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Updated   
2017.02.02 (Thu)

喜ぶべきことなのだろうか。

 

……これはマズイ気が する。emoji

 

たしかに、彼女の夫と同様、親以上に、おつむの回転は良いほうなんだろう。

それだけに、目敏く見抜かれてしまったんだな、と思う。

 

前回の、ごく形式的な、かつ、ご機嫌伺いのためだけの「アメぽち外交」に急ぎ渡米した日本の首相を、

初回で、短時間の印象だけで、彼女は、

自分たちの政権に、非常に つごうのいい人物であるemoji

と見抜いたようだ。

 

 

たちまち、単純にウレシがってるネットウヨらというものは、
ほんとうに、アメリカ国内の、ある種の勢力が差し向けている国賊集団じゃないのか?

と思えてくるのだが、まあ、実態は、単なるアホなんだろう。

 

日本のメディアは、もともと、政権寄りの基本姿勢が平常運転とは言えど、

安倍政権になってから、あれよあれよと、
安倍政権ヨイショ集団に加わった如き朝日新聞の、あまりに底の浅い、典型的な「垂れ流し記事」を見るにつけても、哀れなほどの体たらくと化した。

 

 

私は、近頃では、国内大手紙よりも、国外メディアの配信記事を重点的に読むようにしているし(それでも、「ロイター」あたりは軽視しているがw)

あとは、地方新聞や、個人のジャーナリストで、気骨のあるところを選んで読むようにしている。

このぶんでは、いわゆる記者クラブ系大手紙は、みずから滅ぶ道を歩き始めたと指摘して過言でないようだ。

 

 

嫁さんのドレスしか、褒めるネタが

 

だいたい、トランプのような人物と、その政権に気に入られるということが、わが国にとって、行く末に良い結果を齎すはずも なく、

こういうことの影響は、皮肉なことに、時間が経った あとになれば なるほど、深刻な実態が明らかになるものだ。

すでに、この政権になってから、次々とボロボロ出てきているのだが。

 

せっかく、やっとこさで、政権交代が実現したときも、

自民党の、あまりに長過ぎた政権時代の深刻な弊害に加え、

そこへ差して、未曾有の天災までが起こったことで、

育ちきれていなかった未熟な政権が、あえなく短期間に終わった、

日本の底知れぬ不運よ。

 

あんなアメリカと心中するしか、残された道は ないのだろうか。。。

 

とにかく、

いまの与党、自民党の得票率は、実際には、「民意を得ている」とは言い難い低さなのだから、

アメリカ大統領選ルールで浮かび上がってきた弊害も他人事でない。

早急に、いまの選挙方法を改善しないと いけないだろう。

 

同時に、野党たちだ。

小沢さんのように、もともと自民党出身者が少なくない、そして、一度は与党となった経験を持つ民進党を筆頭に、

早急に、鍛えておいてもらわんと困る。

 

まずは、古狸 自民党とズブズブの官僚狐どもを、どのようにコントロールできるのか、それすらも、危ういのでは ないのかな?

 

汚れきった自民党を支持したくは ない、

だが、野党は頼りない、

と思い込んでいる類の国民たちの罵倒は、だから、ますます激しくなるのさ。

 

以前も言ったけど、
本気で、政権を奪回する気は薄そうな、煮え切らぬ民進党は、場合によっては、切り捨てて、置き去りにしたほうが いいかもしれないよ。
しょせん、「第二自民党」「亜流自民党」だからな。

 

もっとも、これにて、憎さも憎し仇敵、目障りな民進党を潰せる、
と悦ぶ自民党・その周縁の支持者どもは ほくそ笑むかもしれないがね。

そのへんは、いまだ野党第一党であるだけに、賭けだわな。

 

まあ、安倍政権のあとを引き継ぐ勇気は、同じ自民党のなかでさえも、腰が引けていることだろう。

 

今次政権の残していく弊害は、多岐にわたり、どの時代にも増して深刻だろうだけに、

政権を得た以上は、かつての()民主党のように、全てを、自分たちのせいにされること覚悟で引き受けるしか ないのだ。

しかも、

官僚どもは、概ね、敵であり、自民党を、長く仕えた主人とするなかでだ。

 

