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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2017.01.27 (Fri)

「息子らを安楽死させたい」 父の悲痛な叫び バングラデシュ
AFP=時事 1/26() 16:52配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170126-00000037-jij_afp-int

 

日本国もなあ、大手アキンドひき連れてのヒモ付きと言えど、こういう面での援助は どうなってるのかな。

現地の人々の本当の要望に遠く、実は、評判悪いとも聞くし、結局、

どこの国にも存在している、一部の特権層、富裕層だけをウハウハさせてるだけだとも聞く。

 

まっ、
自民党政府なかんづく安倍政権は、「安楽死」制度を国民が望むことを望んでいる
だろうなwアッソウとか特にww

 

 

私個人の場合だが、

高齢になるまでは、「おれは、なるべく早く死にたい!」と、しょっちゅう言ってた父親に対し、正直なところ、
ああいうのに限って、皮肉にも長生きするもんだ、という実感。

ぶっちゃけて言ってしまうと、

もう少し早く亡くなってくれていたら、私自身の人生が、もう少しはラクだったとすら思う。

 

いやはや、親父も哀れだわな(苦笑)

子どもの恨みを買いまくったあげく、最後の最後まで裏切りの人生だった本人の自業自得とも言えるけど。。。

 

いっぽう、母親のときは、そりゃ大変には違いなかったけど、

それでも、どんな姿になっても、生きていてほしいという思いは基本的に変わらなかった。

 

まあ、世のなか、寝たきりになって自宅で介護を何年にもわたり、
といったケースも少なくないし、

実家の親は、入・退院を繰り返し、最後も入院していたし、それほど長年には至らなかった おかげなのかもしれないけれど。

これは、
私にとって、父親が、人間的に信用しきれないという不安が、幼い頃から濃厚だったせいで、母親のほうにばかり思い入れ強固になったという面も あると思う。

 

実際には、ある意味、親父よりも、母親のほうが、もっとタチの悪いところが あったのだが。

私も、若い頃は、親の内心の底に気づいていないことも多々あったので。

また、親ら本人も、自覚が薄かったと思う。自分自身が認めたくなかったろうし。

 

認めるのが辛くないわけじゃないが、

もしも、私の障碍が、もっと重いものだったり、

出生時の難産で、脳性マヒの恐れは高かったのだから、実際そのとおりになっていたなら、

うちの母親は、手のかかる子としての私の死を願ったことだろうと察しているよw

 

幸か不幸か、私は、母親の「野望」のようなものを叶えるためには必要な存在だった。

 

自分の役に立つ子か否かで判断しているという自覚が薄かった、また、気づいていても、直視できない人だったから。

でも、けっこう、こういう親は多いのかもしれない。

 

だから、

たとえば、北朝鮮の拉致被害者の横田さんのような親御さんは、えらいなあと言うか、
うちの親には、あそこまでの愛情も情熱も備わってなかったw

 

親父は、まだ、あかんぼうのうちに、母方の伯母の家庭へ跡取りとして望まれ、養子に迎えられて、それが貧乏な家だったもんで、

せっかく、実家のほうは裕福だったものの、「立志伝中」の人だった実の父親は、まだ中年期の年齢で亡くなったし、

養子先でも、これまた、伯母に当たる養母が若死に。

二人で残された義伯父に当たる養父には、もともと、嫁のほうが、手に職ある おかげで、亭主よりも稼ぎが あっただけに、

甲斐性なしの自分だけでは、私の父親を進学させてやる経済力もなく、やもめになって以降、まだ小学生だった親父を、家事全般にコキ使い、気に入らないと、暴力を振るい、

で、
やりきれなくなった親父は、一念発起して志願し、士官学校に入り、当時のエリートコースを目指したわけ。

なので、

親父は、親の愛情というものを、ほとんど知らない。

 

私の母親のほうはと言うと、これも、幼いうちに、弟妹を残して、実母が若死に。

私の祖父の後妻となった義祖母が、典型的な、かつ凄まじい継子イジメを やったものだから、非常に苦労した。

(ところが、義理の孫らに対しては、内心で、「罪滅ぼし」のつもりだったのか、とても甘かった。特に私なんかには、たいへんに気前良く可愛がってくれたから、じつに皮肉なものだ。)

