2016.11.29 (Tue)
『エルネストに よろしく』に続いて。
ひとつ、シンプルに考えてみよう。
『「私は地獄に落ちるだろう」 世界を揺るがした革命家、フィデル・カストロが語った苦痛』
BuzzFeed Japan 11/27(日) 6:10配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161127-00010000-bfj-int
日本人は、表向き、アメリカに対し、国民でさえ、よく分からない理由で、へえへえと従順にしているけれども、腹のなかでは、キューバの味方、
どうも、この国と、その指導者に対しては、多かれ少なかれシンパシーを抑えきれない向きが、実は大多数だと思うよ。
私は、常々言うように、政治とか思想全般についても、もともと無学・無教養で、ましてや、べつに、共産主義者じゃないしと言うか、そもそも詳しくないんだから、「右」についても「左」についても、あれこれと云々できるだけの素養に欠けてるのが本当のところ。どっちかと言うなら、そういう方面に対して、興味も薄いんだしね。
なので、以下に述べることも、ごく大雑把な所感ていどのものに過ぎない。
だが、いわゆる「テクノクラート」って言うの?ああいう連中が、かりにも共産主義を標榜する国家でありながら、肝心の民衆一般を差し置いて、自分たちが「わが世の春」の如く、したいほうだい、贅沢三昧といった話を聞くにつけては、はらわた煮えくり返っていた。
資本主義の国家においてさえも、大いに顰蹙買うことなのですからね。
「グローバル経済」の問題も、ある意味では、民主主義の陥穽や限界に似ていて、全体が底上げされていないことには、むしろ、始末の悪いことになるというわけで。それが、「今ここ」ってあたりかな。
それにしても、
おもしろいと言うか皮肉と言うか、カストロ兄弟やゲバラも、裕福な家庭のオボッチャマだった。
あのマザー・テレサも、ご実家は裕福だったと伝わっている。
お釈迦さまなんて、それこそ、小国のとは言え、王子さまだったんだからねえ。。。
それに比べて、
わが国の、出自も怪しげなカネ持ち連中、ことに胡散臭い世襲政治屋のオボッチャマくんたちの、すべてにわたって低レベルなことよ(怒)
さて、シンプルに考えてみようというのは、概ね、こういうことだ。
無知・無教養な私なりの、だからこそ、経済方面の基本的問題についても、中間層を蔑ろにしていると、いずれ、すべての者の首が締まるぞ、という単純な警告を発し続け、掛け声だけの「アベノミクス」やら尤もらしい「トリクル ダウン」の欺瞞と空虚さを嗤い続けてきたように、まずは基本をシンプルに考えるしかないわけであるのだが。。。
近年では、たとえば、「ベーシック インカム」という考えかたが、前面に出始めてきている。
これは、まだまだ思考実験のようでもあり、やはり、クリアしなければならない大きな課題が横たわっているのは確かであろうものの、非常に興味深いし、追究していく価値は ありそうだ。
その根幹にあるのは、やはり、基本的人権に大いに かかわること、
すなわち、生存権や教育、医療の保証であり、なんぴとであれ、それらが、基本的に保障されるべきということに、ほとんどの人は、異論の持ちようもないだろう。
われわれ人類が、長い歴史のなかで、夥しい血の涙を流し続けた果てに辿り着くべき、いまだ見果てぬ夢であろうものの、間違いなく、目指すべき方向なのだ。
でないと、愚かな「先祖返り」が、また始まってしまう。
このことに、こまこましたイデオロギー、「右」や「左」が争っている場合では ない。
「移民」問題どころか、AIロボットなるものが、人類の様々な労働分野で、今後、取って代わるであろうという予想が、どういう結果を齎すかも定かではないが、
すでに、オランダあたりで実施されてきた「ワーキング シェア」という制度に関連させた、良い方向への可能性は あり得るように思う。
ただし、
時々見かけるような、日本の場合で「ベーシック インカム」として「約5万円」とかいうのは、お話にも ならないレベル。