さあ、どうするのかな。

 

最後に、

相変わらず、

「民主主義は多数決」と主張する無知のくせにヘリクツこいている「顔本」民に言っておく。

 

民主主義の最終手段とされている多数決だが、その決の前には、
じゅうぶんなプロセスを経なければならぬ。

議会での真摯な討論も、その基本中の基本プロセスだが、

そこを、
安倍政権の場合は、目を覆いたくなるほどの拙速、無責任だから、糾弾の声が やまないのだ。

 

もちろん、私は、選挙権を得て以来というもの、ただの一度も、自民党を支持したことは ない。

この政党が、いずれは、腐敗しきった道にハマり込むであろうことも予見していたから。

もはや、政党ごと叩き潰すしか ないのだ。

大手メディアは、目を覚ませ。正気になれ。
野党連はガンバレ。逞しくなれ。
両者とも、成長せよ。
でないと、日本は、腐り果てたすえに潰れるぞ。

 

 

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Updated   
2017.01.31 (Tue)

「安楽死」制度

脳内ビジュアルの話

【続】どうにも かったるい

上記エントリーに追加して。。。

 

よく見かけるリクツだけど、

「生きる権利」が あるのなら、「死ぬ権利」もあるはず、と言う。

これって、正確には、

「生まれてくる権利」に対照させるべきなんじゃないかな。

 

「人権」って、人として生まれてきた以上は、ってことで、

胎児には、「人権」なし、ということらしいし。

生まれてくることに関しては、誰しも選択権ないしね。

「産む権利」は、親のものだろうし。

 

また、

健康体の人でも、然るべき条件が整っていれば『死を選ぶ権利』が適用されてもいいのかなと

こう言う「顔本」民に考えてごらんなさいと促したいのは、

以前のエントリーで述べたように、

このことは、犯罪行為についても指摘できることで、

自殺というものは、けっして、「自由」なとか「選択」どころか、

むしろ、その真逆なのだということ。

畢竟、追い詰められてのことである。

 

 

ちなみに言い添えておくと、

私自身、生来が虚弱体質で、免疫系が弱いほうだったり、消化器系が特に弱点なので、20歳代の頃、よその子どもから伝染したことが切っ掛けで、最後は酷い下血まで至って、救急車を要請し、緊急入院するハメになったこともある。このときは、死の一歩手前だったと告げられた。

もしかしたら、このときの大量出血が、のちに、長年、苦しむことになった極度の貧血状態の要因の一つになったのかもしれないが、

あのとき、
とにかく、一晩じゅう唸り、もんどりうつが如く、
疲弊しきった からだを、ただ眠りで休ませることもできず、ベッド横の壁を掻きむしりながらも、凄まじい痛みのなかで、思っていたこと。それは、

 

こんなに苦しい、痛いなら、死んだほうがマシだ。

でも、これほど苦しいままで死んだら、怨みが残ってしまう。

 

ということ。

 

せめて、今一度、やすらかな息を、やすらかな睡眠を、たとえ短時間でも いいから、と願った。

けれど、それが叶ったら叶ったで、「喉もと過ぎれば」ナントヤラ、

やはり、このまま生き続けたいと思うものだろう、人間って。

 

 

その体験が あるから、私としての結論は、こうだ。

苦痛が絶えない、そして耐えられない状態に陥ってしまった人の場合は、

もし、その段階に至ってから、自己の生死について、最終判断を下すにしても、冷静な結論など導けやしないであろうから、

まず第一には、その苦痛を緩和することが最優先であること。

これは、すでに、そういう考えかたを方針としている医療現場も存在しているのだろうし、

実際、
私の実家の母親も、ほぼ寝たきり状態で長期入院していたところ、ある看護婦が齎した出来事が切っ掛けになって、たちまち危篤状態になったあと、

私や親父の、いつも施してやっていた必死のマッサージなどが効いたのか、一時的には、奇跡的に、呼吸が戻ってきていることも知らされたものの、

そのまま一晩、人工的処置によって、心臓だけは動かしている状態を保っていた、

その翌日、主治医との面談時に、この事態から、せめて、事前の状態にまで回復させる可能性は、ほぼ、ないと告げられたとき、

私は、母本人が、まだ元気だった頃から、おりに触れて、こういう状態になってしまった場合は、無理な延命は、やめてほしいと望んでいたことを話した。

同時に、私の目から涙がドッと溢れ出て、主治医は、痛ましそうに見つめていた。

 

