井氏の、いつの時代も変わらずに共通する庶民の柔軟な雰囲気が失われず前面に出ていたこととの違いだろうか。

 

それでも、

お二方とも、内に抱え込んだまま、目を逸らさなければ、やってられない重苦しさ、全てを言い尽くせることは なかったであろう。

 

横井氏の場合は、期せずして、現地住民に見つかり、もし最悪の場合は、その場で、二度と、故郷の土を踏みしめることも叶わぬまま終わったかもしれない、その いっぽうで、小野田氏の場合は、身内や戦友たちの一団が、自分を探しに来たことを知っていながら、なおも頑なに潜んでいて、ついに捜索を打ち切られた。その翌年、
みずから攻撃的にという「装い」だったのだろうか、今度は積極的に出てきて、日本の青年と遭遇するまでの、更に その間は、それまで以上に、よりいっそうの孤独と深い葛藤、後悔にさえも苛まれた1年だったことだろうと察する。

意地を張っていた本心では、なんとしてでも、自分を見つけ出し、無理にでも連れ帰ってほしかっただろうと思う。

 

もし、日本から やって来た「冒険家」青年の存在が なかったら、
小野田さんは、そのままだったのだろうか。。。

 

お二方とも、と言うよりも、日本兵は、現地の人々からの多大な恨みを買っていたのだ。

 

恐らく、横井さんや小野田さんのように、出るにも出られず、あるいは、敢えて、故国に背を向け、その地で黙って死に絶えていった人たちは、私たちの想像以上に多いのでは なかろうか。

 

小野田氏の場合、『日本会議』と深入りしてしまっていたというのも、残念なことだった。

 

ちなみに、

戦時中、まだ二十歳前後という若さだった うちの親父も、小野田氏と同世代であり、軍隊での階級なども近い。

以前から思っていたが、

それぞれの入隊、士官した頃の青年時代の風貌を写真で見ると、なんだか、似ているのだ。

晩年に至ってからも、やはり、共通した感じが ある。

もっとも、小野田さんのほうが、うちの親父なんかよりも、もっとキリッとしたハンサムだけどw

ただ、

親父も、もともと細身で細面(ほそおもて)なせいか、一見は、軍人それも将校クラスのバリバリ軍人にしては そぐわない、どちらかと言えば知的・柔和な雰囲気と言うか、軟弱にさえ見えるくらいなのだが、

しかし、なかみは、外見と大いに異なっていて、意外なほど「剛毅」と言うのか、いや、それよりも、以前から指摘していたように、

アメさんじゃないけれど、ずばり、

クレイジーemoji

としか言いようのない、
独特のガチガチゴリゴリした硬直性を保っていた。

 

これは、私らの世代も勿論だが、いまどきの若者、いやいや、

「疎開児童」世代であり、戦後の「墨塗り教科書」に、おとなたちへの猛烈な怒りと反発心が湧き起こったと言う世代の私の母親ですらも、

親父らの世代は、ほんとに独特、逆立ちしたって、あれは真似できない、と言い切っていたものだ。

あの時代の教育ぶり、ってことかな。。。

 

 

先日のエントリーで、再び、隣家の おじさんは「シベリア帰り」の人だったという話を少し述べたけれど、

どうりで、この おじさんが、ご自宅は勿論、うちの実家の台所やら水回りを始め、物置部屋、私の部屋の内装などをも含めて、ほぼ一人で黙々と建て増しや拡張していったあとに、やがて引っ越されたため、ご自宅の分を解体しなければならないので来てもらった専門業者が、あまりにも頑丈に造り過ぎていると言って驚き、非常に難儀していた、という理由も分かった。

そう、知ってる人は知ってるね。

「シベリア抑留」経験者だったからこそなんだ。

 

でもね、

この おじさん、「仏の」何タラさんと呼んでも通るくらいに、およそ不機嫌な感じの表情を、ついぞ見たことが ない私らにも、ご家族に対しても、常に穏かで、いつも、ひたすら優しい人だったけれど、

