2023.05.02 (Tue)
【旧ブログ エントリーの記録より】
色えんぴつ 2011/04/02 22:30
文房具でプチぜいたく
私の、ささやかな楽しみの一つ。
記事に添えられた、色とりどりのペンなどが並んでいる写真を見ていて、ああ、そうだったと思い出したのが、母の色えんぴつ。
いままでにも書いたことがあるかもしれないけど、
母は、あれこれの不治の持病の上に、なおも 梗塞で倒れた最初のときばかりは、周囲が驚くほどの回復力を見せてくれた。
退院し、少し落ち着いた その頃、
ある日、私に、色えんぴつと、ぬり絵を買ってくるようにと言う。リハビリとボケ防止のためだそうな。
それで私は、ふだんの買い物ついでに文房具コーナーへ赴き、幼い女の子が喜ぶような ぬり絵帳を二、三と、
色えんぴつは、ちょっと張り込んで、色数を多くセットしたものを購入し、持って行った。
ぬり絵というのも、いまでこそ、おとなが楽しむために、古今東西の名画に題材を とった、気の利いたものが出ている。
何年か前、
絵を描くのが好きな父の持病が嵩じて、手足の自由が狭まってきたのを見て、リハビリと楽しみを兼ねてもらおうと、数冊、購入したことがある。
さて、命じられて私が運んできた品々を おもむろに確認し、
つと、色えんぴつの缶ケースへ手を伸ばし、
その蓋を あけた瞬間、
豊かな色彩のハーモニーに目を瞠った母の歓声が上がった。
いつもは、いわゆる「もの喜び」というのを、あまり しない性質の人だったのだが、
このときは、しみじみと、
「ああ、やっぱり いいなあ、こういうの」
と呟いていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2
母の子ども時分の想い出話に、図画工作の授業で、色調の変化だけを描いた抽象的な作品が、何かの賞を とったとか言ってただろうか。非常に器用な手を持つにもかかわらず、絵を描くのは苦手な人だったのだけれど。
実母を幼くして亡くし、継母の思惑ゆえに、進学の意志を妨げられ、
ごく若くして、意に染まぬ相手へ嫁がされた母にとって、
色えんぴつの色彩を味わうなどは、実に半世紀ぶりだったはずと思う。
母が亡くなって、しばらくしてから、
かつて私が持って行った ぬり絵帳を見つけ、めくってみた。
いっしょうけんめいに塗ったあとが残されていた。
(再掲)
亡き母が
忘れ得ぬと言い遺せし
ト翁の『復活』
われも手にせむ
カテゴリ: リビング > 健康
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【旧ブログ エントリーの記録より】
何はなくとも 2012/04/01 23:09
というのは、『インド』に限りませんわなあ。
なんだか似た話、
日本の庶民だって、たとえば、車は高級外車なのに、住んでいる所は安アパートとか、そういった例は、けっこう多いのらしい。
一方では、てんで役立たずが、ほぼ10分会議でン千万だとか。
それでも強く慰留されただとか。
何が「勝ち組」で「負け組」なんだろう。
「ボロは着てても心は錦」なんてコトバもあるけれど。
たとえ、国民の食糧は なくとも、りっぱなミサイルは持ってるゾという国も あることだしw
いまは、世界じゅうが、ありとあらゆるところで、奇妙なアンバランスさを加速させているようだ。
そして、世界じゅうが、奇妙なアクロバットで奇妙にバランスを とるのに必死みたい。
古賀春江「窓外の化粧」1930年(年神奈川県立近代美術館蔵)
世の終わりの季節には、春だろうか夏だろうか秋だろうか冬だろうか。
とりあえず、いま、私が暮らしている場所では、いつものように光の前知らせがあったのち、いよいよ疾風に乗って、あわただしく春が帰ってきたらしい。
ああ、春よ。
その持つ光、すべてのものを荘厳し、
奇妙にも哀しき浮揚の季節。
Jean-Francois Millet(1814-1875)Spring(1868-1873)
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2016.04.10 (Sun)
【旧ブログより】
要は、やっぱり、急がば回れということか 2010/10/20 16:35
あの救いようのない甘ったれカルトのオババも「パニック障害」だと自己申告してたけど、あやつは、他にもイロイロありそうだわな(嗤)
やっとパニック障害を克服できた頃には、そろそろ認知症が始まったりしてな
小学生時代は、私も担任教師らから「落ち着きがない」と評価を下されていたよ。
当時は、ボキャブラリーも、経験のストックにも乏しいわけだし、
自分自身について、親とか周囲の大人の判断を鵜呑みにするしかないような年齢なわけだから、いまでこそ、ときに、自分が可哀そうな気にもなるけど、
私は当時、自分が、聴覚障害だということも知らなかったからね、
先生が言ってることを聞き取れなくて、思わず周囲を見渡して、いま何をやるべきなのか察しようとしてたのだけども、それが、担任教師からの、「キョロキョロ落ち着きがない」という評価になってたのだろう。
そういう状態で長年過ごしてごらんな、
厭でも、こんなふうに↓になってくるわ。
~
「自律神経のうち、リラックスをつかさどる副交感神経が極度に低下しているため、落ち着いた行動がとれなくなっているのでしょう」と分析するのは、順天堂大学医学部教授の小林弘幸医師。自分にとって緊張する場でしかない会社にいるだけで副交感神経が低下してしまい、自分で自分を制御できない状態に陥ってしまっているのだという。
~
(文字強調部分は、当ブログ主による)
私の場合、言わば、「つくられたパニック障害」とでも言えるか。
つまりは、厭でも、こう↓なってくる。
~
人と接することの苦手な彼には、会社という組織自体に身を置くこと自体がストレスなのだ。
~
それでも、
地の私は、もともとがノンビリおっとりタイプだから、病気や家庭環境の劣悪にもめげず、精神的に完全に潰れてしまわずにやってこれたかなと思う。
聴覚障害を抱えてるなんて、はたから見てても分からないよと、多くの人に言われてきた。
もちろん、その陰には、私の人知れぬ努力と、相応のストレスがある。
うちの無責任親も、ずいぶん、そういう私に甘えてきたもんだと思う。
“zakzak”にしてはマジメな良記事なのかな?!