そして、

母の臨終のとき、
父は、さすがに、それほど取り乱すことなく、静かに泣きつつも、さんざん苦労を掛けた自分の女房の最後を見つめていたようだが、

私は、ひたすら母を呼びながら、あかんぼうのように、その胸に しがみついて、泣いていた。

 

思うに、母親というものは、
子にとって、「世界の基礎」を体現する「ファム ファタル」にして、
太古から、まさに「大地の女神」に喩えられてきたように、
その土から生まれてきた自分の足が踏みしめる地面に等しいのだ。

その地面が、大地が、ガラガラと崩れていく。。。立っていられない。

 

世のなかの殆どの人々も、リクツ抜きに共感するだろうと確信している。

母親というものの不可侵な重み、
それに与えられる最高の栄誉とは、そういうことだ。

 

たとえ、デキの良くない母親であっても(苦笑)

 

まだ60歳代だった母を見送り、

よりによって(苦笑)、幼い頃から怖れていた、この父と二人で取り残される、という最悪の事態に、内心で絶望しながら、その心を抑え、包み隠して、

事後の煩雑な手続きの類の合間、ふと、息をついて休憩していたとき、父が話し出した。

 

「おまえ、見ていたか? おかあさんなあ、最後は、無理に心臓を動かしておいただろ。あの太い管を、臨終のあと、やっと、口から外した瞬間、ふーっ、ああ、ラクになったぁ、って穏やかな顔に、みるみる なったんだぞ」

おれは見たぞ、と父は語った。

私は、上述のように、あかんぼうのように泣きすがっていたもので、肝心の瞬間を見ていなかったのだ。

 

 

当ブログにて時おり述べたとおり、私には、父のほうにも母のほうにも、それぞれ片親違いの姉や兄たちが いるのだが、

言いかたを変えれば、

私と同じ両親から生まれた きょうだいは存在しない。

 

だから、どの姉や兄と話しても、父についても母についても、共感を得ることは難しい。

姉や兄らは、同じ両親を持ち、思うところに若干の相違は あれど、

皆それぞれに、複雑な、癒しきれぬ葛藤を抱えておりもするけれど、

彼らどうしのあいだで共有できることも また、当然、少なくない。

 

複雑な、癒しきれぬ葛藤、それは、私自身も同様と言う以上に、

私自身が、最も長く複雑な時間を過ごしてきたのだけれど、

その私の思いを共有できる きょうだいは、一人も存在しない。

 

私は、あの姉や兄の心理や葛藤を理解できるのだが、

私自身の考えや思いは、永劫に、彼らと共有できることは ない。

 

なので、

母の臨終時のようすを、父が感慨深げに話したのを聞いたときに初めて、

父が、あたかも同志や戦友めいて思えたのであった。

もっとも、ほんの いっとき、僅かにだけれど。

その父も、すでに去った。

 

 

Updated   
2017.01.31 (Tue)

ぐおおお~と、さも恐ろしげな咆哮の唸り声。

VS.