あるとき、おばさんから聞いた話では、

戦後になって、やっと、日本に帰って来て、まだ年数も浅かった頃までは、お酒を飲んで、酔いが回ったかなと思ったとたん、何が気に障ったのやら、無言のまま、いきなり、出刃包丁をグサーッと畳に深く突き立て、その包丁の柄を握ったまま、一畳分まるごと高々と持ち上げ、ぶんぶん振り回すほどの怪力で暴れていたんだという。

とても信じられない話だったけど。

あの おじさんも、戦時中そして抑留中の、コトバに できないものを深く、抱え込んでいたのだろうか。

 

 

で、私の場合は、
皮肉なことに、戦時中が、人生で最も輝かしいエリート時代だった親父は勿論のこと、
「疎開児童」世代だった母親にしても、
祖父は裕福だったので、戦時につきものの苦労、衣食住の どの面でも、基本的には、酷い不自由までは なかったから、都会っ子が田舎に疎開したときの定番話で、土地の学校の同級生に ねたまれ、特に、男子にサンザンいじめられて、だから、田舎者は大嫌いになったんだ、
とかいう、せいぜい、その程度なので、

本人にとっては、いろいろ大変な思いを したと精いっぱい言いたいわけであっても、

私には、うちの両親からの話だけでは、それほどの切迫感も感じられず、さりとて、学校の授業も、「臭い物にフタ」的通り一遍。

 

言っとくけど、

ウヨどもの主張とはウラハラで、

われわれの学校時分も、「平和教育」と言うよりは、単に、日本にとって つごうの悪いことは全てサラーッと駆け足で流して終わってたのw

 

だから、

うかうかしてたら、あの時代のことについて、ほとんど無知なまま成人し、親に なってしまうかもしれなかった私には、なんとなくながら危機感が あり、ゆえに、
学校の授業や親らの話には、あまり期待できないのならと、その かわりに、原爆投下や敗戦前後の話題が特集される時期の新聞記事、テレビならドキュメンタリー番組、若い兵士が書き遺したものや、当時の子どもたちの ようすなどを、ひととおりは知っておかねば なるまいと思い、自発的に読んだり見たりに努めていたものなのです。怠惰な私でもね。

 

私らの世代だって、いまの若い世代と同じく、「平和な時代」しか知らない。

だが、親や体験者から直接に聞かせてもらうことは、まだ可能だった。

 

けれど、
同時代を生きていた人どうしでさえ、全く同じ体験を したとは限らないのも現実なのよね。

 

たとえば、戦地の前線へ赴いた人と、国内から出ることが なかった親父とでは、同じ軍人でも、苦労の度合が全然、異なっているし、

母親の場合、祖父のツテで、地方に疎開していて、戦争が終わってから、生まれ育った大阪市内の実家へ戻ってきたので、『大阪大空襲』の直撃を、じかには知らない。

その頃、たまたま、事情が あってか、疎開せず、大阪市内に とどまっていた同級生とバッタリ遭遇し、そこで、あの『大阪大空襲』の凄まじかったことを聞いたのだ、と。

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.02.04 (Fri)

「繋いでいる」ものはの続き。

 

こういう記事が あった。

「死」とは何か 脳死状態で約20年生存した人の脳はどうなっていた?〈週刊朝日〉1/28() 19:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f198cd9fcddb59a4f8ac42cd2397e65172380d16

 

うん、「脳が溶けて」「液状化」とか「石灰化」と言っても、全体一挙に進行と限ったわけじゃないのだろうし、

こまかいところまで全ての動きを脳だけが一手に取り仕切っているわけでもないのだろうし、

連結しつつ、分担も あって、ある程度まとまった、自動的に進める機能も、局所ごとに持っているのだろう。

爪や髪だけは勝手に順調に伸び続けている、とかいうね。

 