日本の国家施策の みみっちさ、ヘンにハンパな毎度の性懲りもなさが、またぞろ、、、という印象。
そんなことでは、そもそも「ベーシック インカム」の精神にも届き得ないのは当然だ。
このままの現状で、「ベーシック インカム」を導入するなどは、あきらかに、時期尚早というもので、かえって、いま以上の格差が増す懸念すら起きる。
保証された以上のレベルで、より生活を謳歌したいという意向は、これも個人の自由として尊重すれば いいだけだろう。もちろん、そこにも、ある程度の許容範囲は敷かれるだろうが、人間として基本的な保証は確保されておかねば ならない。このことに疑いを持つのは甚だ奇妙であるし、自分自身が、そこに組み入れられている存在であることを自覚していれば、そうに違いないのであるから。
そこのところで、何らかの深刻な問題が生じる場合、いかなることが原因しているのかという研究が、これからは、いっそう重要であると思う。
たとえば、当のキューバ国民の一人が打ち明けていたような、「悪しき」と呼びたくなるほどの「行き過ぎた平等」といったことの分析とか。
日本においても、現実には、親の代から受け継いだ資産や不動産等の「不労所得」により、質の高い潤沢な生活を謳歌している人々も、少数層ながら存在しているわけだが、こういう種類の「働かざる」人も、ひたすら消費するのみで、何らも生み出さないのかというと、けっして、そうでは ないのが、およそ経済の見地というものだろう。
「パンのみにて生くるにあらず」ほとんどの人にとって、本来ならば、じっと一ヵ所に蹲って動かないでいるような生き方は、かえって苦痛なものだ。
最低限の暮らしを心配せずに済むということが、人の精神の堕落を招くのか、あるいは、意に染まぬ労働や搾取的な雇用のせいで、疲れ果てている人から、何を奪っているのか。
人が、フリーズしたかのように固まって動かなくなるのは、往々にして、むしろ、身体にせよ精神面にせよ、余裕がないときだと、私は察している。
ともあれ、実際、フィデルたちの成し遂げた仕事は、目指すべき理想、「約束の地」への道程の途中までは、どうにかこうにか辿り着いたのだと見える。はたして真実であるなら、これだけでも、じつに大した功績だ。
世界じゅうの おえらい政治家の誰が、ここまで やれただろうか。
基本的な生活が保障され、より以上のレベルを望むなら、機会は平等であること、民衆は、これに加えて、何の不満や文句を述べたてるだろうか?
フィデルは、彼の実家の資産も、その国家の理想のために費やし、ために、彼の親族が猛反発し、対岸のアメリカへ亡命したと聞く。
追い込まれていたキューバが、ソ連と組まざるを得ない、と なったとき、共に闘ってきたフィデルと袂を分かったゲバラは、そのことに終始反対していたとも聞いている。
アメリカが、さんざん、足を引っ張らなければ、いまごろ、キューバの経済は、もう少しは、向上していただろうにとも思えるし、
あの「キューバ危機」についても、アメリカを無罪にして論じることなど、到底、できは しまい。
キューバは、昨今の世界情勢が、またぞろ不穏な同調を見せ始めているなか、非常に数少ない、ほとんど唯一に近い希望の実験場である。
そこまで来るのに、どれだけの犠牲を払い、試みと働きと実績をコツコツ積み上げてきたであろうか。
とは言え、
一般の日本人にとっては、政治体制の根本的に異なることもあり、いささか謎めいた面を残す国でも ある。
残された真相や真実は、これから先、明るみに出ることも あるだろうし、フィデルの実弟であるラウル氏も、もはや高齢、とっくに分かっていることなのだから、集団での国家指導体制は、すでに敷かれているというのだから、われわれは、キューバ国民との これからを、温かい気持ちと明るい まなざしをもって見つめていたいと思う。
キューバよ、誇り高くあれ。
混迷する世界の民衆の希望を損なうことなかれ。
革命というもの、
しかも、それが、流血を伴う急激な暴力的な革命であればこそ、
そこに至る原因や経緯、それこそが、「悲劇」の源なのだ。
Edward Hughes(1832-1908)Sympathy