精いっぱい打ち鳴らしてみせるデンデン太鼓w

 

「優秀さ」とは。

 

しょっぱなから、新米大統領に、その履いてた下駄を、ぐい、と預けられたと言うよりも押し付けられてしまった恰好の部下たちは、下駄を抱えて、自分が泣く日も来るのかしれないが、

どんな罪咎を肩代わりさせられるやもという点で、彼のスタッフや部下にとっても、やっぱり、トランプ氏は、うかうか油断してられない、グリズリーみたいな上司のイメージw

 

いっぽう、でんでん太鼓はと言うとw

半径数メートル内に入ってる者らが、どれだけのスキャンダル発覚後も、けっして責めず、やさしく、くみし易い、このマリオネットの周囲を固め、
てきとーに おだて上げておくならば、ベラベラぐだぐだゴジャラゴジャラーでんでんでん、

自分でも要領を得ていないことを、永遠と代理で喋り続けてくれるのだ。

 

 

なるほどのトランプさんは、

ただいま、手形ならぬ「大統領令」乱発の真っ最中w

 

「ほらよ、これも!これも!おれが選挙中に言ったことは片っ端からサインしてやってるぞ。ただし、、、」

「不満なら、おれのチーム スタッフ、部下、議会に言ってくれよ」

「おれは、ただ、こうやってサインするだけなんだから。文句あっか?」

 

責任を取る??

もともと、その気は、

な・い

 

「移民の国」ならではの特異な発展性を得たアメリカは、その移民が盛大に流入を始めた初期の時代には、そもそも「不法」も何も なかったわけで。

もっと言えば、原住民を蹂躙して、乗っ取ったうえのことだ。

トランプさんとこの ご先祖も、アメリカに向けての「不法」行為は なかったにせよ、本国のドイツには、法に背いて出てきたんでしょ?

 

 

かたや、安倍チン。

「最高責任者は、ワタシです!」(=でも、ボク朕が責任を取るわけは あーりません。それは、シモジモ国民なかんづく貧民の皆さんに、取っていただくわけで、あります!)

 

「シモジモ」と言えば、例の麻生さんだ。

「シモジモの皆さん」と、選挙演説のとき、聴衆に向かって呼びかけたというエピソードを持つ麻生さんが、

最近、民進党党首に対して、

「天下り」というコトバが、自分の感性に合わんデンデン、

じゃなかった云々とダメ出ししたそうだが。

あーたのズレまくった感性なんざ、どーでもいいよ。

 

たぶん、「でんでん太鼓」の援護射撃のつもりなんだろうが。

 

「天下り」つうのは、そこに、個人の考えや思想は含まれない、すでに、一種の成句みたいに出来上がってるコトバなので、

安倍さんや麻生さんの読み間違い以前の、
ケッタイきわまる造語と言うべき次元とは異なるのよ。

分かるかな?

 

ヤスブシンゾウ

 

 

どっちのほうが、どれだけ、どう、っても、、、

ま、両者どちらも、誰かの操り人形に過ぎないのが、その正体かね。

 

いったんは、部下たちを経由してから降りかかってくるにせよ、

いきなりダイレクトに降りかかってくるにせよ、

最終的に、火の粉、水しぶきのアラレを浴びるのは、一般の民衆たちであることに変わりは ないのだもの。

 

 

国内外のIT業者たちにも言いたいのは、

自分の仕事にプライドあるの?

あるのなら、

それ相応の責任を持ちなさいよ、ってこと。

 

いま、世界は、インターネット技術のせいで、

良くなるよりも、もっと悪くなってきているでは ないか。

 

「いつも悪いこと、アメリカから♪」

と言いたくなるくらい、アメリカによって齎された悪の代表として、

核に次いで、インターネットが挙げられかねないよ。

 

 

Updated   
2017.01.31 (Tue)

どう転ぼうが、

歴史的関わりの事実に直面せざるを得ないというのに、

いまや徹底的に憎悪対象として、ウヨらの忌み嫌って やまぬ、隣り合う国、

そして、

その隣り合う国由来の「ファンタジック」な、抽象的な、モドキ宗教論議が延々と。。。

 

ごらん、これが現実だ。

「カミ」から「シモジモ」まで、あーだら こーだら、

しょせんは、ろくな根拠もないまま、感情のみの口論が繰り広げられてる。

 