人工的な装置によって、機械的維持は継続できても、結局、肝心のところは、不可逆性が覆せないのであれば、問われるのは、決断だ。

 

維持し続けるにせよ、止めるにせよ、それぞれに別様の、
得られるメリットも、可能性を断ち切るデメリットも ある。

 

 

私宅の、初代のパソコンだったかな、それが突然、故障したときに、修理業者に来てもらって、何が原因か調べてもらったことが あるんだけど、
そのときに初めて聞いて知ったのが、「論理障害」「物理障害」ということの違い。

 

パソコンの仕組みも、カメラなどの仕組みも、おもしろいことに、人間の脳や眼球の仕組みと基本が共通してるみたいよね。

 

 

むかし、私が学生時分だったか、

「透析」患者と家族が、腎臓移植を望んでいるといった話を、新聞やテレビで報じているのを多く見聞するようになった、そのたびに、

「他人の内臓を もらってまでも生きたいなんて、あつかましいこっちゃ。それなら、自分の家族や身内から もらったらエエねん。それも無理なら、諦めるべき」

などと主張して憚らなかった、うちの母親は、内臓移植そのものも、遺体の解剖にも嫌悪感を隠さず、断固反対!の意見だった。

 

当時は、「脳死」の問題がクローズ アップされてきていて、

私自身も、かなり曖昧で怪しいものが少なからず残ってるようにも思え、その頃の、気まぐれ日記ノートには、

「そのうちに、脳も死なんのに、すげ替える」(ように なりかねない)

てな、俳句モドキを書き残している。

 

 

これは、父方の親戚筋の嫁ぎ先だったかと記憶しているが、

その親戚の女性たち家族一行が、冬季休暇の おり、スキー旅行に赴いた地で、さっそうと滑降していた最中のダンナさんが、いったい どうしたことか、立木の太い枝か何かに気づかなかったのか、よけられず、頭部からマトモに激突してしまい、ほぼ即死か脳死に近い状態で、緊急搬送されたという事態が起きた。

私とは全く面識が なかった親戚なので、自分の身内に起きた悲劇という感覚は、正直、希薄だったのだが、それ以上に容赦もないのは、うちの母親だった。

なんでも、急死した夫側の両親が、担当医と病院に対し、息子を蘇生させる努力をと執拗に要求して諦めなかったそうで、

その理由というのが、たしか、

「うちの息子は、とても優秀な頭脳を持っているんです!なんとか蘇生させれば、奇跡は起きます!!」

「なんとしても蘇生させないと、もったいない!」

とかナントカと頑強に主張し続けたそうな。

 

なんだか、最近、90歳代の母親の死亡後、すでに1日以上も経っているのに、蘇生させよと要求し、あげく、訪問介護を担当してくれていた医師らスタッフを死傷させたという立て籠もり事件の、寝たきり老母をダシに、自己愛を満たしていたオッサンを連想させるが、

そんなムチャな要求を言い張って やまなかったものだから、医師や看護師らの顰蹙を買っていたことを、自分も「また聞き」で私に聞かせた母親が、さんざんに嘲りつつ話していたものだ。

「息子が優秀なアタマも何も ないやろが。とっくに死んでおます!ちゅうねん。アホみたいや!」

と。

 

 

まあ、特に親子の関係では、互いに、どんな姿になっても、とにかく生きていてほしいという愛着や執着が起きやすいものなのだろうが、それは、肉体そのものに及んでいてもフシギは ない。

親にとって、自分の子は、自分の肉を通じて生まれ出たもの。

子にとって、自分の存在が生まれ出た みなもと、それが、親の肉体。

 

とりわけ母親の からだに対する愛着・執着は、子にとって、独特の重要感が あるのは、多くの人に共通している感覚であろうし、

日本語には、母親というものを、あたかも「聖堂」の如く喩えた呼びかたも あるし、俗に「お袋」という呼びかたも あるくらいだ。

 

そう言えば、うろ覚えだけど、フロイトだっけ?
『夢判断』に おいて、「トンネル」は、母親の産道の象徴とかいうの。

 

