2017.03.05 (Sun)
「猫可愛がり」のごとき態度は、およそ責任から遠い、自己満足に過ぎない。
ほんものの「愛」には、おのずと責任が伴う。それは、家族に対してや子育てと同様だ。
私は、謙虚に反省する日本国を愛していたし、
その客観的であろうと努める冷静さにこそ、誇りすら感じていた。
戦時中に徹底破壊された、従来の「愛国心」の代わりを、戦後、新たに求めなければならなかった、とするならば、
すでに、手にしていたはずなのだ。
それは、再び、破壊されようとしている。。。
「私が最高責任者」
その本音は、
「私が最高権力者」と言いたいのであろう安倍政権と『日本会議』シンパらに。
どうしてくれようか(激怒)
『<森友学園>教育勅語の暗唱は時代錯誤 自民幹事長』
毎日新聞 3/3(金) 23:02配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170303-00000157-mai-pol
~党内調査については「いちいち警察官みたいなことをしていたら仕事ができない」と述べ、不要だとの考え~
「いささか時代錯誤」だってさ(嗤)
この2Fつうのも、たいがいのもんやな(怒)
まあ、たしかに、
自民ザ・腐敗党なので、党内調査はムダ、
という意味でなら分からんでもないわw
「仕事」?
ええ そう、
汚いカネを集めては右から左また左から右と流す、
それが、自民党の最も得意にして大事な、と言うか、ほとんど、それしか やってこなかったよね、おたくら自民党は、昔も今も、何十年このかた。
そして、日本は、こうなった。
あげく、
憲法や法律違反をモノともせず、ひらきなおりの極致を見せるところまで来た。
自民と、そのコバンザメ、金魚のフン党どもは、はよ潰れてんか。
いま振り返って、
たとえ、それも表面上だけのことであったとしても、
最も平穏であった、私の世代が学校時分は、
パソコンやネットも存在せず、
「ネットウヨ」や「ウヨ」らが頻りに唱えるところの、「ニッキョーソ」式・自虐教育?の権勢華やかなりし?時代だったのだろうか。
だが、ハッキリ言っておく。
「自虐」教育なんてことは一切、なかった。
むしろ、逆。
生きた歴史資料に甚だしく欠けていると判断した恩師たち個々の良心の、せめてもの抵抗の表明として、時おり配られた、ささやかなプリントを添えられつつも、私が教わってきた歴史の正式教科書、それらは、
あくまでも、政府と行政の意向に叶うものとして指定されていたはずなのであり、
そこでは、
「侵略」と言うべきところを、「進出」と言い替えられていたし、
ましてや、
「従軍慰安婦」というコトバなど、私の記憶の片隅にも残っていないところを見ると、
そもそも、教科書に記載されても いなかったのだろう。
だいたい、特に、こういった戦争前夜から戦中のあたりに関する記述は、それぞれの事項説明に1ページも割いていたら よいほうで、
ほとんどの場合、数行程度で済ませていたように記憶している。
まずは自分自身の姿を、とくと検証することが優先事項だろう。
特に近隣諸国、その他の国々にも存する愚かさを あげつらうのは、
そのあとでも遅くは あるまい。
要するに、「自虐」どころか、
私らの学校時分から すでに、
日本国の教育姿勢というものは、従来どおりの「臭いものに蓋」式、
まことに甘い姿勢のウヌボレた自己愛と、それゆえの欺瞞に満ち満ちていたと指摘せざるを得ない。
「愛国心」というものの基底と普遍性とを、この、アメリカの歌に見ることが できよう。
【過去エントリーから】