この方面に関する記事についた「ヤフゴミ」なんぞ見てたら毎度のことで、

一見は「リベラル」だか「ヒダリ」だかを自任しているような者の投稿でも、

一皮むけば、その根っこは、

口論相手の「ネットウヨ」「ウヨ」らと何も変わるところ なし、ということが、よく分かる。

要するに、

「ヤフゴミ」捨て場の住人も また、ほぼ全員が「ネットウヨ」「ウヨ」の範疇に属する連中に過ぎないということだ。

 

私の察するところ、

おそらく、そうとうの複アカを用い、別人を演じつつ、のべつまくなし投稿するという定番のパターンはパターンであり、

所属する組織や団体を挙げるとすると、その殆どは、
まず『
在特会』シンパ、

次いで『自民党ネット サポーターズ』、『日本会議』系、『産経』関係者であろうということは、これまでも指摘してきている。

もちろん、それ以外のモロモロ弱小グループやら「ローンウルフ」的個々の投稿者までも含まれようが、

おしなべて、その正体は「ウヨ」系と言って過言でなかろう。

 

彼らが、その自覚あってのうえで、あえて、ナリスマシ、茶番を演じているのかは知らない。

それに、

「一投稿につき何円」と きたひにゃ、とにかく大量投稿を繰り返さないことには、たちゆかない金銭事情ある者も少なくなさそうだと思える()

 

ところが、一転して、

昨今、深刻さを増している、国民間における醜悪な「マイノリティ叩き」「弱者叩き」に対しては、

これを、べつだん、諌めるべく使命感も起きにくいと見えて、
ほとんど静かに傍観姿勢なのだ。

 

そりゃそのはず。

「ネットウヨ」なり「ウヨ」と「サヨ」「なんちゃってリベラル」間を、
つど、衣装替えしながら忙しく行ったり来たりしている茶番劇を演じているだけなのであれば、だ。

 

いずれの装いを演じていようとも、

いついかなるときでも、

「天皇」と呼ばれる人の進退、その ごく限られた周縁、

とうの昔に形骸しか見当たらなくなっている継続のことのほうが、

この日本では、

われわれ主権者国民生活の、多岐にわたる喫緊問題よりも、
もっと ずっと大事な案件なのだそうな。

 

 

相次ぐ天災、災害ばかりか、

どうやら、みずからが精神を病んでいたらしい者に、
重度障碍者たちが守られていたはずの公的施設内で襲撃され、
夥しく殺められた事件も起きたのだけれど。

 

障碍者たちや被害者たちを、いまだに冷笑し、侮辱し、

凶悪で身勝手な下手人にこそ共感して見せる、

彼ら「ウヨ」を中心としたネット民は、

その口で、天皇と皇室を褒め称えて やまぬ。

 

もっとも、

天皇と、その一族が、あらゆる感情や思いを、その胸底深くに押し込め、けっして、おもてに出さず、

何か発言に及ぶときは、言いたいことが判然としない傾向を帯びるよう心がけ、同時に、常に穏やかそうな微笑を浮かべていれば、
といった条件付き。

 

。。。胸くそ悪くなる。

 

 

天皇さんの期するところを思うに

 

現天皇さんは、思想と実践とにおいて、「新しい天皇像」を模索されてこられたなか、伝統とされる何は割愛しても可、何は継承し続けなければならぬと選り分けられてきたのだろうか。

そのことについて、言明されたことは あるのだろうか。私は全く、記憶もないし、知らない。

 

特に、「男系」だ「女系」だということの拘りを捨てても差し支えないので あれば、

もちろん、そんなことに拘るのは、現代的価値観に のっとって考えれば、ナンセンスに違いなく

(とは言え、「天皇」や「皇室」というものを、意地でも継続させねば ならんという強迫観念自体が、もうナンセンスの域と言えようけれど)

現代の一国民である私も、少なからぬネット民が挙げ騒ぐ「X」が「Y」がと、染色体を理由に言い募り、言い争うのを見ていて、なんだか怪訝に思っていたのでは ある。

 

だって、

「万世一系」で男系ばかりが継いできたのだ、という話は、
昭和天皇も認めておられたように、ファンタジーの次元でしょうが。

 

