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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.14 (Thu)

というのは、おシャカさまのコトバじゃなかったかと思ってたんだが、検索しても出てこないので、記憶違いかもしれない。

でも、ショーペンハウエルあたりが、とか言うけれど、錚々たる西洋哲学の大家たちよりも、ずーっと昔に、そういうことを喝破したのは、やはり、お釈迦さまだろうと思う。

とは言え、王子時代の彼は、すでに自分の子が いて、その後に出家したそうだけれど。

 

 

お釈迦さまと言えば、「悟り」。

ほんとうに悟りを開いたとなれば、以降、生まれようが生まれまいが、いっさい、頓着しなくなりそうなもんだがね。

生まれるも良し、生まれぬも良し、と鷹揚にw

 

 

「神」なるものを希求するのも、人間ゆえだ。

人間は、他の生物と比べ、知性が非常に発達しているので、意味のないものには耐えがたい。

快楽に理由は なくても よかろうが、
苦痛を伴っていれば、理不尽さや無意味さには耐えられないからだ。

 

およそ宗教というものは、源を、肉体ゆえの煩悩に発する。

だから、

大概、どの宗教の戒律を見ても、

肉体の超克

を目指すようなものが多い。

肉体こそが、この世を「苦」ならしめているからだ。

 

もちろん、そこへ、快楽というものも多少なりは加わるのだが、

圧倒的に、「苦」の存在が大きい。

 

 

「生まれるの、やめときまっさ」

と流れていった胎児の話は、芥川の『河童』に登場するんだっけ?

 

 

「本人の同意なしになぜ生んだ?」インドの男性が両親を告訴へ

2/7() 17:26配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00010006-huffpost-int

 

うん、まさに好事家的というか、高等遊民的な、そしてナンセンスな提案では あるだろうけれどもw

これってのは、永遠の哲学的テーマとしての典型よね()

ほとんどの人は、若い頃に、一度は考えたことあるんじゃないの?

 

あるいは、この「自分」とは何か?とね。

まあ、これに関しては、イタリアか どこかの学者さんが提唱したらしいが、ある一個の肉体の内側を通して見たり、聞いたり、触れたりなどすることによって、これが自分で、自分そのものである、というふうな感覚が できあがっていく、という説が、私は、もっともだと思う。

ある意味、「自我」って、その程度なんだ。

脳という、肉体の一部をチョチョッと弄っただけで、記憶・性格・気質までもがコロッと変わってしまうそうだし。

 

このことは、いつぞやのエントリーでも少々触れたけど、

「リサイクル」。

少なくとも、「この世界」では、おそらく、すべてが物質ゆえのことなのだ。

もちろん、肉体も、そこから生じる心の動きも、この物質世界ゆえの現象に含まれる。

 

 

さて、この記事に付いた「主コメ」の一つには、そして、諸手を挙げて賛同している大量の「従コメ」にも、心底、呆れてしまった。

同意ができると考えてるなら拒否もできるはず

それは違うよおw

チミたち、はなはだズレてるよww

まったく分かってないね。やれやれ。

 

だって、

同意するも拒否するも ないじゃん。

そもそも、ハナから聞いても聞かれてもないんやがなw

 

ふつうに、われわれの日常生活のなかでも、基本的として心がけてると思うけど、

当事者本人の同意を得てもいないのに、勝手に実行するなー!

ってことでしょうよ、言いたいのは。

 

でも、それが罷り通っちゃうのよねー。

 

「本人の同意をー」云々とメクジラ立てるのは、

たとえば、「神」の存在を求めちゃう心情と同様、あくまでも人間ならではの、そして、その社会におけるものであって。

自然の摂理は、そんなことに お構いない。

「出物腫れ物ところ選ばず」ぢゃwww

 

 

およそ哲学の初歩レベルのショッパナから、外れてしまってる代表的な思考停止コメントを挙げてみると、

「無よりは有であるべきだ」なーんて断定しちゃってるコメント投稿者ねw

チミは、哲学的センスを持ち合わせていないのだから、こういう話題には参加しないほうが無難だわよww

 

根本的に、

なぜ、「無では いけないか」。

なぜ、「有のほうが良い、望ましいと言えるのか」。

ほれ、答えてみな?wほれほれww

 

