2016.11.26 (Sat)
先日、当ブログでも、ちょっとばかり触れた話題だったが
『more♪more♪more♪Steve Stevens』
大麻についての全般的および詳細を殆ど知らない私自身は、いわゆるウヨもサヨも辟易の対象だし、どちらの側にも くみする気がサラサラないので、これらのイデオロギー的に反対だ賛成だを云々する気も全く ないし、
なぜか、
「ネットウヨ」か「ウヨ」そのものだかは知らないが、大麻の擁護者は「パヨク」である、などという くだらん戯言は無視だ。
大麻解禁について、この↓記事に付いたコメント投稿者らの、賛成・反対の立場いずれの者たちも相変わらず短絡的で、あさはかでしかないのだなと思う。
『長野の限界集落で大麻=所持容疑で22人逮捕―麻薬取締部』
時事通信 11/25(金) 11:07配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161125-00000038-jij-soci
まあ、依存性の有無については、私が愛飲するコーヒーでさえ、なにがしかは有するのだし、
ましてや、タバコ、それ以上に、酒に至っては、絶つのに、ひどく苦労したという話に事欠かず、これらが、非常に依存性大なることに異論は ないだろう。
私も、大麻解禁を主張してやまない人たちに対する怪訝の第一印象としては、
やはり、それがないと、生きていくうえで、非常な難儀を感じているのだろうか?しかし、
いったい、病気とか その予後のため等でもないのに、何ほどの難儀を、彼らは、その人生に感じているのだろうか?という不審だ。
生きていくうえで、大麻の摂取がないと、そうまで辛いのか?という。。。
まあ、摂取することで、多少なり、気分が良くなるというのが本当ならば、ストレスフルな人生を抱えている私にしても、いっぺん試してみたいという気が ないわけでは ないよ(苦笑)
けれど、
ないと不自由な思いを させられるわけでは勿論ないのだから、
大麻解禁を必死で主張したり、隠れてまでコソコソやらずにいられない人たちに対する共感も乏しいし、興味も関心も薄いのが実際のところ。
障碍者である私にとっては、いまだに役に立たない「補助具」の飛躍的な改善のほうが、生きていくうえで、よっぽど切実だもの。
何年か前、ネットで見かけた投稿のなかに、たしか、アメリカ在住経験のある人が、
大麻種子が混ぜられてるクッキーか何かを、お子さんが食べてしまったとき、あきらかに、子どもさんの精神状態が、幾分かハイな状態になったと述べているのを読んだことが ある。
それが事実なら、
一般に解禁することで、特に、成長途上の若年層に及ぼす有形無形の影響とか、たとえば、タバコの副流煙被害に似たようなものは あるのか?とか、効果が切れたときの落差如何とか。
まず、現状、解禁に至っていない理由については、一般のシロウトには分からない医学的見地からの提示が第一に必要だ。
イデオロギーだの、法的に どうこうよりも、現実的な議論は、そこから。国家も国民も。
それと、最も警戒しなければならない理由は、
まさに、その「多幸感」というやつだ。
これこそは、
為政者や権力者にとって、民衆コントロールの手段にもなりかねないことは、人類の歴史、当の わが国の ごく近代史においても あったことなのだから。