これは ついでの話だけど、

X」「Y」染色体の説を用い、これをして、皇室外部の勢力に喰い込まれるのを退けることが できたのなんのというならば、

「染色体」のセの字もあり得ぬ昔の時代、

藤原のゴム長とかいうとこの娘らを、ガンガンたて続けで、ときのミカドの嫁に入らせたことで、内外とも実権を掌握していったとか、歴史の授業で習った記憶は、かすかに残ってるがね。

 

 

ただ、皇室特有の祭祀を執り行う身として、本来的には、それが男性でなければ不つごうであるとかいうことも聞いていたので、そのあたり、
拘るべきなのか、そんなことは ないのか、

皇室神道のトップである天皇さんにしか、判断、決断を下せないで ないか?と指摘してきたわけだ。

 

特に、胡散臭い『日本会議』系の、これまた胡散臭い学者が提唱し始めたに過ぎないとも言う、この「XY染色体」どうたらいうのは、しっかり妥当性のある説なのかどうか。

だいたい、そんな話は、大昔には、幻想としてさえ存在し得ないのだから。

これを掲げるネット民の、けっこう多く見かけるようなのが、なおさら怪訝さを いや増すのである。

 

 

たしかに、現憲法のもとでは、「政教分離」は基本のことでありながら、

しかも、皇室神道のトップである天皇が、

同時に、「日本国民統合の象徴」であるとか言明されるのだから、

なんとも割り切れない、奇妙さが つきまとう話には違いない。

まともに考え始めると、頭痛が起きてきそうなほどの珍奇さ。
こっちの意味でのほうが、よっぽど、世界的にも稀なることでしょうよw

 

要するに、最初から、拭い難い無理が あるわけだが、

この、「政教分離」かつ「国民統合の象徴」という位置に、「皇室神道」の体現者たる天皇が納まろうとすれば、えらくアクロバット的としか言いようのないほど、矛盾に満ち満ちた様相を呈するほかは ない。

そこで、

現憲法を最重視される天皇さんとなれば、主宰される皇室神道のほうで、男系が執り行うべしという条件をも割愛すべし、というふうに思い切られたのかどうか、そこがサッパリ分からない。

 

まあ、こんにち、主権者は国民なのだから、決定権も国民にあり、ということのはずで、

女系天皇よい、あるいは、反対、と国民が決めたならば、一も二もなく、それに従いますよ、まだ決めてないうちは、何も言えませんな、ということなのだろうか?

 

しかし、
どんなに熱心に研究し、歴史的知見を重ねている学者や識者であっても、皇室神道の奥のことに関しては、天皇さんの お考えや意向しだいだと思うけどねえ。

 

「皇室典範」を どうするのかという議論でも、
天皇家・皇室の内向きのことは、天皇さんが決めるべき、という意見も、国民間では多いようだ。

なので、

そのへんは、遠慮なさらず、ハッキリおっしゃったらいいのにね、

と、私は思うわけ。

 

そもそも、神道も含めて、皇室の背後に在ったはずのもの一切を割愛し、

これから「新しい天皇・皇室」を、この現代から始めていきましょうよ、

とするにあたり、

特異的、特権的立場の理由とするところの皇室の「伝統」って、

いったい何だったの?となるし。

 

それにしても、

長らく、武家政権の時代が続いて、実権を失っていた天皇と皇室が、
不満を溜め込んでいた下級武士たちの子息によって引っ張り出される かたちで、明治維新を起こしたという面もある、

その明治時代から開始されたところの あれやこれやを、あたかも何千年と昔からのものだと、知らないあいだに思い込まされていたことを、
私自身、わりと近頃になって自覚したもので、

こういうのって、ずばり、「洗脳」のうちでしょ?

