2015.11.22 (Sun)
『障害児出産巡る発言「問題ない」で釈明 茨城・橋本知事』
2015年11月21日(土) 22時17分掲載
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6181657
かの長谷川さんのようなひとも、低レベルな有象無象と何ら変わりのない思考力だということは よく分かったが、
この程度のオツムに、わざわざ報酬を支払っているのであるなら、まさに、税金、彼女が主張する「予算の」ムダ遣いであろう。
かりにも指導的立場に就くのだから、もっと見識のある人を据えていただきたい。
さて、以下のコメントが目について、あまりの浅はかさに呆れた。。。
思考力の中途半端な者というのは、必然的に、国語の読解力も浅いのだなという、これも見本だ。
あまりにも呆れると、かえって完全に無視できるものだが、
中途半端にヘリクツを捏ねて言うのを見ると、タチの悪さに黙っていられなくなるのが煩わしい。
「ヤフコメ」でも「フェイスブック」でも、有象無象のオゲレツな考えかたと、そのレベルに見合った稚拙な文章には、つくづく、うんざりさせられる。
だから私は、こうしたところに参加しないし、あまりに、うんざりの連続だと、しまいには、コメント欄を見ようという気も失せる。
そうして、
「2ちゃん」でも「汚気愚」でも「ヤフコメ」でも「フェイスブック」でも、廃れて消滅していけばいい。
~
マスコミの言葉尻を捉えた揚げ足取りが
~
マスコミの偏った報道により、妊娠中の出生前診断に対し、障がい者の親や障がい者団体が強く抗議しているというイメージがあるようですが、それごく一部の方々~
~大半の障がい者は、自分が不便な思いをしながら生きてきた分きたゆえに、産まれてくる子供には自分と同じ苦労をさせたくないと思うものですよ。
ここでも「マスコミが」「マスコミが」と、相変わらずのパターンだ。
このパターンを見れば、およそ、どういった類の主張を したがる組織なり団体系の者だか、もしくは、浅薄ゆえに毒されている者だか、だいたいの想像は つく。
自民党支持それ以上に、安倍シンパの「カルト連」みたく、ナチス大好きとかね(嗤)
この者が何を知っていて言うのかは不明だが、言っていることは、考えかたとしては、真に望ましい方向性や妥当性とは真逆だよ。
自身、障碍者である私が、このエントリーで述べたように、
くだんの「フェイスブック」投稿者が言う、本当に「ごく一部」であるなら、
なおのこと、
排除すればするほど、先々の不つごうが生じてくるということが分かっていない、典型的浅はか者。
この問題で一番目指すべき重要なことは、
どのような障碍や疾病があっても、各自なりに人生を全うすることが可能な社会を築くことではないのか。
いまだに、それが実現できていないのが現実であるということの証左ではあろうが、
一言で言って、このような投稿者の意見は、はなはだ後ろ向きで愚かな考えかたでしかない。
自分と同じ苦労を させたくないのは、それは違いない。
それでも、望みどおりに避け得ないことはある。
実際、出生前に、障碍を背負って生まれてくることが分かっていたとしても、受容する覚悟で産む人たちもいるわけだ。
それを、強制的な抑圧を かけてでも産ませないという方向に行けば、
敢えて産むということ自体、ますます、最初から選択のなかには入れなくならざるを得ない。
なぜなら、
私が すでに言ったように、もともと少数存在であるものが、より少なくなり、したがって、ニーズも質も、それに伴い、どんどん落ちていかざるを得ないのだから。
こうなると、
あくまでも、いまは、当事者でない、また、
たとえ、お金持ちで、治療や療育に費やす余裕が豊富にある層にとっても、長い目で見れば、多かれ少なかれ、彼ら自身も影響は被るだろう。
そこまで考えてますか?って言うの。
次に、
~まず親の気持ちとしても、誰しも障碍のない赤ちゃんを求めるはず。~
それは何故ですかね?
要するに、この社会が、現代になっても、いまだ未熟だからでしょう。
もちろん、先のエントリーで、私も言ったよ。
選択の余地があることに、敢えて反対は しない。
それは、
この社会が、障碍者にも周辺の当事者にとっても、まだまだ負担が重いままだからだ。
~長谷川氏はただ、行政と親の状況を踏まえて、できることなら避けるべきではないかと提起したわけで、~
その未熟な社会のままでいいと、うしろ向きな考え方のまま固まっていることの自覚がない。
怠慢な為政者・行政者にとって、こんなに つごうのいい国民・市民はない。
こうした者らが、畢竟、障碍者の苦労を増している根本原因なのだ。
障碍自体が不幸というよりも(私自身、そうは思わない)、
障碍者の不幸は、人と社会に由来するのだ。
長谷川さんのような浅薄な見識のひとを、よりによって教育委員に任命したことにも呆れるし、
このような意見を容認した橋本知事も、行政の長に就く資格は ない。
当事者の立場で避けたがったり、嘆くのとは、わけが違う。
社会が未熟なままというのは、ひとえに、指導者や為政者の恥、かつ、
こうした者を選出する国民・市民の恥なのです。
~
すでに障碍児がいる親を否定したわけでもなく、生まれてきた子を「生まれないほうがよかった」と言った訳でもない。
~
読解力がない者の典型だね。
長谷川さんの言ってることは、記事で読むかぎり、間違いなく、
本来なら、生まれてくるべきではなかった、と言っているに等しいよ。
だからこそ、これからは、そもそも生まれてこれないような施策で、減らしていくように、意識改革すべき、と のたまったんでしょ。
【続く】