そうだ、

「多元宇宙」と「トンネル仮説」理論だw

 

ま、さて置き、

後年、うちの母親自身の『C型肝炎』が判明し、同じ血液型の娘である私は、移植で改善できうるものなら、自分の肝臓を提供してでも、と考えていたのだが、

生来の虚弱で、長年の『本態性高血圧』で、他にも持病が多かった母親自身には、移植手術に耐えうるだけの余力が、60歳代にして、もはや、残っていなかった。

また、私自身も、長年の持病の結果、開腹手術に至っていたし、やはり、母親に似たのか、虚弱な体質なので、自分自身の からだにメスを入れ、内臓を欠けさせたとなっていたら、いまごろは、もっと難儀な状態に陥っていたことだろう。

 

意外なことに、
むしろ、家族間に おける内蔵移植は、あかの他人との それよりも格段に、複雑な問題が起きやすいのだそうで、家族関係の隠れていた心理的問題をも浮かびあがらせることが あるという。

介護の問題とも通じるものが ありそうだ。

 

 

ところで、

題名も筆者名も忘れてしまったんだけど、むかし、新聞に連載されてた小説のことを思い出した。

それは、先天的障碍児、ずばり、奇形、それも、脳が ない新生児を題材にしていて、

実の両親たちのショックと狂乱、激しい拒絶を始め、病院のスタッフたちの困惑や葛藤といった、周囲の人々のネガティブな反応や心情が渦巻くなか、その新生児を担当した看護婦が、ただ一人、だんだんと、情愛を覚えて傾けていき、やがて、ある日あるとき、
くだんの あかんぼうを、「おくるみ」に包んで、両腕に抱きしめ、病院から連れ出して逃亡を図るという、そんなふうな場面が あった。

この あかんぼうが「安楽死」させられそうになったことを切っ掛けに、とか、たぶん、そういうストーリーだったように憶えているのだが、

とりわけ鮮烈な印象が残ったのは、

脳の ない あかんぼうは男児で、
ふしぎなことに、性器だけが、申し分なく備わっていて健康だった。

その性器が、まめまめしくケアに つとめる看護婦の手のひらに向けて、おむつを はずしたとたん勢い良く、気持ち良さげに、清らかな おしっこを放出する、そんなふうの場面だ。

 

 

 

全身麻酔と局所麻酔の両方を体験した私は、それぞれの違いを考察し、うちのブログでも(旧ブログも含めて)エントリーに まとめてある。

脳内ビジュアルの話

 

全身麻酔について一連の流れを実体験した人のコメントには、さすがに、「ヤフゴミ捨て場」と言えども、ほぼ共通した独特の現象が あった事と、真面目な所感が窺えた。

 

古人も言った。「きのう きょうとは思わざりしを」

 

先日、当ブログでは、これらのエントリーをアップしている。

【続・続】久方ぶりの科学系記事

最終】久方ぶりの科学系記事

 

なおも、ちらちら考えていて、
もしかしたら、水分というか粘液状のものに決め手が あったのかも?
などと思った。バラバラのものを繋げていなければ ならないはずだから。

 

生命活動すなわち新陳代謝すなわち、それは、化学反応。

外部から、栄養などを取り込み、供給し、いらないものはポイする。

こういった一連の化学反応のサイクルこそが、すなわち生命活動なのだという。

 

「有機的結合」性。。。

 

ひとたび連結・結合したものをば、バラバラに崩したくない。

調節し、立て直し、維持し続けたい。

壊したくない、死にたくない、という本能的な思い。

 

自殺願望だって、本音では生きたいことの裏返しだ。

なくなってしまえば、もう二度と、失われることは ないから。

 

 

唐突だが、

いわゆる「膠着語」としての日本語。

「てにをは」などの助詞とかね。

これが、「膠」として結着・連結の機能を正しく果たせていないと、一見は「日本語文」の体らしく見えても、よく見るとブツブツ途切れてバラバラの支離滅裂、ただの意味不明な「日本語文モドキ」でしか なくなる。

