2015.12.13 (Sun)
【この項、『「母の泥船」』の続き。】
結果、私は、思わぬ障碍を負うこととなり、
おのれの愚かさを直視できない、とことんウヌボレやの親は、
それを また、ネグレクトし続けたという ご丁寧さ。
なんぼ学業成績その他が、子どもの頃から非常に優秀でも、
つまるところ、人格障害とか、脳みそに異常性がある者だと(母には、どうやら、癲癇その他の潜在的遺伝もあったようだ)、こんなもんなのだろうか。
とことん自己防衛、自己保身に必死だったなあ。
他の きょうだいども(と言っても、皆、私にとっては義理筋だけど)、
首から上は ともかくもw
首から下だけは元気!元気!!でクソ暑苦しいくらいなのにww
(しかし、親の面倒は みないズル勝手!w体力あり余っとるくせして
私一人が虚弱ぎみ、障碍のストレスも加わってか、
子ども時分から なんとなくダルく、いつも しんどかったのは、そのせいだな。
それでいて、
子宮を はみ出しかねない、というのは言い過ぎで、
べつに「巨大児」だったわけでは ないものの、
大幅に予定日を過ぎた分だけ大きくなってるわけで。
むしろ、
予定日どおり出生していたら、平均よりも小粒に産まれていただろう、って程度でしかないのに、
「大きく産んでやったろ!」
と自慢していた母親w
あげくの果て、
「さっさと出て来ないアンタが悪い!!」
と きたもんだww
ちなみに、私は幼い頃から、多少の自覚はあったが、
狭くるしい所が嫌い。
なんか、だんだん窒息しそうで(爆)
手足が自由に動かせないと、叫びだしたくなるのw
あかちゃんが、手足ごとスッポリ、おくるみに包まれているのを見ただけで、ちょっと息苦しくなるほど。
…
とにかく、世にも珍しい出生状態だったということで、くだんの担当医が、学会に報告させてもらうと言ってたんだとさ。
たぶん、当時は、まだ新薬だったのかなと思うが、
「陣痛促進剤」の副作用という観点からも、学会発表の価値があったのだろうと思う。
出生後も、何かと珍現象に つきまとわれたアタクシw
思えば、出産時や幼児期の特異性だけではない、
私は、本来なら、あらゆる意味において、産まれてくるはずが なかったんだけどな。
数奇なるアタクシ(爆)
カテゴリ:リビング > 育児・福祉
2015.12.13 (Sun)
【旧ブログの記録より】
「パルモア病院」って言えば 2013/10/31 22:31
私にも全くの無縁ではない。
『「プロジェクトX」にも登場 神戸・パルモア病院が民事再生申請』
産経新聞 10月31日(木)13時39分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000545-san-bus_all
『<パルモア病院>民事再生法適用を申請 神戸』
毎日新聞 10月31日(木)13時28分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000042-mai-bus_all
とあるコメント投稿者さんも感慨を述べておいでだけど、
うちの母も同様、些か自慢げに言ってたのは、
私の出産のとき、母が お世話になったのが、くだんのパルモア病院にて診察していた産科医で、その医師が、個人で営んでいた医院だったそうな。
たまたま、当時の自宅から近かったというのが、第一の理由に過ぎないのだろうけど、その医院は、当の医師の お住まいでもあった普通の民家を、ごく少数のみ入院可能にしてあったものだそうで、正真正銘の「アットホーム」な体制だったと聞いた。
ただ、、、
私、予定日を大幅に過ぎて、ものすごい難産で産まれ、母子とも、かなり危険な状態だったらしい。
以前も、どこかのエントリーで述べたと思うけど、こういう話を するとき、うちの母親は、きまって、
「あんたは、なにも危険じゃなかったの。おかあさんだけ、命が危なかったの!」
と言い張ってみせるという、わけのワカラン、変な癖があったものだw
それは ともかく、
私の出生時の大難産は、どうやら「陣痛促進剤」の副作用が直接の原因だったようだ。
もっと言えば、
うちの母親は、出産のたびに、体質が変わってった、と主張していたが、それが本当か どうか、私には分からないけれど、
実際、母の若い頃の写真を見ても(娘が言うのもナンだが、まじ、「絶世の美女」と言っても、それほど過言でないよ、なかみは この際、置いとくが 笑)、
たしかに、姉を産んだあとも、20歳代前半くらいまでは、グラマーながら、まずまずスマートだったのが、私の妊娠時は、見かけ以上に、かなり肥満と高血圧に傾いていたようで、すでに「妊娠中毒症」の危険は指摘されていたらしい。
が、
私としては、自分が成人してから思うことに、
母親自身のイイカゲンな生活も影響したのではないかなと推測している。
なんせ、妊娠中に平気で、友だちと繰り出し、バーに飲み行ったりしてたってんだから。
で、
やっとのめで産まれてきた私は、父母双方共に一族の誰にも似ない、大の付く酒嫌いときたもんで(爆)
飲み行った、そのバーで、警察官(!)とかにシツコくナンパされちった、なんて自慢なんぞしてる始末だから、そりゃダメだわ、あの母親w
出産当時、新生児であった私側の危険を言えば、まあ、しろうとの推測ではあるけれど、
まず、上述のとおり、予定日を大幅に過ぎていたため(ただし、「過熟児」までは いかないはずだが)、胎盤が殆ど機能していない状態(要するに胎盤剥離状態)に変化してしまい、
基本的栄養等とともに、甚だしい酸素欠乏状態に陥っていたはずなので、脳性麻痺等の危険性に晒されていたであろうこと。
重篤な仮死状態で産まれた(成人しても なお虚弱気味、ほぼ年じゅう、頭が重い)というのは、そのへんが原因なのだろうと思う。
ところが、うちの愚かもんの母親、
そうやって産んだあとにもなってから、やれポリオだ小児麻痺だを恐れるあまり、少しの発熱で、病院へ連れ込んでは、小児にはキツい副作用のありうる注射を お願いしてたという。
