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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2017.01.31 (Tue)

どう転ぼうが、

歴史的関わりの事実に直面せざるを得ないというのに、

いまや徹底的に憎悪対象として、ウヨらの忌み嫌って やまぬ、隣り合う国、

そして、

その隣り合う国由来の「ファンタジック」な、抽象的な、モドキ宗教論議が延々と。。。

 

ごらん、これが現実だ。

「カミ」から「シモジモ」まで、あーだら こーだら、

しょせんは、ろくな根拠もないまま、感情のみの口論が繰り広げられてる。

 

この方面に関する記事についた「ヤフゴミ」なんぞ見てたら毎度のことで、

一見は「リベラル」だか「ヒダリ」だかを自任しているような者の投稿でも、

一皮むけば、その根っこは、

口論相手の「ネットウヨ」「ウヨ」らと何も変わるところ なし、ということが、よく分かる。

要するに、

「ヤフゴミ」捨て場の住人も また、ほぼ全員が「ネットウヨ」「ウヨ」の範疇に属する連中に過ぎないということだ。

 

私の察するところ、

おそらく、そうとうの複アカを用い、別人を演じつつ、のべつまくなし投稿するという定番のパターンはパターンであり、

所属する組織や団体を挙げるとすると、その殆どは、
まず『
在特会』シンパ、

次いで『自民党ネット サポーターズ』、『日本会議』系、『産経』関係者であろうということは、これまでも指摘してきている。

もちろん、それ以外のモロモロ弱小グループやら「ローンウルフ」的個々の投稿者までも含まれようが、

おしなべて、その正体は「ウヨ」系と言って過言でなかろう。

 

彼らが、その自覚あってのうえで、あえて、ナリスマシ、茶番を演じているのかは知らない。

それに、

「一投稿につき何円」と きたひにゃ、とにかく大量投稿を繰り返さないことには、たちゆかない金銭事情ある者も少なくなさそうだと思える()

 

ところが、一転して、

昨今、深刻さを増している、国民間における醜悪な「マイノリティ叩き」「弱者叩き」に対しては、

これを、べつだん、諌めるべく使命感も起きにくいと見えて、
ほとんど静かに傍観姿勢なのだ。

 

そりゃそのはず。

「ネットウヨ」なり「ウヨ」と「サヨ」「なんちゃってリベラル」間を、
つど、衣装替えしながら忙しく行ったり来たりしている茶番劇を演じているだけなのであれば、だ。

 

いずれの装いを演じていようとも、

いついかなるときでも、

「天皇」と呼ばれる人の進退、その ごく限られた周縁、

とうの昔に形骸しか見当たらなくなっている継続のことのほうが、

この日本では、

われわれ主権者国民生活の、多岐にわたる喫緊問題よりも、
もっと ずっと大事な案件なのだそうな。

 

 

相次ぐ天災、災害ばかりか、

どうやら、みずからが精神を病んでいたらしい者に、
重度障碍者たちが守られていたはずの公的施設内で襲撃され、
夥しく殺められた事件も起きたのだけれど。

 

障碍者たちや被害者たちを、いまだに冷笑し、侮辱し、

凶悪で身勝手な下手人にこそ共感して見せる、

彼ら「ウヨ」を中心としたネット民は、

その口で、天皇と皇室を褒め称えて やまぬ。

 

もっとも、

天皇と、その一族が、あらゆる感情や思いを、その胸底深くに押し込め、けっして、おもてに出さず、

何か発言に及ぶときは、言いたいことが判然としない傾向を帯びるよう心がけ、同時に、常に穏やかそうな微笑を浮かべていれば、
といった条件付き。

 

。。。胸くそ悪くなる。

 

 

天皇さんの期するところを思うに

 

現天皇さんは、思想と実践とにおいて、「新しい天皇像」を模索されてこられたなか、伝統とされる何は割愛しても可、何は継承し続けなければならぬと選り分けられてきたのだろうか。

そのことについて、言明されたことは あるのだろうか。私は全く、記憶もないし、知らない。

 

特に、「男系」だ「女系」だということの拘りを捨てても差し支えないので あれば、

もちろん、そんなことに拘るのは、現代的価値観に のっとって考えれば、ナンセンスに違いなく

(とは言え、「天皇」や「皇室」というものを、意地でも継続させねば ならんという強迫観念自体が、もうナンセンスの域と言えようけれど)