しかも、母らの子ども時分は戦中。

それでも、

母については、彼女の実母が生きていた頃は、その愛情を、たっぷりと受けていた。

 

だから、

ほんとうに、親の愛情というものを、ほとんど知らなかった親父よりも、

それを知らないわけでは ない母親のほうが、どうかしたら、親父以上に、子である私に対して計算高い面が あったのを、どういうことなのかな、と思うわけ。

 

ただ、母の場合、自分の実母の死後は、唯一の保護者として信じ、頼りきるしかなかった父親(私の祖父)が、性格のキツい、若い後妻を迎えたあと、ことごとく裏切りの連続だった ありさまで、そのギャップの大きさが、どこかに、根の深い歪みを齎したと言えるのかもしれない。

 

 

さて、「安楽死」「尊厳死」。

そりゃあ難しい。一言で決めつけることは できない。

私も、このような制度に、反対だけを唱える気は ない。

むしろ、自分でも、むかしから望んでいたとも言える。

 

特に、常時、苦痛の伴う重病等の場合、治療や治癒が不可能の恐れが高い場合は、考慮の要は なしとまで言えない。

 

ただ、ここで警告できるであろうことは、

本人が望むなり納得してもいないのに、「安楽死」(本当に安楽に死ねるのか分からんが)や「尊厳死」やらを押し付けてしまう危険性は、大いに あると思う。

特に、個人を尊重する、という精神が浅いままの日本社会では。

 

負担になっている者が、なかなか肯じないとなると、

せっかく「安楽死」制度が できたのに、
なぜ、受け入れないのか、わがまま勝手だ、

と、あからさまに言うことは避けたとしても、陰湿に、陰に陽に抑圧すると思うね。

そういう傾向の国民性だものw

 

 

「きのう きょうとは思わざりしを」

とか、昔の人も言い残したそうだが、

自分自身が、いちおう元気なあいだは、エエカッコしたような宣言が できても、

当の同一人物の心や思考の内に、時間やコンディションしだいで変化するものだ。

頑として一貫した考えで貫けるとは限らない。

 

「自分が認知症になったら、家族に迷惑を かけたくないし」

等々、いかにも冷静に語っている人は多く見かけるけれど、

その自分自身が、本当に認知症等になったあとで、

事前に、「安楽死」なり「尊厳死」なりを与えてくれろと書き記してあったにも かかわらず、

いざ、そのように、周囲が実行しようとしたら、本人、あらんかぎりの声で、

「やめてくれ、殺さないでくれ」

と叫び始めるかもね。

 

 

これも よく聞く意見。

「迷惑を かけたくない」

あかの他人さんなら ともかく、一番 近しい家族に対してすら、いや、
家族だからこそ、そう思うのだねえ。

※ちなみに、これも過去エントリーで紹介した実話だけど、


私の知人は、今日明日にも亡くなりそうで、思いのほか、なかなか亡くならない親の死期を、看護婦から教わっていた方法で、少しづつ早めていくことを実行したという。その動機は、

在宅で、親の看病に専念する自分を、自分の家庭へ、もとどおりの生活ペースへと戻したかったから、これ以上はムリ、と判断したのだと言う。

要するに、

自分の家庭生活を最優先するため、すでに意識が薄れてしまっている親の死期を、わが手によってコントロールしたわけだ。他の家族らには一切、黙ったまま。


日本人の平均以上の学歴や経歴、エリート外国人と結婚しているだけのことは ある。

これくらいの冷酷さや計算や実行力が ないと、自分第一の生きかたを通せないわな。私には、逆立ちしても できないけど。



旧の過去エントリーでも言ったことだけど、

(家族に)迷惑かけては いけない」

の裏返しは

(家族に)迷惑かけられたくない」

ということだ。

 

(自分を)安楽死させてくれろ」

の裏返しは

(おまえも)安楽死してくれ」

ということだ。

 

 

相も変わらぬ殺伐。

「姥捨て山」の時代は、遠い昔話では ないってことだな。

いや、どんどん、先祖返りしているのでは ないか、この国は。

 

 

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