2017.03.20 (Mon)
渦中の『森友』事件については、役所や行政が、意外以上のイイカゲンを やってるものなんだということも発覚した。
これは大きい。
役所では特に、従来のルールを変更したときは、その理由を明確に記録に残しておかなければならないはずだと思うが
(こういう点でも、これも渦中の『豊洲』問題と共通性が ある)、
今回の事件では前代未聞級に「異例」に異例を重ねておきながら、肝心要の記録は廃棄済みというデタラメさだ。
しかし、その半面では、昔から、コネ的なものがモノを言う世界でもある。そのためには、形式的な手続きを踏んでさえ いればOK、となる。ここが、抜け穴の温床ともなる。
本丸は、あくまでも国有地売買を めぐる問題であることは確かだが、
なぜ、「枝葉に過ぎない」ような100万円の寄付までもが問題視されているのかというと、
結局、これら全て、そこで繋がっていることの一端の現れだからだ。
つまりは、
アベシが、『日本会議』と密接に繋がっていて、
ために、くだんの学園をも応援・支援の対象とする必然性が あったんじゃないかということさ。
だいたい、ああいう、いかがわしい教育方針やら子どもの虐待的扱いにも深刻な問題あるものを大いに称賛していただけで大問題なんだよ。
要は、これも何度も指摘してきたけど、
アベシから『日本会議』を取り払ったら、何も残らない、
そんな者を、
実際、何の功績や実績どころか、周囲からの入れヂエによって、危うい綱渡りの上でハッタリかまし続けているしか できない者を、「安定政権」の「一強首相」だと持ち上げている、この国の体たらく、ということなんだ。
なぜ持ち上げ続けるかというと、
それによって、何かしら美味い汁を吸っている連中にとっては、このうえなく軽くて重宝なミコシだからだ。
アベシの無自覚にして根深いコンプレックスと、それらの連中との利害が、ぴったり噛み合っていたから。
どこまで行っても、特権意識で結ばっている仲間内の つごう。
そこに、一般国民への まなざしは存在しない。
そりゃそうだろう。本音は、稲田ボーエイダイジンが のたまっている。
「国民の生活が大事なんてダメ」と。
現行法上、政治家の寄付行為が、自分の選挙区を外れてさえいたなら合法、というのも、
特に重職に就いている、しかも、現総理大臣という国家の最高権力の椅子に就いている者が、たとえ、身内の名を借りておいたとしても、特定の組織・団体等へ寄付行為を行って良いわけがない。
影響力が大き過ぎる。
何を考えて取り決めたものか知らないが、これも早急に改善すべき。
ついでだけど、
『ヤフゴミ民』の多数派を見ていると、相変わらずのエラソーな断定口調で、現政権を擁護するのに必死だが、
たとえば、郵便局での振り込みに、修正テープや修正ペン禁止かというと、私自身の経験では、そんなことは なかった。
ただ、ずいぶん遡る過去の話になるけれど、私が、とある団体に、少額ながら寄付金を振り込もうとしたとき、1、2文字をミスしたので、修正液を使用して訂正した振込用紙を、近所の郵便局へ持って行ったところ、咎められるどころか、
局員に、「丁寧に修正液まで使って直されてますねえ」と褒められたもんで、ちょっと驚いた記憶が残ってるくらいだ。
そして、何らかの訂正事項が見つかったときに、局員のほうで書き直してもらったこともあるよ。
なので、けっこう、おおらかなもんだなと思ったのも憶えている。
もっとも、いまでは、それで通らないのかもしれないが。
あと、くだんの受領証に、アベシや昭恵さんが自筆で書き込んでいないとして、そんなもんアタリマエだわ。
それは それとして、
振り込み人欄のスペース枠に上手に おさめられず、どうしてもハミ出して書き込んでしまう癖の人もいる。にしても、
今回の場合は、最初から『森友学園』と書き込まれていたはずと見るほうが、記入の位置的に最も自然であるには違いないがね。
この「寄付」を めぐる経緯の発端は、安倍夫人が現金で持参したので、受領証等を発行する必要は ない、と自ら辞退したという話なのだから、
それならと、うち10万円を、安倍夫人側に「返礼」したという話も、みょうに生々しいなと感じられたのは、
大阪あるいは近畿一円では、祝儀等の場面で、「おため」(いわゆる「トクを取り過ぎないように」)といった風習が あるからだ。
しかし、その10万円を、昭恵さんは受け取ったのだろうか?これを受け取ったのなら、寄付もあった、ということで解釈され得るけども。
そして、
当日は「土日にかかっていたため、翌週アタマに、学園の者が振り込みを行なった」と。
この寄付という一件の流れに関しては、めずらしいことだがw『森友』側の説明と言い分に、私個人的には、自分の経験と合わせるならば、特段の不自然さまでは感じにくいところもある。
とは言え、
これが、全体に事実であったかどうかの証拠には なりにくいというのも確かに尤もである。
だが、あたかも引き換えのように、
アベシ側の寄付記録として記載されていないことをもって、『森友』へ寄付していない、ということの証拠にもなり得ないのは、理の当然だ。
おまけに、
ここへ寄付するに足る動機に事欠かない昭恵さんは、「憶えていない」と、どうにも歯切れが悪い。。。
アベシも、ヨメである昭恵さんも、自分のアタマでもって考え抜き、判断に至った理念や思想、哲学なんざ持ち得ない、吹けば靡くようなペラペラのオツムなんだなと見受けている。
稲田ボーエイダイジンと同様で、
昭恵さんは、亭主であるアベシの、
アベシは、、、
とにかく、自分よりも上位に位置し、決して逆らえない、強い存在と信じる対象に靡く。
それが、「私が最高責任者」すなわち、本音では「最高権力者はワタシだ」と言いたいのであろうアベシおはこのセリフとなって、口を突いて出てくる。
その「靡き」が、自分の培った思想信条ゆえであると大きにカン違いしているのだろう。
まあ、『日本会議』のようなものや、これに類する宗教的なもの、カルト的なものにドップリ浸かってしまう者には皆、共通性が ある。
このことを、もう何年前から、私は指摘し続けてきたことか。
しかも、始末が悪いことには、
土台の精神性が脆弱であればあるほど、強固と見えた存在に縋りついて離れられない、ということ。
要するに、
他人から与えられた「モノサシ」を、無批判に、後生大事にするしか ない、
かつ、
ぶっとくて頼れるに違いないと思えた柱の そばから終生、離れられないだけ。
だって、
ちょっとでも離れたら、乳幼児のごとく、ぐにゃぐにゃの自分の足で立って歩くこともできないからさ。
そのくらい、ふにゃふにゃにしてゴチゴチ。
精神の自立性が ない。
それでも、一般的な優等生は、おつむフニャフニャで柔らかいからこそ、外部からの情報も、抵抗なくズボズボ入り込めるんだろうがw
劣等生ぶりが名高いアベシのオツムと精神はゴチゴチだもんね(爆)
だから、こんな奇怪なことになってるww
【続く】