やめてほしいと思う。

 

 

Updated   
2017.01.27 (Fri)

「息子らを安楽死させたい」 父の悲痛な叫び バングラデシュ
AFP=時事 1/26() 16:52配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170126-00000037-jij_afp-int

 

日本国もなあ、大手アキンドひき連れてのヒモ付きと言えど、こういう面での援助は どうなってるのかな。

現地の人々の本当の要望に遠く、実は、評判悪いとも聞くし、結局、

どこの国にも存在している、一部の特権層、富裕層だけをウハウハさせてるだけだとも聞く。

 

まっ、
自民党政府なかんづく安倍政権は、「安楽死」制度を国民が望むことを望んでいる
だろうなwアッソウとか特にww

 

 

私個人の場合だが、

高齢になるまでは、「おれは、なるべく早く死にたい!」と、しょっちゅう言ってた父親に対し、正直なところ、
ああいうのに限って、皮肉にも長生きするもんだ、という実感。

ぶっちゃけて言ってしまうと、

もう少し早く亡くなってくれていたら、私自身の人生が、もう少しはラクだったとすら思う。

 

いやはや、親父も哀れだわな(苦笑)

子どもの恨みを買いまくったあげく、最後の最後まで裏切りの人生だった本人の自業自得とも言えるけど。。。

 

いっぽう、母親のときは、そりゃ大変には違いなかったけど、

それでも、どんな姿になっても、生きていてほしいという思いは基本的に変わらなかった。

 

まあ、世のなか、寝たきりになって自宅で介護を何年にもわたり、
といったケースも少なくないし、

実家の親は、入・退院を繰り返し、最後も入院していたし、それほど長年には至らなかった おかげなのかもしれないけれど。

これは、
私にとって、父親が、人間的に信用しきれないという不安が、幼い頃から濃厚だったせいで、母親のほうにばかり思い入れ強固になったという面も あると思う。

 

実際には、ある意味、親父よりも、母親のほうが、もっとタチの悪いところが あったのだが。

私も、若い頃は、親の内心の底に気づいていないことも多々あったので。

また、親ら本人も、自覚が薄かったと思う。自分自身が認めたくなかったろうし。

 

認めるのが辛くないわけじゃないが、

もしも、私の障碍が、もっと重いものだったり、

出生時の難産で、脳性マヒの恐れは高かったのだから、実際そのとおりになっていたなら、

うちの母親は、手のかかる子としての私の死を願ったことだろうと察しているよw

 

幸か不幸か、私は、母親の「野望」のようなものを叶えるためには必要な存在だった。

 

自分の役に立つ子か否かで判断しているという自覚が薄かった、また、気づいていても、直視できない人だったから。

でも、けっこう、こういう親は多いのかもしれない。

 

だから、

たとえば、北朝鮮の拉致被害者の横田さんのような親御さんは、えらいなあと言うか、
うちの親には、あそこまでの愛情も情熱も備わってなかったw

 

親父は、まだ、あかんぼうのうちに、母方の伯母の家庭へ跡取りとして望まれ、養子に迎えられて、それが貧乏な家だったもんで、

せっかく、実家のほうは裕福だったものの、「立志伝中」の人だった実の父親は、まだ中年期の年齢で亡くなったし、

養子先でも、これまた、伯母に当たる養母が若死に。

二人で残された義伯父に当たる養父には、もともと、嫁のほうが、手に職ある おかげで、亭主よりも稼ぎが あっただけに、

甲斐性なしの自分だけでは、私の父親を進学させてやる経済力もなく、やもめになって以降、まだ小学生だった親父を、家事全般にコキ使い、気に入らないと、暴力を振るい、

で、
やりきれなくなった親父は、一念発起して志願し、士官学校に入り、当時のエリートコースを目指したわけ。

なので、

親父は、親の愛情というものを、ほとんど知らない。

 

私の母親のほうはと言うと、これも、幼いうちに、弟妹を残して、実母が若死に。

私の祖父の後妻となった義祖母が、典型的な、かつ凄まじい継子イジメを やったものだから、非常に苦労した。

(ところが、義理の孫らに対しては、内心で、「罪滅ぼし」のつもりだったのか、とても甘かった。特に私なんかには、たいへんに気前良く可愛がってくれたから、じつに皮肉なものだ。)

