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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.14 (Thu)

【続】「生まれぬが幸せ」の続き。

 

さて、最後になったが、本題。

 

哲学や宗教としてでは なくて、

あくまで法律としての面で考察するのであれば、現実的・実用的というのか、早い話で片付けられそうだわね。

つまり、相続絡みといった一部の場合を除いて、

「胎児には、人権は認められない」。

ということで、

はい、却下!w

となるんだろうけどね、ただし、日本では。

 

インドでは どうなんだか、調べてみても、わかんなかった。

古来、各種の宗教色が濃い国柄だし、

女性や女児の人権が、そうとうに混沌とした現状では、胎児の人権など考えてるどころじゃない次元かもね。

 

だけど、

そもそも、「意志表示」というものが できない者には、人権は ない、ということとなれば、意味深なことではある。

もちろん、現実的な問題も生じるし。

胎児でなくても、意志表示が可能でない人も存在するのだからね。

石原チンタロ爺さんあたりは、躊躇なく、人間としての範囲から外すのかも しれないけどw

 

 

ま、自分は生まれて生きて、いちおう満足してる、あるいは、幸せだ、と言える人は、素直に感謝しておれば いいことで、

自分よりも艱難辛苦を味わっている人を指して嘲笑したり、侮蔑したり、罵倒したりは、厳に慎むが よい。

そういう行いを見るにつけ、

「ああ、この者、ほんとうには、自分自身が不満タラタラの心であるのを、他者が そうであると見て、ケシカラン!と非難しているのだな」

と、見抜かれてしまうよ。

 

 

ところで、

「憂きことの尚この上に積もれかし、かぎりある身の」……

と、
ここまでエネルギッシュなことは、私は、よう言わんし、すでに、おなか いっぱい。

けれど、

誤解している者を多く見かけるが、

自殺でさえも、実際には「自由」とか「選択」では ないのよね。

本人としては、追い詰められ、のっぴきならなくて、まさに「不自由」ゆえのことなんだから。

しかも、

失敗したら、目も当てられねえ。

今度こそ、自殺を図る行為すらもできなくなって、カンペキなる不自由に陥る場合も ある。


 

 

「意志」って何なのか。「自由」って。

ほんとうのところ、そんなものが、われわれに あるんだろうか?

 

 

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