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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.15 (Fri)

例の『野田市 小4少女』の死亡事件だけど。

 

【続・続】千葉県野田市の小学4年生の事件について

 

「ヤフゴミ溜め」のコメントというのは、たぶん、同一人物が、複数のアカウントを取得して、大量に投稿しているらしいのが窺えるので、必然的に、同じような内容のコメントがズラリと並ぶことになるわけだろうけど、あれ見てたら、つくづく厭になるのはね、

やたら残虐な刑の「提案」ばっかり並べ立てて、いわゆる「しつけ」という虐待、と言うよりも折檻、拷問に相当してしまうようなエスカレート現象の根本考察や、そこから発して、分析へ、予防の観点へは、豪も進む気配が見受けられないところなのよ。

しまいに、心底、寒々としてきて、

昨今の流行みたいな「子殺し」現象は、この国が、いよいよダメになってきている兆しのような気もするけれど、
そこから持ち直す希望すら、もう持てないんじゃなかろうかという、絶望的な気分になってしまうので、社会的弊害・有害の面が大き過ぎる「ヤフコメ」欄は廃止しろ、と言い続けてるんだけどね、私は。

 

まずね、

「ヤフゴミん」お好みの「死刑」も さりながら、被害者である少女と同じめを、この親にも味わわせたところで、もちろん、被害者が浮かばれるはずもないどころか、

加害者である親は、もっと、自分の娘を逆恨みするだろうということ。

 

なぜかというと、

「しつけ」のためだったと頑強に主張するんだから、自分は正しいのだ、間違ったことは してない、それなのに、なぜ、そんな自分が、拷問されたり、死刑にされなきゃならないんだ?と、

ますます、自分の子を、「自分にとって、最悪の災厄を齎したダメな子」として憎しみ、逆恨みするハメにしかならないの。

 

 

以前のエントリーでも何度か言ってるけど、

このテの問題を起こす当人というのは、私自身、もともとから脳の何かしらに問題が あったり、「自己愛性人格障害」の傾向を持ってたり、それを嵩じさせたりするんだろうな、ということを言ってきた、と同時に、

それらは、殊のほかに「被害者意識」を持ち易い要因にもなり得る、ってこと。

 

したがって、その「被害者意識」を、「仮にも、自分は正しい」という信念を持っている者は、単に刑罰を受けただけでは、「被害者意識」かつ「自己憐憫」と、逆恨みを募らせるだけなのよ、せいぜいが。

こんなことでは、それこそ、被害者は浮かばれないわよね。
ましてや、実の親ときてるんだから、これが。

 

とにかく、
まずは、何が、折檻するに相当するだけの「悪い子」だったと思うのか、加害者本人に、説明させることから始めなきゃならない。

もちろん、作話や、自分を正当化するためのデッチアゲも辞さないから、慎重な注意を要する。

 

でないと、

まあ、大概は、子ども側が言うこと聞かなくても しかたないほどの、くだらないことが「しつけ」の理由なんだろうけど、

その「理由」が、いかに くだらなくて、身勝手きわまる次元のものだったかを、当人に分からせないと、反省の段階に進められない。

 

うちの親父なんかも、たとえば、「ふろの掛け湯は何杯までにしろ」とか、そういう、守る必要も感じられない、くだらなくも、もの凄く細かい主張を してくるタイプだったんだけど(一事が万事で、カネにも細かいw)

最も原因になってたのは、やっぱり、お酒の問題。

 

それでも、壮年期までは、病気で入院することもなく(自分のルール違反による交通事故のときだけだった)、いたってエネルギッシュで頑丈なカラダだったから、私ら家族も、他人も、りっぱな「アル中」の域に入っている者だということには、なかなか気づかなかったの。

なんだかんだ言ってても、いちおう、仕事は行ってたし、管理職を務めてもいたし。

 

うちの母親も亡くなり、そのおりに、じつは、脳に異常が、という話を聞かされ
(うちの母親は、自分の店を経営してた時代に、交通事故で、頭を打って長期入院したことが あるので、そこからのものなのか、遺伝性のものなのかは、さだかでない。ただし、母親の姉妹たちは、生まれつき癲癇持ちとか、中年期に精神病を発症したということは ある)

今度は父親のほうも、いよいよ高齢になり、さすがに入・退院を繰り返すようになってからだ。親父の主治医の忠告で、ハッキリと「アル中」ですよ、と言い渡されたのは。

 

 

それからね、「脳が委縮する」という、虐待児に起き易いという現象。

これが、殆どのケースに見受けられる事実であれば、これこそが、虐待、折檻といった暴力行為の連鎖を引き起こす原因になってしまうのかもしれない。

 

まあ、委縮した脳で主張する、「この自分は正しい」「必要な躾だった」と言い募るのが、はたして真っ当で妥当な内容だったのかどうか、推して知るべし、というところだわな。

たぶん、ほとんどの場合、親側の無自覚で勝手な言い分に過ぎないだろう。

 

 

そもそも、自分と感覚が異なる人と常に一緒に居ると、ストレス溜まってしまうのを自覚してるからこそ、普通に、もともとアカの他人と結婚して、子どもの二人や三人も拵えて、一つ屋根の下で家族を形成する、
そのなかで、
自分の勝手な細かい主張に従わないからとて、暴力を振るってしまう者の感覚が、どうにも理解し難いのだが、