 

生命体も同じようなもんで、繋いでいる連結が切れてバラケたら、様々な基本物質の単位、分子のレベルに戻るのだろう。

 

 

目には見えない、手に掴めない、数値化も できない、たとえば「視線」の強さ、「感情」や「念」といったものですら、物質かもしれないね。

 

 

Updated   
2022.02.02 (Wed)

うんざりウンザリうんざり!の続き。

 

やれやれ、
だれに頼まれたからとて、そんなにも過酷な苦労してるわけ?

「自分自身が、ナニしたくてナニした結果の腹ぼて、あるいは妊活とやらを強行したのか、いずれにせよ、だれから頼まれもせんのに産んだだけのことで、こうも自己愛まる出しになるとは()

「あーたが産み落とした、生まれさせられた子どもは、まず確実に逃げられぬ何らかの苦しみを負う日が、いつか必ず訪れる。どのみち死ぬ日が やってくる。この国では特に大災害に遭いやすいし、理不尽にも、ひょっとしたら、殺されるかもしれない。わかってて産んだのよね?いや、全くのところ、考えもしなかったんでしょうねw」

と、

しょせん、「ヤフゴミ捨て場」に入り浸り、視野の狭い自己愛コメント投稿に耽ってる、こんなのが母親だなんて、ろくなもんじゃあるまいという印象を拭えない私は、つい、冷笑してしまうんだけどさw

 

同じ女性どうしの あいだにも、イミフな敵を つくり、

同じ妊婦どうしや母親どうしの あいださえにも、ヘンな格付けランキングを拵えたがる。

 

なんか、近頃、このテの、自己愛性マザー、ナルシストかあちゃんが急激に増加してるんだろうか。

 

脳に異常が あった うちの母親は、まさに、そういうタイプだったがな。

いまの母親世代よりも、ずっと上の世代で、60歳代で亡くなり、いま存命ならば、80歳代なんだけど。

 

あるいは、これって、もしかしたら、一種の、いわゆる「フェミ」的スタンスからの投稿なのかな?とも思えたが、およそ宗教にも「フェミ」なんちゃらにも疎い私には、こうしたケッタイな風潮の原因となっている詳しいところは分からない。

 

ただ、いったい、自己愛的な歪みから起こしているような犯罪は、男の側にも、よりいっそう頻々と見受けられる傾向の現代だ。

 

 

付け加えておくと、

私の義姉(親父の長女)も、『帝王切開』で出産した。

あの頃は、いまみたいに、「少子化」が深刻になるという切迫感などなく、まだまだ、出生数が多かった時代だからか、『帝王切開』は、妊婦の要望じゃなく、病院や医者側のスケジュールの つごうで決められてしまうらしかった。

 

いまどきの妊婦さんは、持病とか、よんどころない事情が あるわけでもないのに、あえて『帝王切開』希望が多いんだろうか?そのへん、私は知らないけど。

 

 

義姉も、出産後、何度か、うちに電話してきて、母親が、何やら なだめているようすなのを、当時は、小学生か中1だった私は、何なんだろう?と怪訝に思いつつ、ただ、横で聞いていたのだが、

受話器を置いてから、母親が、いささかウンザリした口調で言っていたには、義姉は、切った おなかが痛いことをコボシているということだった。

 

ちなみに、

私自身も、開腹手術のあと、なにしろ、予想外に、痛み止めが殆ど効かなかったため、全身麻酔から覚めたとたん、七転八倒の苦しみを経験している。

痛み止めが効かないということは、おなかを切られた痛みが、そのままということなのだから、そりゃ、断末魔の如しだ。

 

このときも、わざわざ起こさずに、ほうっといてくれて よかったのに、とも思ったしw

以来、全身麻酔による「安楽死」の可能性に興味を持つようになった。

 

