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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.14 (Thu)

「生まれぬが幸せ」の続き。

 

かく言う私、
若い頃、『ウパニシャッド』に興味と共感を持ったことも あった。

ぶっちゃけ言うと、

いわゆる「カルマ」が どうこうといったことについて、頷ける気持ちが全く ないでは ないのよ。

だって、

それこそ、「生まれることを自ら選んだ」覚えはサラサラないけれど、

敢えて言えば、

親でもない、それとは全く別の、正体不明の存在に、

「ほーれ、あの愚かもん夫婦のとこへ、生まれに行ってやらんかーい!!早う行けー!早う行けーー!!そりゃーーー!!!」

蹴っ飛ばされて、泣く泣く、生まれさせられた、

ような感覚なら、なんとなく ある。。。(苦笑)

 

とは言っても、

私は、泣き声を あげるどころか、黙ったまま、

ほとんど死んでる状態で産み落とされた。

 

放っておいてくれたら、ほどなくして、きげん良く?死んでいったはず。

ほんと、リーヴ ミー アローンですわ。

そのまま死なせてほしかった。。。

 

しぶしぶ、生まれさせられたというか、蘇生させられてしまったのよw

とほほ。

おかげで、

最後の最後まで、あの愚物夫婦に つきあわされてしまった。

 

 

腹のなかに居るあいだにも、無知で愚かもんの不倫妊婦である母親に虐待されてる状態だったんでね。

酒責め、予定日が、とーっくに過ぎていても完全無視、

そのあげくが、

胎盤ズル剥け剥離で、栄養どころか、酸欠状態に晒されていたんだから。

 

体力なく、虚弱、おつむの回転ぐあいは常に、ぼーーーと停滞状態なのも、極限に置かれていた胎児時代と、続く大難産の悪影響が終生、つきまとっていたゆえだろう。

 

 

うちの親らは、特に母親は、父親と、その連れ子に対する強烈な不満から、

「出来損ない」だの「おまえなんか産むんじゃなかった、おまえのせいで、おかあさんは損してる!」

などと、罵倒し続けた。

 

すべてを見届けた いまなら、私は言えるよ。

「オマエさんらの、少なくとも、晩年、老後は、誰の おかげだと思ってるんだ?あーん?emoji

とね。

 

それを言っても しょうがない、それならば、そっちも、

「おまえなんか産むんじゃなかった、わたしは損してる」

などと、下劣なセリフをホザクな、ってことよ。

こちとら頼んだ覚えは ねえよ、と言いたくもなるわいな。

 

親子が逆転していて、母親を常に心配していたのは、娘である私のほうだった。

親父の暴行から庇い、あらゆる人からの抗議やイヤミにも、本人の知らないところで、私が謝罪していた。

 

 

さてさて、

人間は、「本能を逸脱」していると言われるほど、知能が発達してるだけに、いろいろと余計な、どうかしたら邪まな計算も入り込んでくるのよね。

子どもを産むことにも、「エゴ」が入ってき易いわけ。

 

たとえば、昔なら、

「最低でも、墓守を継ぐ者が絶対に必要だったんだ。だから、好きでもない相手と結婚せざるを得ないことも多かったし、子どもが できないというのは、大きな問題だった」

とは、
まさに、子どもが できない伯母の家に養子として連れ込まれた、実家の親父から聞いた話。

(せっかく、大金持ちの家に生まれたのに、田舎の貧乏人に、もぎ取られるように連れて行かれて、かえって迷惑な事態になったんでねw)

「跡取りが必要」とか、

「子どもが できたと迫れば、彼が結婚してくれるかも」とか「子どもを孕ませたら、俺のものになるかも」とか。

 

子どもを幸せにしたい、では なくて、

ほんとうは、自分が幸せになるためにと期待して産むんだ。ほとんどの者は そうじゃないかね?

もっとも、子どもによって幸せになれたよと思えるなら、それは それで、結構なことなんだろう。

 

 

「単に(子どもを)欲しかったから」という単純な理由は、最も素朴な理由だわね。

むしろ、それくらいのほうが好ましいのよ。

結婚でも何でも そう。

 

うちの親みたいに、あれやコレや、邪念と欲望を下地に、狡猾な計算を巡らして、というよりは、ずっと。

目的を持って、いろいろと事前に目論むタイプは、わたしゃ、鬱陶しい。不自然さが鼻についてしまう。

 

 

ただね、

「エゴ」で産む、ってのは、猿のように、人間と似た社会形態を持つ動物にも、多少は見受けられるようだ。なぜなら、

この あとのエントリーで再び取りあげるつもりだが、

子どもを多く持つこと、子育て経験が豊富であること、というのは、オス猿の生殖相手に選ばれやすい、すなわち、雌猿にとって、一種の「ステイタス」を得られる手段でも あるようだから。

 

母猿が、死んだ子猿の死体を、いつまでも未練がましく、それこそ干からびてる状態になっても連れ歩くのは、そのことにも関係していそうに思える。

 

次回のエントリーでも、例の『アンコール トム』で、社会生活を営んでいる猿たちの動画を幾つかピックアップする予定。
眼を背けたくなるような場面も あるけれど、
ヒト族の社会の原始を目撃しているかのような、とても興味深いものなので、ぜひ、見てみて、そして、考察してみて。

 

 

殺人であろうが何だろうが、それを行えたということは、可能だったからだ。

「この世」が許しているから、それを行える。

そこで、これも哲学的テーマとして取りあげられるのが、

「人を殺して、なぜ悪い?」。

 

しかし、それじゃあ、おのおの剣呑で困るんで、知性と理性が発達しているはずの人間は、あらゆるルールや法律をワンサカこしらえて、お互いに、身を守ろうとする。

そこからハミ出たら、または、バレたら、罰される。

それが、人間の歴史と社会。

 

 

「それを言っちゃあ始まらねえよ」としか言いようのない、くだんの訴えを掲げた男性の御両親ともに弁護士ということなので、

それで、裁判所を、言わば、親子ディベートの場にしちゃえ、というアイディアでも出たのかしらと思ったんだけど、

息子さんは、じきに30歳代に手が届く年齢、そのトシで、いまさら「論理的思考育成」も ないわいなw

【続く】
 

 

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