私なんかでも、けっこう細かいところが気になったりする神経質な面は あるし、だけど、その神経質さは、ほとんどの場合、畢竟、自分の感覚による つごうに過ぎないだろうし、他者は他者で、また異なる感覚を持っているだろうから、相手が子どもであるとか、生態の異なる動物に対しては特にだが、基本的生活上の問題に繋がるようなこと以外では、こっちの つごうによる細かい要望を押しつけたりしないよう、自分自身の身勝手や独り善がりに注意しながら律するし、

それが 成人どうしのあいだである場合なら、お互い、すでに自分なりのライフ スタイルを築きあげてしまってるだけに、致命的なほどの嫌悪を感じるレベルならば、可能なかぎり、距離を あける。

感覚や考えかたが大幅に異なる相手を、生活の伴侶には、とうてい選べないわ。
反面で、自分の主張を、相手に呑み込ませて従わせるのも厭なのでね、私は。

 

 

いわゆるサディスト・マゾヒスト、この両者は、同一にして表裏である。

他者を暴行するというのは、「私物視」「同一視」しがちな者が、自分自身を暴行しているのである。

すなわち、相手に対する暴虐・憎悪は、自分自身に対する暴虐・憎悪である。

 

ところが、やはり、自分は最も可愛いのが基底であるから、常に、無自覚のうちに、どうしようもない葛藤を抱えている。

「愛」と「憎しみ」も、表裏一体になりがちだ。

 

それらを誤魔化すのに つごうが いいのが、「躾のため」という単純化である。

だが、そんな誤魔化しが、ほんとうの心理的解決になるはずもなく、事態は延々と続く。

 

はまって抜けられない自分自身を憎悪し、その憎悪を、私物視・同一視している相手に向けていく。

ほとんどは、自分にすら逆らうことが できないはずの相手だ。要するに、「自己投影」。

 

やれば やるほど、アディクトの深みに はまる。

行くところまで行かないと、もの足りなくなる。

 

ものすごく醜悪な世界だよ、こういうのって。

 

ところで、全く知らないものを、「足りない」からと欲しがるだろうか。

少しは知っていて、全く知らないのでは なかろうし、

結局、

「足るを知らない」のだろう。

つまり、「餓鬼」の姿だ。

「餓鬼」というものは、エネルギッシュである。

 

 

うちの親父が、酒かっくらって、あるいは、必ずしも、お酒を飲んだからとは限らないところも困るんだけど、

とにかく、暴れて、私らに暴行し始めるときの姿というのは、
まさに「悪鬼」か、というほど、凄まじいものだった。

あの直前には、親父の全身が、ヘンな色に赤らみ、こぶしを固く握り締めて、仁王立ち。

 

母親を庇う私が必死で とりなそうとすると、ニヤリと、気持ちの悪い表情を浮かべる。

暴行を はたらいている最中は、まさに、「溺れている」感じなのよね。
邪まな快楽に。

 

学校時分の私が、あの親父、はっきり言って異常なんじゃないかと言うと、

母親は、

「シッ。異常だと決めつけると、かえって、それを理由に、ああ、俺は異常なんだからな、と、もっと ひらきなおりよるで」

と言ったものだ。

 

 

ここで、私なりの指摘を すると、

男性の場合、性行為と、単なる暴力行為というのは隣り合わせというか、かなり重なっていると見受ける。

だから、暴行したあと、セックスに入るとか、強姦したあと、嬲り殺すとか、ありがちなこと。

これと同様で、実は、食欲と性欲も、密接に繋がっているらしい。

 

ま、男性というのは、敢えて喩えれば、女性性の「足」を一本もぎ取ったような性ですから、良くも悪くも偏っているのは本当だと思う。良くも悪くもね。

 

 

心理学でも指摘されているようだけど、

「怒り」というものは、怒れば怒るほど、もっと怒りを募らせてしまうもので、これもアディクト、一種の「中毒」なのだ。

なので、「自己愛性人格障害者」なら、もろにハマるんだろうと思う。

 

これも、すでに言ってきたことだけれど、

この「怒り」にせよ、「被害意識」にせよ、常に正当・妥当な理由が あるとは限らないということを踏まえておかなければ ならない。

 

むしろ、そこの見極めが できないか、

分かっていれば尚のことで、ひらきなおってしまい、身勝手という邪まさに溺れてしまう人種も存在するということ。

 

まあまあ「普通」に平穏な人生を過ごしてこれた、もの知らずな人たちが、あらゆる社会的システムを担い、運営していくしかないのであるから、そういう仕事に携わっている「普通」レベルの人たちこそは、世のなか、こうした「度し難い」ほどの異常な者も少なからず存在するということを知っておかなければ いけないね。

 

 

ひとえに生育環境に発した問題が あったのならば、そこを解きほぐしていけば、本人の自覚を得ることは難しくないかも しれないし、社会的な対策を探ることも容易だが、

それだけではなく、生まれつきの性質・気質も大なのであれば尚のことで、本人に、自分自身こそが問題の最大原因であることを自覚させるのは、はなはだ困難だろうと思う。

でも、なんとかしないと。

 

われわれ市井の庶民としても、まずは、自分の足もとからだな。

 

「弱者叩き」して愉悦しているような国民では、解決は不可能だよ。

もっとも、
「ネトウヨ」というエセ愛国者は、この社会を劣化させることを目的として煽りに煽ってるようだけど。単に異常性格だから、自覚が ないのかね?

 

 

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