現代の一国民である私も、少なからぬネット民が挙げ騒ぐ「X」が「Y」がと、染色体を理由に言い募り、言い争うのを見ていて、なんだか怪訝に思っていたのでは ある。

 

だって、

「万世一系」で男系ばかりが継いできたのだ、という話は、
昭和天皇も認めておられたように、ファンタジーの次元でしょうが。

 

これは ついでの話だけど、

X」「Y」染色体の説を用い、これをして、皇室外部の勢力に喰い込まれるのを退けることが できたのなんのというならば、

「染色体」のセの字もあり得ぬ昔の時代、

藤原のゴム長とかいうとこの娘らを、ガンガンたて続けで、ときのミカドの嫁に入らせたことで、内外とも実権を掌握していったとか、歴史の授業で習った記憶は、かすかに残ってるがね。

 

 

ただ、皇室特有の祭祀を執り行う身として、本来的には、それが男性でなければ不つごうであるとかいうことも聞いていたので、そのあたり、
拘るべきなのか、そんなことは ないのか、

皇室神道のトップである天皇さんにしか、判断、決断を下せないで ないか?と指摘してきたわけだ。

 

特に、胡散臭い『日本会議』系の、これまた胡散臭い学者が提唱し始めたに過ぎないとも言う、この「XY染色体」どうたらいうのは、しっかり妥当性のある説なのかどうか。

だいたい、そんな話は、大昔には、幻想としてさえ存在し得ないのだから。

これを掲げるネット民の、けっこう多く見かけるようなのが、なおさら怪訝さを いや増すのである。

 

 

たしかに、現憲法のもとでは、「政教分離」は基本のことでありながら、

しかも、皇室神道のトップである天皇が、

同時に、「日本国民統合の象徴」であるとか言明されるのだから、

なんとも割り切れない、奇妙さが つきまとう話には違いない。

まともに考え始めると、頭痛が起きてきそうなほどの珍奇さ。
こっちの意味でのほうが、よっぽど、世界的にも稀なることでしょうよw

 

要するに、最初から、拭い難い無理が あるわけだが、

この、「政教分離」かつ「国民統合の象徴」という位置に、「皇室神道」の体現者たる天皇が納まろうとすれば、えらくアクロバット的としか言いようのないほど、矛盾に満ち満ちた様相を呈するほかは ない。

そこで、

現憲法を最重視される天皇さんとなれば、主宰される皇室神道のほうで、男系が執り行うべしという条件をも割愛すべし、というふうに思い切られたのかどうか、そこがサッパリ分からない。

 

まあ、こんにち、主権者は国民なのだから、決定権も国民にあり、ということのはずで、

女系天皇よい、あるいは、反対、と国民が決めたならば、一も二もなく、それに従いますよ、まだ決めてないうちは、何も言えませんな、ということなのだろうか?

 

しかし、
どんなに熱心に研究し、歴史的知見を重ねている学者や識者であっても、皇室神道の奥のことに関しては、天皇さんの お考えや意向しだいだと思うけどねえ。

 

「皇室典範」を どうするのかという議論でも、
天皇家・皇室の内向きのことは、天皇さんが決めるべき、という意見も、国民間では多いようだ。

なので、

そのへんは、遠慮なさらず、ハッキリおっしゃったらいいのにね、

と、私は思うわけ。

 

そもそも、神道も含めて、皇室の背後に在ったはずのもの一切を割愛し、

これから「新しい天皇・皇室」を、この現代から始めていきましょうよ、

とするにあたり、

特異的、特権的立場の理由とするところの皇室の「伝統」って、

いったい何だったの?となるし。

 

それにしても、

長らく、武家政権の時代が続いて、実権を失っていた天皇と皇室が、
不満を溜め込んでいた下級武士たちの子息によって引っ張り出される かたちで、明治維新を起こしたという面もある、

その明治時代から開始されたところの あれやこれやを、あたかも何千年と昔からのものだと、知らないあいだに思い込まされていたことを、
私自身、わりと近頃になって自覚したもので、

こういうのって、ずばり、「洗脳」のうちでしょ?

やめてほしいと思う。

 

 

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