で、

重度の仮死状態で生まれさせられた私としては、はなはだ疑問に思えるのだが、

いちおうにせよ「自然分娩」と言っていいものやら どうやら、私の母親は、

『帝王切開』の傷が痛むと、電話で泣きついてくる義姉に対し、やっぱり、どこか軽蔑しているふうな感じだった。

 

私ら母子の場合、
出産予定日を1ヵ月も過ぎようとしているのに、

「出て来たがらないものを、無理に出すことも なかろう」

と、

すでに3人の子持ちだったバカな親父は言っていたそうだw

 

うんうん、いまの私には、察しが ついてるよ。

親父はサ、ダブル不倫相手だった私の母親を、そもそも、本気で、ヨメにするつもりもなかったのに、異常に気の強い女に押し切られたうえ、デキちゃった私を、本音では、産んでほしくなかったんだよねw
どうりで、出生届も出してなかったしww

 

で、

親父の言うことを本気にしていたとも思えないのだが、母親も母親だ。

初めての出産どころか、こっちも、すでに一度や二度は、出産も死産も経験済みでありながら、友人らと酒場へ飲みに出かけ、そこでナンパしてきた男が警察官で、などと、私に向かって、ヘンな自慢を語っていたが、このように、のほほんと構えていて、

ついに、当時は出始めだったという『陣痛促進剤』を使用しなければ ならない事態になった。

 

胎児だった私は、命の綱の「胎盤」が、ほぼ完全に剥がれていた状態のなか、栄養どころか、酸素が絶たれた状態。もちろん、憶えてないけどw

生後6ヵ月からの記憶がハッキリあるくらいだから、ふつうの状態で生まれていたなら、いわゆる「胎内記憶」も鮮明だっただろう。


それにしても、
このバカップル、私が、重度障碍を抱えて生まれたら、どうするつもりだったのやら。


 

いまでも、

「無理に蘇生してもらわいでも、せっかく、キゲン良く死ぬとこだったんだから、ほっといてくれたほうがw」

と思うのだがww

当の母親は、あくまでも、自分が大出血して、死にそうになったことを延々と自慢するだけ。
おまけに、
「会陰切開」とかを しないで済んだのは、医者も感心したほど、アソコの皮膚が柔軟だった おかげとかいう、ヘンな自慢もwww

 

 

『鬼子母神』の逆バージョン。

 

死ぬまで隠し通し、黙りとおして、
文字どおり「墓場まで」持って行きおおせた、魔女のような母親だけど、

私も、近年、長いあいだ疑問に思っていたことを、いろいろ調べてみて、やっと分かったんだが。

 

乳児期に、中等度の聴覚障碍を負うことになった原因が、母親のアンタであるだけでなく、

許し難いのは、
障碍が判明していても、親として取るべき対処を完全放棄し、

私に対して、ひたすら、

障碍のことは隠せ!
いや、そんなものは障碍なんかじゃない、
聞こえないのは、努力が足りない!性格が悪いから聞こえないんだ!と、

そればかりを言い張ってたでしょ、アンタはw

 

しまいには、

「そーいう星のもとに生まれたオマエが悪い!!」

と きたもんだ。

 

私の逸失利益は、莫大なもんだと思うぞ。

 

振り返ると、

うちの親らは、何かにつけて、私を罵るだけでなく、特に人前で罵倒したり、ひどく恥ずかしい思いを させるのが、殊のほかに楽しかったんだなと思い当たるのよ。

 

 

やれ、「来世は」とか「今度生まれてくるときは」と、無責任で陳腐な定番セリフを言わずにおれない心情も、「切なる思いゆえの願望」であるのだろうとして、理解できないでは ないけれど、

やはり、問題が全くないわけじゃないとも思う。

 

どうしても、「リセット」の感覚、
命についての安っぽい感性が つきまとうからだ。

 

言ってる本人たちは、真逆のつもりで、多分に無自覚なんだろうけど。

 

【続く】