すべては、子を思う親心、「おまえのため」。。。
【この項、続く。】
2015.08.30 (Sun)
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2424336/
【旧ブログより】
――大島弓子 『8月に生まれる子ども』―― 2011/08/30 23:12
わたしは
わたしの王女様である
そして
その民である
カテゴリ:その他 > メモ
2014.04.07 (Mon)
旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes” より
おばけのような桜が おわったとおもうと 2012/04/12 02:16
ひとつの事を
考えつめようとしても
もう次の考えに
うつってしまいます
外の景色が一日一日と
うつりかわってゆくからです
おばけのような桜が
おわったとおもうと
遅咲きの八重桜
すみれや
れんぎょう
花厨王
黄色い山ぶき
雪柳
なんとすごい
なんとすごい
季節でしょう
――大島弓子『綿の国星』――
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%A6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%BA%E3%82%AA%E3%82%A6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%96%E3%82%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE
http://photozou.jp/
カテゴリ: その他 > 日記
関連ニュース
【奥多摩だより】春が来た(東京都あきる野市)(2012/04/09 14:12)
【勿忘草】忘れらぬ花(2012/04/09 14:19)
2014.04.07 (Mon)
旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes” より
きのうは、「春の嵐」とかで 2012/04/04 09:17
おまけに、また少し寒くなった。
たしかに、とても強い風に煽られ、いったん降りた自転車ごと倒されそうになった。けっこうヒヤヒヤした。
雨でも風でも雷でも波でも、自然界の現象は、たちまちにして凶器になり得る。親と同じで、生かしもするし殺しもするものだな。
しかし、毎年のように思うのは、桜の花というのは、よくよく、強い雨風を好むのだろうか、ということ。
ひときわ儚げな、やわやわした花弁を晒すからには、桜には桜のメリットもあるわけなのだろうか。
まさか、桜の木が、「限りある身の ちから試さん」とは考えてないだろうと思うけど。
ヘッセの作品に『春の嵐』というのがあるのを思い出した。
むかーし、私が二十歳くらいの頃だったか、なぜか、叔母の家で、たまたま文庫版を見つけ、私にしては珍しく?何の遠慮会釈も感じることなく、なかば、当然でしょ!という感じで、叔母からサッサと取りあげたものだが、それもそのはず、なんたって典型的な「あーぱー」美人だった叔母は大の読書嫌い、どのくらい、読書という作業に耐えられなかったかというと、私の小学生時代に読み耽っていた漱石の『吾輩は猫である』を、何を思ったか、意を決したごとく貸りていって、結局、数ヵ月かかっても読み終えることができなかったくらいなのだ。
ほんと、なんで、ヘッセの作品が、よりによって、この叔母の家に置いてあったんだか、いまごろになって猛烈にフシギなんだが、本人すでに、この世の人でないので、確認不可能だけど、そういえば、生前、叔母のパトロン(この人も故人となった)が、
「あーたみたいな女性は、一度、『テス』っていう映画でも観てきなさい!」
と言われたんだとかで、あーぱーのわりには、あれはイヤミで言ったのに違いないと確信した叔母は、その意味を どう思うかと、私に聞いてきたことがあったっけw
おおかた、そのパトロンにでも、読めと言われて渡されたんだろう。
(ポランスキーのなら、わだすぁ、『吸血鬼』が特に好きだが 笑)
そんな叔母が後日、精神の病を得たときに、私は、さもありなんというクールな感想が先に来て、大して驚きもしなかったのだが、くだんの『春の嵐』を、叔母宅で見つけたのは、そのあと、間もなくのことだった。
この叔母の、もっとフシギなのは、晩年、いつのまにか、新聞を丹念に読む人になってたってこと。
似合わないことするようになったから、予想外に早死にしたんだろうかと思っちゃったり。
姪である私も、それに似た傾向が少しあるのだけれど、あの叔母は若い頃からキライだったり苦手だったはずのことが、意外と、その気になって始めてみたら、けっこう、それなりに出来てた、ってことがあって、あるときなどは、センスの良いレース編みの上手に編みあがったのを くれたことがあった。
料理なんかも、ふだんは、およそ したがらない人だったので、パトロンの おじさまに、叔母の料理なんぞ、食えたものではなかったんじゃ?と聞いたことがあるのだが、なんの、まじで、なかなか上手に作ってくれるんですよ、との答えだったので、拍子抜けしたこともある。
それでも、アタマの回転の早さと器用さを誇ってやまなかった母なんかは、「あんな何やっても不器用なアホは」と、いつも見下してたけど(苦笑)
まあ、私なんか、もっとボロクソに言われてたけどw
『きのうは、あなたの誕生日。 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2225573/
カテゴリ: その他 > 日記
強風をもたらしたのは「爆弾低気圧」(2012/04/03 20:42)
強風で信号機の向きが変わり衝突事故 大阪・茨木(2012/04/03 22:51)
父の性的虐待恐れていた 女優のナスターシャ・キンスキーさん告白(2013/01/14 00:50)