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とりあえず、ひかりのくに
     
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2017.03.08 (Wed)

遺族の悲しみ「驚いた」 元少女、タリウム事件裁判
朝日新聞デジタル 3/7() 15:53配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170307-00000061-asahi-soci

 

こういう事件を知るたびに、他人ながら、どうしたもんかね?と、思わず、頭かかえたくなるわな。

これと言って、妥当な解決策が見当たらないだけに。。。

 

まず、

一言で言って、男性型の脳なんだろうね。

 

生命を、あたかもモノ的に捉えて、「反応」を観察したがるとかいうドライな傾向性は、技術者や科学者や医療者とかには、ある面で必要な資質では あるだろう。多くは男性が従事している職業だ。

 

まあ、支配欲もあるだろうね。最も単純なカタチの。

ハッキリした遺恨というほどの動機もないぶん、幅広く、対象を とることになる。

自分の力づくで、他者という「モノ」を、どれほど、思いどおりにできるか、という意味を持つ「実験」でもあったろうし。

 

 

例の、クラスメート殺害、遺体損壊した佐世保の女子高生と酷似しているパターンであり、過去エントリーでも指摘したことが あるが、

両者とも、現状の自分の性別にも違和感が あったのでは ないかな。

そのへんから、年頃になるにつれ、そっちでの屈折も増していったかも しれない。

 

 

もう一言で言うと、

私には、ひどく「ミーハー」、あるいは「俗物」の極みという感じも するのだ。

 

だって、あの「サカキバラ」が、彼女にとってアイドルだったんでしょ?

そういう、いかにも屈折的かつ軽薄な持て囃しかたというのは、当時からも、けっこう、指摘されてたようだし。ネット上なんかは特にね。

 

しかも、少年法に守られる年齢のうちに実行したいとの旨を言い、

いまは、

「人を殺さない自分になっていたい」

と、将来について述べているw

 

そりゃ、どんなに困っても、辛くても、
自分だけは、殺されとうない、死にとうないのなww

それは、最も素朴で自然な感情の基礎だ。
人間社会の道徳や倫理、構築された法の源でもある。

そこんとこは、
こんな冷血を体現したような者にも、ちゃんと人並みに備わってるらしいwww

 

 

それで、なんかヘンだなと思うのは、この発言だ。

~自分の知らなかった苦痛が見えてショックを受けていた

「知らなかった苦痛」

って言ったそうだが、

自分の歯牙に かけた相手らの人生が台無しになったり、苦しんでいるのを見るのが楽しい、みたいなことを、妹あたりにサンザ言ってたらしいじゃないか。

これも一言で かたづけるなら、「サディスト」というコトバが当てはまるわな。

 

そして、これも かねがね言ってきたのだが、

サディズムは、マゾヒズムと背中合わせの一体だ。

つい先のエントリーで、現首相らを分析し批判したように、
「侮蔑」と「睥睨」が、潜んでいる怖れと裏腹ゆえ、強烈な万能意識とコントロール欲求と背中合わせであるごとし。

そこに、理念だの思想だの哲学なんてものは微塵も ありゃしない。

 

 

過度の軽薄には、2種類あるように見受ける。

低い知能ゆえの場合と、

逆に、優等生的な それ。

共通性は、
論理的検証・批判能力欠如、影響され易さ、毒され易さ。一種の幼児的な大胆さ。

当然、そこには、高度な思想性も自省も欠けている。

 

 

「共感性」というものは、人間社会で生きていくうえで、最も必要な資質の一つでは あるのだが、

これとて、あまりにも過剰だと、今度は、自分の身が危うくなりかねないというジレンマも あることは、多くの人も感じているのでは なかろうか。

その極端な逆バージョンが、この類の者なんだろうとも思える。

 

 

むかし、うちの身内から聞いた経験談で、私の旧ブログでも紹介したことが あるのだが、ここでも再び記しておこう。

 