しかも、母らの子ども時分は戦中。

それでも、

母については、彼女の実母が生きていた頃は、その愛情を、たっぷりと受けていた。

 

だから、

ほんとうに、親の愛情というものを、ほとんど知らなかった親父よりも、

それを知らないわけでは ない母親のほうが、どうかしたら、親父以上に、子である私に対して計算高い面が あったのを、どういうことなのかな、と思うわけ。

 

ただ、母の場合、自分の実母の死後は、唯一の保護者として信じ、頼りきるしかなかった父親(私の祖父)が、性格のキツい、若い後妻を迎えたあと、ことごとく裏切りの連続だった ありさまで、そのギャップの大きさが、どこかに、根の深い歪みを齎したと言えるのかもしれない。

 

 

さて、「安楽死」「尊厳死」。

そりゃあ難しい。一言で決めつけることは できない。

私も、このような制度に、反対だけを唱える気は ない。

むしろ、自分でも、むかしから望んでいたとも言える。

 

特に、常時、苦痛の伴う重病等の場合、治療や治癒が不可能の恐れが高い場合は、考慮の要は なしとまで言えない。

 

ただ、ここで警告できるであろうことは、

本人が望むなり納得してもいないのに、「安楽死」(本当に安楽に死ねるのか分からんが)や「尊厳死」やらを押し付けてしまう危険性は、大いに あると思う。

特に、個人を尊重する、という精神が浅いままの日本社会では。

 

負担になっている者が、なかなか肯じないとなると、

せっかく「安楽死」制度が できたのに、
なぜ、受け入れないのか、わがまま勝手だ、

と、あからさまに言うことは避けたとしても、陰湿に、陰に陽に抑圧すると思うね。

そういう傾向の国民性だものw

 

 

「きのう きょうとは思わざりしを」

とか、昔の人も言い残したそうだが、

自分自身が、いちおう元気なあいだは、エエカッコしたような宣言が できても、

当の同一人物の心や思考の内に、時間やコンディションしだいで変化するものだ。

頑として一貫した考えで貫けるとは限らない。

 

「自分が認知症になったら、家族に迷惑を かけたくないし」

等々、いかにも冷静に語っている人は多く見かけるけれど、

その自分自身が、本当に認知症等になったあとで、

事前に、「安楽死」なり「尊厳死」なりを与えてくれろと書き記してあったにも かかわらず、

いざ、そのように、周囲が実行しようとしたら、本人、あらんかぎりの声で、

「やめてくれ、殺さないでくれ」

と叫び始めるかもね。

 

 

これも よく聞く意見。

「迷惑を かけたくない」

あかの他人さんなら ともかく、一番 近しい家族に対してすら、いや、
家族だからこそ、そう思うのだねえ。

※ちなみに、これも過去エントリーで紹介した実話だけど、


私の知人は、今日明日にも亡くなりそうで、思いのほか、なかなか亡くならない親の死期を、看護婦から教わっていた方法で、少しづつ早めていくことを実行したという。その動機は、

在宅で、親の看病に専念する自分を、自分の家庭へ、もとどおりの生活ペースへと戻したかったから、これ以上はムリ、と判断したのだと言う。

要するに、

自分の家庭生活を最優先するため、すでに意識が薄れてしまっている親の死期を、わが手によってコントロールしたわけだ。他の家族らには一切、黙ったまま。


日本人の平均以上の学歴や経歴、エリート外国人と結婚しているだけのことは ある。

これくらいの冷酷さや計算や実行力が ないと、自分第一の生きかたを通せないわな。私には、逆立ちしても できないけど。



旧の過去エントリーでも言ったことだけど、

(家族に)迷惑かけては いけない」

の裏返しは

(家族に)迷惑かけられたくない」

ということだ。

 

(自分を)安楽死させてくれろ」

の裏返しは

(おまえも)安楽死してくれ」

ということだ。

 

 

相も変わらぬ殺伐。

「姥捨て山」の時代は、遠い昔話では ないってことだな。

いや、どんどん、先祖返りしているのでは ないか、この国は。