2015.11.23 (Mon)
おい、こら。
「これからの不幸」って、そりゃなんだよ?(嗤)
ほんと、無礼なバカ者。
まだ、障碍を「不幸」という括りに入れているバカなコメントが続いてるので、なお付け加えておくと、
先のエントリーでも言ったように、障碍自体が不幸なのではない。
障碍者の不幸は、人と社会の冷淡さ、未熟さが齎すのである。
最初から、行政レベルで抑圧的な施策を とるとなれば、
産む当事者の親の側に、しっかり受容する覚悟が あってとしても、少数存在が、ますます少数になっていって、
その分、ケアの質が低下していけば、ますます、産むという選択は避けざるを得なくなる。
そうなれば、くだんの長谷川さんの発言から窺えるように、
そもそも、生まれてくること自体が間違っているのだ、といった印象が、社会の共有になる。
これぞ、差別意識の根源だ。
そこまでいけば、ナチスの優生思想と、どこが異なるというのだろうか。
それと、
長谷川さんの、障碍者と芸術的才能云々、このような発言を平気でするひとも多いので、一言。
障碍者でも、芸術の才能等があれば、生存が許される、
ただの障碍者でしかないなら、許されないのですかね。
でも、特別な才能なんてない、平凡な人が圧倒的に多いのは、障碍者だって同様でしょう。
うちの親も、障碍者を、自分の子に持っているということを、終生、決して認めることが できなかった。
これは、恵まれた面も大きい反面、恵まれなかった面も、また大きかったせいか、異様なほど負けん気が強かった彼らも、意識下では劣等感が深かったからだと察している。
私の苦労の殆どは、そこから来た。
そもそも、うちの親は、双方とも だらしが なかったのがキッカケだったのが、
そのうちには、私を産むに あたって、ある事情から、私の出生そのものを、自分の目的のために利用しようと目論んだ。
子どもを産むにせよ、家庭を持つにせよ、不自然な目的やエゴが満々だと、それこそが、不幸を呼ぶ。
すでに、現在の産科では、出産前診断について、ほぼ全ての妊婦に検査を奨励しているのではないか。
そのうえで、なお、もっと圧力を かけるべきだと言うのだろうか。
宗教的なことや、個人の思想が絡んでいることもあるだろうが、なんにせよ、
もし、産む側が、障碍が あるのを覚悟で産むという決心を しても、
そのために、障碍者本人、親や周囲のサポート者たちが、前向きで余裕のある気持ちで生活していけるような社会を目指すのが、
まさに「これからの」不幸ではなく、現代社会の目標ではないのか?
あらゆる選択肢の可能性は、人類の歴史が普遍的に求めてきたことであるとともに、社会の進歩性も同じくのことである。
だから、個々の多様な選択肢は、あっていいとは、私も思う。
だが、
それは、為政者や行政の長や指導的立場にある者が、強制的に圧力を かけるような方向で言うことではない。身のほどを わきまえろと言いたくもなる。
彼らの第一の義務は、まさに当事者たちの要望に、真摯に、耳を傾けること、
そして、その実現の努力を することなのだ。
それを、
わざわざ国民や市民の側から積極的に、怠慢な為政者や行政側を甘やかし、おもねるようなことを言って、どうすんのかバカが、と思う。
だいいち、いま現在の政権は、先進医療分野で稼ごう、てな国家目標を掲げてなかったっけか?w
まあ、考えてみれば、
厳しい自然界の摂理では、本来、育つ可能性の乏しい者は、たとえば、鳥の世界にも見られるように、親自身が、障碍を負っていたり、ひ弱な雛には、わざとエサを与えないと言うか、生命力旺盛な他のきょうだいに、片っ端からエサを横取りされたりもするから、いわゆる淘汰が起き、あえなく排除されてしまう。
そうかと思えば、
かっこうの托卵のような、「悪ヂエ」的現象も起きるのだが、
そこでも、やはり、ずうたい大きく、食欲旺盛な郭公の雛に、本来の種の雛が、割り込まれたヨソ者に、残酷にも追いやられてしまう。
その郭公の猛々しい「ずうずうしさ」に、いたく立腹するのも、おおかたの人の反応だw
それでも、全体的に見たら、一応のバランスは とれているようで、托卵された側が絶滅するまでには及んでいないようだが。
生物界のバランスを崩しているのは、いまや、人類が最大原因だろう。
ならば、
そういう容赦のない世界を、人類は求めてきたか?
そのへんの動物とはワケが違う、こちとら「万物の霊長」でい、
という人類の誇りと矜持を言うのなら、そんなはずは なかろう。
原始的な自然淘汰に一切、逆らわずにいればいいものを。
でも、とうてい、できやしないんだろ?w
障碍や疾病の研究と医療発展に、ひたすら邁進してきた人類の希求と目的は、どこにあったのか、
それを よく考えれば、
行きつくところは畢竟、自分が可愛いということだ。
かわいい自分を守り、生き延びさせるためには、
「情けは人の為ならず」
「あすは我が身」
ということに行きつく。
大昔の人が喝破した、このような真理のコトバを理解できない、おつむの劣化ぶり甚だしい現代人。
これは やっぱり、もう滅びるしかねえな。
そのほうが、他の生物種にとっても望ましいだろう。
滅べ、腐れ人類。