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2016.03.17 (Thu)
【旧ブログの記録より】
望郷 2011/12/31 11:15
~食の好みは変わるものなのだ。~
そのとおりだと思う。
以前も書いたことかもしれないが、食物の味付けというものは、薄いなら薄いほうに、濃いなら濃いほうに、わりと簡単に馴らされるものらしいとは、子どもの頃から気づいていた。
そのあたりに関連することは、『青信号で今週も』シリーズの大和田先生も おっしゃってたと思う。
子どもの頃、家庭の事情で、母が長期間、上京していた時期があって、その間、私が学校から帰宅したら食べられるようにと、父が出社前に、卵焼きを拵えておいてくれたりした。
初めて、関東育ちの父の作った卵焼きを食べたとき、
甘ったるい味が付いていて、それまで、大阪で生まれ育った母の、だしの味で食べることに慣れていた私は、お菓子のような甘さに驚いた。
しばらくは、少々の抵抗感が伴ったものの、何度か食べてるうちに、いつしか馴染んでいたと みえて、今度は、帰って来た母が、早速つくってくれた卵焼きの味が、なんとも もの足りない。
子ども心に、「えらいもんだな」と思った。
そして、やはり、
だしの味で食べる卵焼きのほうに、たちまち、舌は戻っていった。
私が、人生で初めて、実家を出て、自活生活に入った頃。
すでに、からだの不調が しのび寄っていることにも気を留めず、
ただ ただ、この生活を維持していくために、心の どこかの部分を置き去りにしたままで、やみくもに働いていた。
職場と、ささやかな自宅との往復生活。。。
そんな あの頃、
そこに引っ越してくるまでは、見知らぬ街に過ぎなかった、帰宅途中の道で、どこからともなく漂ってくる夕餉の匂い。
いま思い返すと、ひどく孤独だった。
実家に居た頃は、料理上手な母の作る、昔ながらの煮付け料理など、さして おいしいとも、ありがたいとも思わず、文句すら言っていたのに、
むしょうに、母の作ったものが恋しくなっていた。
世のなかには、親の作ったものの味を全く知らないで生きてきた人たちも大ぜい いることだろう。
私は、父方も母方も、実の祖母を知らないのが、少し残念に思っていたけれど、
うちの両親は、それぞれの母親を、早くに亡くしたせいで、子どもの頃から、自分で作って、家族にも食べさせることに、深く慣れていた。
過去のエントリーで、母の母親(つまり、私の祖母)を亡くして間もない頃、
まだ乳飲み子の末子を含め数人の子らを抱えてヤモメになってしまった父親を、少しでも手伝ってやろうとして、
皆まだ就寝中の早朝に一人で起き出し、
それまで作ったことのない味噌汁を、まだ幼い母が、小さな手で作ろうとして、
ワカメの扱いかたを知らずに、砂混じりのまま投入してしまい、
起きてきた祖父に怒られたという話。
それを私に聞かせた母は、どこか悲しそうだった。
そんな母も亡くなってから、しばらくした いつ頃だったか、ある晩の夢に、母の手料理を、心ゆくまで味わっている夢を見た。
それは夢でありながら、珍しいほどリアルな味覚が伴っていたものだから、目覚めて思わず、トクしたなあとニンマリした(笑)
『だしと卵 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2435434/
【注:すでに閉鎖されたサイトなので、アクセス不可】
そうそう、トビウオの「あごだし」。
母が亡くなったあと、ヘルパーさんを頼むまでは、私が毎日、父の食事を作っていた頃、
味噌汁の だしを、トビウオで引いてみたことがあって、味噌汁が好物の父は一口飲むなり、
「あっ、このダシ、いつもよりコクがある。そうか、やっぱりトビウオ使ったのか。全然ちがうなあ」
と言ってた。
むかし、実家で保存してあったトビウオの干物を、お料理が得意な貧乏男子に分けてあげようと持ち出そうとしていたら、父が、
「おい!おれのトビウオを、そんなに持っていくな!
」
と慌てていたw
トビウオは高級品なんだって、
あの当時は私、そういうことも、ほとんど知らなかったのだ。
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【旧ブログの記録より】
コンキスタドール 2010/11/19 07:57
このニュース記事は、すでに見かけていたのだけど、エントリーするのは気が進まなかった。
やめて!!と叫ぶことは
残酷、と呼ぶことは いけないことなんだろうか。
日本にだって、国内外からの評判が悪い、「残酷」な風習がないわけではないけれど。
すぐに やめてほしいというのは 失礼なんだろうか。
闘牛も、どこがいいのだか、幼い頃から怖ろしくて理解不能だった。
子どもの頃に読んだ『ドリトル先生』にも出てきたっけ、
スペイン人は、闘牛をやる点だけが残念だ、みたいな。
炎のなかで立ち尽くす牛は何を思っているの
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【追記】
民俗学的領域になるのだろうが、心理学的にも、
どこの国や地域においても、こうした類の風習を見聞するにつけ、
この世は惨い所ゆえ
(それは、肉体すなわち、どこまでも完全に物質の世界であるということ、誰しも、これを逃れることは できない)、
大昔の人々の、自然界に対する深い深い恐れと、強迫観念の域に達したかのような凄まじさをも感じさせられる。