2021.10.05 (Tue)
とても興味深い記事を読んだ。
『ヤフー オーサー』とかいうコーナーで、他の書き手さんのコラムを読みに行ったとき、たまたま、目についたので、読み始めたのだが、
『窮地に陥った首相に政権延命の策を指南した記者がいた 21年を経て元NHK記者らが語った「指南書問題」』
9/4(土)立岩陽一郎InFact編集長
https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20210904-00252895
『記者が首相に政権延命の方法を助言した「指南書問題」 21年を経て問われる政治報道の「守るべき一線」』
https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20210904-00253234
~
「独占告白 渡辺恒雄」だ。その番組の最後で渡辺氏が次の様に語っている。
「(政治家に)それ間違っているから、こっちのほうやりなさいとか言って忠告すると、言うこと聞くわね」
~
は?
それって、「民主主義」に反することになるという基本、わかってますのかな?(嗤)
いわゆる「官僚主導」だって、そこのところが問題視されてきてるよね。
だいいち、「それ間違ってるから」って、何が正しいのやら、ナベツネさんには分かってたのかい?(嗤(嗤)
「公器」「木鐸」としての役割を全うできてるんなら ともかくだ。
なにさまのつもりだよ(怒)
アメぽちジミンぽちブンヤ商売が(激怒)
~そういう記者、確かにいるなぁ」~
まあ、これも何度も指摘してきたけど、
全体として、日本の新聞・報道界は特に、政権寄りの傾向、
とりわけ『自民党』寄りだということは、国際的にも知られているという。
だいたい、取材とか情報を得るために、本来の目的は横に置いておいても、まずは「信頼関係の醸成」みたいなことを敢えて やる、というのは、新聞に限ったことでは ない手法、セオリーだろうから、さもありなんと、ビックリするほどのことでは なかったが、
それにしても、上掲の記事で明かされた、政治家センセイ、しかも、時の政権ど真ん中に座っている者への「指南書」のなかみは、いまだに実行され続けてるよね。
安倍政権では、殊のほか酷いもんだった。
わたしゃ、これもノラリクラリが よく見受けられる官僚あたりが、『自民党』政府にレクチャーしてやってるんかなと思っていたんだけど、
なんとまあ、(『NHK』)記者だったとは。
「おたく、何のために、記者になったの?」
と聞いてみたいわよ(呆)
私は、この頃、自分の病気と、親の介護と、フルタイムの仕事も していたので、非常に苦しい状態が延々と続いていた さなかにあり、以前のように、新聞を丹念に読む時間も体力もなかったので、当時の政治状況などについては、ほとんど知らないし、憶えていない。
で、その「指南書」プレゼントへの見返りは、どういうものだったわけだろうか。
あるいは、いつも お世話になってますので、ってことで、お礼や恩返しのつもりだったのかな。
「手段が目的」になってしまってるという点でも、『自・公』の政治屋と似た者どうしだね。
それでなくても、『NHK』の「受信料」に対する疑念や反感が強いのに、
一般国民・視聴者に仇なすにも等しいことを、陰で やっておった、
その効果は、こんにちに至るまで続いているぞ。どうしてくれるんだよ?(怒)
~
「2000年(平成12年)の会長(※海老沢氏)会見で、『内部調査を行ったが、そうした事実は無かったと聞いている』とお答えしています」」~
ハハッ、
まーるで「モリカケ」に対する『自民』政治屋と同じ答え方でやんの(嗤(嗤)
検索していたら、この記事も見つかった。有料記事なので、途中までしか読めなかったけど。
『官邸記者クラブで20年前に起きた「指南書事件」が問いかけるもの――森喜朗首相の「神の国発言」釈明会見の水面下で何があったのか』2020年09月11日 高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020090900008.html
…まあ、結局、20年ほど前の、このときから始まってたんだなあ、
「報いの矢」は、あれからも、私らの知らない空間を、ずーっと飛び続けていて、
そして『五輪』の今年、その矢は、みごとに、森(元)氏の背中を貫いた。
こわいねえ。。。
麻生さんの「ナチスに学べ」も そうだったけど、
『日本会議』とか『神道政治連盟』とか『ソウセイ』うんちゃらといった団体の会合なんかに出ると、『自民党』のオレキレキは、もう嬉しくって、気分高揚しちゃって、ついついチョーシこいて、「墓に入るまで、言っては いけない」本音がヒョイヒョイ出ちゃうのかね(嗤)
あ、そうだ、
ずーっと前に、旧ブログだったかもしれないが、私は、おおよそ、このように言ったことが あります。
すなわち、
何事も、「軽い罪」ならば、軽いものであるほど、はやく表面に出て、その結果も早く出る。
「深く大きい罪」であるほど、白日のもとで裁かれるまでに、長い時間を経ることになりがちだ。
ただし、その頃には、すでに、誰も、どうすることも できなくなっていることが殆どだろう。
つまり、償いは不可能。
だからこそ、罪は弥増しに重くなる。
覚悟しなくちゃならない政治屋さんは特に多いんじゃないかな(嗤)