2017.03.08 (Wed)
『戦時中、兵士たちに夢をみせた元アイドル。97歳「まっちゃん」に話を聞いた』BuzzFeed Japan 3/4(土) 6:00配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170304-00010000-bfj-soci
一言で言ってしまうなら、まあ、全体に、くだらないインタビューだったねと言いたくなる。残念だ。
案の定、「ネットウヨ」が悦んでハシャイでるわw
『ムーラン ルージュ』とは ごたいそうな、
その古い写真を見れば、子どもの学芸会に毛が生えたような舞台に、「哲学」とは名ばかりのコトバ遊び。
日本は大概、借り物の文化や知識のうえに やってきただけあって、
要するに、自分がない、とも言えそうだが、
もともと、たいした思想と言えるほどのこともないのだろう。
若かりし頃、アイドルを演じていたという、この、非常に高齢の老婦人は、この年齢になられても相変わらず、「アイドル」を演じることに徹しているように見える。ご本人も、そこにこそ、自己の存在意義を感じているのだろうか。
まあ、うちの親父よりも年上の彼女は、あの戦争の時代、けっして、幼い子どもでは なかったのだし、
その意味では、「利用されたとは思わない」という、潔さげな発言の気持を理解できないこともないけれど、
本音は、ご本人みずから述べておられるように、
どこまでいっても、単純に「喜んでもらいさえすれば」というところにあったのだろう。
だいたい、この世代の人は、純真・真面目と言うか、良くも悪くも単純で、そのうえ、名誉心が強い。
ただ、彼女は、
このようなことも吐露している。ここが最も重要なところ。
いまでも「彼はとてもつらく、死んでしまいたい心境だったのでは」と、いたたまれない気持ちになるそうだ。
「彼はどうなってしまったんでしょうね。俺は明日にでも戦争に行くんだ、お前はなんで平和な世界にいるんだ、というように思っていたのかな。凄い時代でしょう。いまとはまた違う、緊迫したものがあったんです」
このインタビューを行なった記者さん、
「よかった、ということなら、あの時代が再び来たらよいとも思いますか?」
とでも尋ねてみたらよかったのにw
私が このときのインタビュアーだったなら、彼女に対して、締めくくりに、そう問うだろうな。
そもそも、あの戦争の最初のうちこそは、大政翼賛会時代の大手新聞に威勢よく煽られまくったせいということもあったのだろうけれど、
まず、一般国民からして、思い上がった参戦論に傾いていたというし、
参戦後も、しばらくは、戦地や兵士たちのことなど、どこか他人事ムードだったという。
以前は、ひたすら、
軍部が暴走し、それが最大の原因、したがって、天皇も、一般国民も、共に被害者だった、
というふうな論調が一般的だったと思う。
こういった点は、私の若い頃のテレビや新聞が繰り広げていた解説と、近年になって明かされてきた事情とは、少し異なっていたのだなと、いまでは分かる。
まあね、
先日、何かの記事で見かけたには、
あの戦時の頃のメディアに関する研究を続けてきたという、どなただったか、お名前は失念したけど、その人が、
当時の新聞広告で、『マツザカヤ夏の お中元セール』とかいう、いかにもノンビリした見出しが付いてるの見て、思わずフきだした、と笑っておられたけれど、
そんな日常の一面もあったんだなあと、私も、あらためて思った。
そりゃあ、
どんな時代でも、どんな状・情況下でも、どこかに、日常の楽しみがないと、人間、もたないよね。
さて、こういうエピソードが ある。
私が20代の頃、何かの記事で読んだので、細部はアヤフヤだけれど。
とある女性、この人の名前を、私の記憶が確かか否か、今ちょっと自信は ないので伏せておくが、往年の天才少女童謡歌手として知られた人である。この女性の回想だ。
終戦後、まだ間もない頃、
国外の戦地から続々と、命からがらに帰国してきた元兵隊たちの一団を聴衆として迎え、慰めるため、懐かしいであろうはずの日本の歌を聴かせる ひとときをと企画された舞台に上がったときのこと。
その天才少女歌手が立つ舞台に向かって、居並ぶ元兵隊だった男たちのあいだから、誰ともなく、怒号が飛んできたというのだ。
要するに、
おれたちゃ、戦地で、凄まじい目に遭ってきて、九死に一生を得たという状態のなか、やっとの思いで帰国してきたんだが、
おまえは、そのように綺麗な衣装を着て、甘っちょろい歌を、脳天気に歌っているのか、
おおよそ、こうした内容だったと憶えている。
怒号は、広がっていき、
まだ幼かった この女性は戸惑い、かなり怖い思いを したようだ。
いまでは、当時のことを、冷静に振り返ることが できるようになったそうで、あの荒くれた元兵隊たちのことも、温かく思いやっておられたけれど。
ここに、もう一つ、
この話は、やはり、私が、まだ実家で生活していた若い頃、新聞か何かで読んで知った。
だいたいの記憶で、たしかフランスの人だったか、ナチスの魔手と戦火が迫りつつあった時代、
その人は、まだ幼い男の子だったのだが、当時、不在だった父親の代わりに、身重だった母親を助けて、とりあえず、母子でスイスに逃れようとして、厳重な関門を抜けるときに、官憲たちに向かって、子どもながらも、外国語を駆使して訴え、なんとか、庇護地域内の施設に入れることになったのだそうな。
戦争が終わり、成人したのちに、やがて、母国の大使となっていた その男性は、当時を思い出して、述懐していた。
逃亡中の森のなかで、小さなカゴを手に、蝶を追い、花や木の実を集めて遊んだことを。
驚異的なことのように思えるが、子どもには、そういう ひとときが必要だったんだ、というふうにも おっしゃっていたかと。
この人が、たまたま、「昭和ヒトケタ」である うちの母と同年齢だったこともあり、私は、茶の間で読み終えてから、目の前で座っている母に伝えたことも憶えている。
うちの母は、とにかく自分と同年齢の人の話には、ひときわシンパシーを感じるらしいところが あったから、このときも、いたく感心し、共感しているようだった。
「どこの国の人でも、うちらの世代は苦労したんやわ」とか言って。
とにかく、表面的で なかみのない、しょうもない記事ばっかり書いてると、
それこそ「AI」が、新聞記事を書くほうが、よっぽど優秀だろうということは、
「事実」だけを書いてりゃいいんだ、と主張する「ネットウヨ」らの言うことも一理あるとすら言うべきか、
単なる「事実」ですらも、どの角度から、どう切り取るのかで、なんぼでも変化する余地は あるのだということを思考するだけの力がない単細胞「ウヨ」らは論外なんだが、
実際に起きたことのみを、無味乾燥に羅列するだけで足りるのならば、そりゃあ、「AI記者」で よろしいわけで。
昨日、読んだコラムのなかには、たしか『東洋経済』さんだったが、そこのコラムを綴っていたジャーナリストさんは、文中、アベシの「弱点が」云々と述べていたが、
チッチッ、それは、弱点どころでなく、最初からの致命的欠陥なんです。
殆どの国民が、そのことを気づいていないか、見逃していた。
それが、このたび暴かれたスキャンダルで、白日のもとに曝け出された、ということなの。
記者稼業の人たちにも言いたいのは、
「AIロボット」時代が来たら淘汰されるだろうという職業分野のなかに、
あなたがたも入っているんですよ、
ということ。(苦笑)
したがって、
いまのうちに、ロボット以上の価値ある仕事を しておかないとね。
【続く】