哲学というものはね、何ごとも、徹底して根源根本を考察するの。

あってアタリマエの感覚を大前提には しないのよ。

そこに、自力で気づけない人は、そもそも、自分は哲学的センスを備えていないんだと悟ったほうが いい。

 

 

まあ しかし、このように、

「同意を得ていなかった」こと、すなわち「拒否しなかった」ことにイコールであるとか、「同意が できると考えてるなら拒否も できるはず」とかいう、のっけからズレズレなコメには、「完璧な論破」と称賛の列だわ()

 

案の定で、見るからに「ネトウヨ」まる出しなプロフィール画像を掲げてるところを見ると、しょせん「ヤフゴミん」は、このレベル。ぜんっぜん、哲学方面の適性ゼロwわかってたけど、あらためて、ため息が出るww

 

無理して、こういう話題に参加し、滑稽なくらいにズレたコメント投稿するのは よして、気が狂いそうなほど大好きな「特ア」関連とかミリオタ向きの記事にでも飛びついてろよ、いつものようにw

あさはかが剥き出しになってる自覚もないんだから、哀れさえ もよおしてくるぞww

 

それとね、

「精子」も「卵子」も、おとっつあん、おっかさん、それぞれのカラダが持つ機能や生理反応の一部でしょ。

そこの「ヤフゴミん」ら、わかっとるかい?

なぜに、
おとっつあんの「精子」が、おっかさんの「卵子」目指して突進して行ったのは、まだ胎児にすらなってない、その時点では影も形も ありゃしない自分自身が突き進んで行ったからで、それ自体をもって「同意した」と見做せる、なーんて、えらく支離滅裂なことが言えるんだよ
(^_^;)

 

父・母と自分の違いは分かるかね?

もしかして、同一視してるんかな?

「ネトウヨ」や「ウヨ」の特徴的思考回路だからなあ、自他の区別が曖昧模糊で、つい「同一視」してしまう傾向性が大というのはw

 

それと、
「ネトウヨ」らは、子どもを産むのは、愛国の義務!みたいに思ってるらしいから、そりゃあ、生まれることに文句を言うなんて、「不孝」で「不忠」で、けしからん非国民!と思うんだろうなw

 

まっ、「ヤフゴミ捨て場」は、いわゆる「ネトウヨ」系の巣窟、
こんな思考レベルの連中に、およそ哲学的考察なんざ、ハナッから無理ムリ!(ヾノ・∀・`)ムリムリてなもんだけどw

 

辛うじての救いは、せいぜいのところ一人か二人か三人くらいかな、
まずまずな解釈を してるのは、しかし、そのコメントには、青ポチわんさかw

 

 

もう亡くなられたが、生前は個性派で鳴らした、ある有名俳優さんは、

「子どもを産み落とすということは、この世にツバつけるようなものだ」

と おっしゃってたのを思い出す。

 

もう一つ、思い出すのは、

おとうさんが、たしか、黒人の米兵だという、(もと?)女子プロレスラーの何と言ったっけ、名前は失念してるけど、
彼女が思春期の頃だかに、イジメの原因になってたということで、

あるとき、おかあさんに向かって、なぜ勝手に産んだんだよ、と文句を言った。

すると、おかあさんは、

「ああ、勝手に産んだよ、それが どうした」

とピシャリ答えたんだと。

 

そのことを取りあげて、

むかし、例の『汚気・愚』で、「生まれぬが幸せ」についての質問投稿したことが ある。

 

あそこのサイトでは大概、何のつもりなのか、いきなり噛みつかんばかりの凶悪な回答者が出てくることが多々あるんだけど、

そのときも、おそらく、回答している自分自身が、親として忸怩たる状態に あるのか、または反抗期の子どもに手を焼いていたのか何か知らんが、

えらく無礼で屈折しまくったオッサンが、さっそく乗り込んで来て、さんざんヒステリックに八つ当たりの説教したいほうだいしていきよったことが あった。

口先で説教している内容と現実のあいだに、大きな乖離が あるんだね、ということが窺えるってもんです。

 

 

【続く】

 

 

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