かつて住んでいたアパートで、顔見知りの少女が、どこから拾ってきたのか、その小さな両手に似合わぬ大きさの煉瓦を一個、かたく握りしめて、2階の窓から、下の通りを、熱心に見おろしていた。

長いこと、そこで いったい何してるのかと怪訝に思いきや、

幼稚園にも行かぬ年齢の その幼女は、何やら、自分の気に障ることが あったのか、

近所の遊び仲間のうちの一人で、とある子の頭上に落とすべく、その子が通りかかる時間を見計らい、辛抱づよく、狙い定め、じーっと待ち構えていたのだそうな。

世のなかには、そういう持ち前に生まれついた者も いるようだ。

 

これが長じて、
短絡性や衝動性をコントロールできるようになり、よりいっそう計算高く、巧妙に、自分の欲求を果たしおおせるようになれば、こういうタイプの者ほど、意外なほど上手く、世間と人間関係を掻い潜り、さもマトモな人間らしく振る舞い、自分でも、自分はマトモなはずと疑うことなく、ふさわしい伴侶を見つけ、家庭を築き、子も なして、そうして、おのれの遺伝子を、世間に放出し、営々と伝えていくのだろう。

 

バレちまっただけ、まだしも、ってことかいな。(_;)


 

※追記しておく。

当該犯人の場合に見られる顕著な傾向は、第一に、「共感力」の欠如であり、

それゆえに、他者の不快・苦痛を考慮しないわけだろうが、これは、必ずしも、理解不能ゆえと言うよりは、無頓着である、というほうが的確だろう。要するに、他者の立場や心情に対して無関心なのである。


しかし、このような傾向は、すでに示唆しておいたように、一般的人間にも少しは あるはずで、

あり過ぎると、自分の身が窮する恐れが あり得るし、全く ないとなると、社会全体にも甚大な悪影響が生じる。

要は、やはり、程度問題なのだ。


「罪」の概念と、「犯罪」とは、また別の意味合いを含むが、

犯罪に対する現実的処し方は、下手人が、幼児でもなく、むしろ、平均以上の知能を有すると思しきからには、言い訳は できないだろう。


こんな者でも、自身の身に与えられた痛みには、とうてい、看過できないはずだし、


たとえ、他者に対しては、そのことに頓着する気が なくとも、

犯罪になるということは認識していたはずである。


生命の毀損でなく、本当に、物の損傷に過ぎなかったとしても、それも、場合によっては、犯罪として罰されるのであるし、

他人の所有物を毀損した場合は、やはり、被害者は怒るものだ、という程度のことは理解できていることを、本人自身が述べている。

にも かかわらず、

他者の生命を毀損するという最重大犯罪を、何ら躊躇することなく遂行したわけだ。


したがって、

「あたかも、単なるモノを壊されたための怒り」であったかのように、被害者の遺族の心情を推し測ったという言い訳は、やはり、どこか不自然であると指摘せざるを得ない。


まあ、こういう人間性なんて、昔は、単に「自己中心」の極端な部類とか、「性格が悪い」とか「性根が腐っとる」で済まされてたんだろうけど。



あとね、発達障碍児を抱えてる親(この人自身も、少し知能指数が低く、軽度の知能障害を抱えてる)の一人が吐露してたけど、

そこの子も、成人してからも、平気で、嘘を つきまくる癖が あったんだと。

しかし、罪悪感も持ってなくて、いったい、何が理由で嘘つくかというと、

嘘つかれた人が何も知らず慌てたりして、振り回されてる ようすを見るのが、ひたすら楽しかったらしいというんだ。


知能自体が低いせいか、動機自体は単純なんだね。

ただ、相手の立場には無頓着で、自分の快楽を最優先させてるだけに見える。


だから、いわゆる「発達障害」の類とも、ある面では、やっぱり、無関係では ないのかもしれない。


でも、その人の子は、じっくりと言って聞かせたか何かして、嘘つくことを、なんとか、やめさせることが できたそうだけど。

 

 

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