2016.12.08 (Thu)
『たった一言で済む結論。』の続き。
先行エントリー冒頭のコトバを再び言うが、
本来の自然分娩が可能な者にまで、「帝王切開」を施すのを やめたら いいだけ。
もともと視力が良いのに、わざわざ、必要もない度入りのメガネを掛けるモノ好きが、どこにいるというのか。
そんなことを したら、かえって、日常生活が やりにくく、支障が出るのは当然のことだ。
自然界は、あらゆる面で、どんな少数例でも、一定の割合で必ずのように生じさせるという。
たしかに、
昨今、先進国においては、「少子高齢化」とか、特に出生数が減少傾向にあることの原因は、まず、社会的な要因に負うところが大と思しきながら
(一例として、IT系業務が、婦人科に悪影響を及ぼしている懸念が あるとの記事も読んだことが ある。
また、その時代の美意識が齎す影響力には、けっこう無視できないものが ある。これは、現代に始まったことでなく、美醜の意識というものが、生殖チャンスの多寡にも結び付いている現実的側面は、否定しきれないところであるゆえ。したがって、骨盤の狭い体つきが、女性美に より叶うものという意識が続くかぎり、多くの女性の体型も、意識的であるか否かを問わず、それに準じようとするかもしれない。)、
あるいは、
発展途上国においては、相変わらずのごとく出生数が高いかわりに、
産めど産めど、新生児や乳児の死亡率も また高いことを考えると、
先進国の栄養摂取や医療技術の高度化に伴い、死亡率の低減と ひきかえに、出産数が低下したということも、自然のバランス現象の側面として指摘できうるのかもしれない。
だとしたら、
再び、われわれは、死亡率の高い時代に戻るべきだろうか。
それは、必然的に、まず、医学や医療技術の発展を止めることに ほかならない。
その影響下に、私も、あなたも、あなたの子や孫も、この先の子孫累々が影響を蒙ること必定だということだ。
そこの あなた、
顔も知らない子孫の代にまで、思い馳せることは ないかもしれないが、目の前の わが子や家族については、どうだろうか。耐えられますか?
私は、幸か不幸か、自分に子が ないので、子や孫の未来を憂える必要は ないから、今後、医学や医療その他の発展を止めますということになっても、あ そうですか、それで かまいません、で済ませられようけれど、
あなた、平気ですか?納得できますかね?
なるほど、大昔には、生き残るどころか生まれることすら困難だった者でも、現代では、特に先進国では、なんとか生き延びることが、だいたいにおいて可能になってきている。
一定の線引きを して、強制的に、選択肢を狭める施策でも認めて、泣く泣く諦めさせるほかは ないのかもしれない。
要するに、優生学的選別?
念のため言っとくけど、
そうなったら、
たとえ特権層や富裕層といえど、そういう一部の層も また、覚悟しなければ ならないのよ。
なぜかと言うと、
この世界、全てが、底のほうで繋がっているからです。
栄養学も経済学も同じことだ。
しかし、ここまで来るのに、気が遠くなるような時間と犠牲を要したのが、人類の歴史。
なぜなら、
それが多数派ではなく、少数派のほうの事例だったからに ほかならない。
ここが、殆どの人が忘れがちなのか、考えが及んでいないらしい最たることなのだけれど、
医学や医療分野の発展には殊に、多く、多様性に満ちたデータの蓄積が必要だったからだ。
自然のままに まかせていたなら、それこそ、絶滅の機会に事欠かなかったからこそ、少しでも選択肢を広げることに必死で邁進してきた、
これが、人類の来し方だ。
なお、あくまで私個人としては、人類が滅ぶことなど、なにほどのことかと思っている。
もしも、滅ぶ時が来たのなら、滅ぶだけ。
ただし、
せめて、皆いっせいに、ということなら、まだ仕方ないと思えるだろうが、
なにごとも、自分だけ排斥されるとか、あいつだけ特別優遇とかいうのは、納得できないのが、ほとんどの人のサガだろう。
もっと ぶっちゃけて言えば、
この宇宙そのものからして、必要ないことだったろうにと、内心で思っていたのだが、私が必要云々を言っても しょうがないからねw
もう一度くり返すが、
自然界は、あらゆる面において、どんな少数事例も、一定の割合で必ずのように生じさせるという。
本来なら自然分娩で済む妊婦にまでも、少数派のための「帝王切開」を施す愚なことを避ければ よいだけ。
ま、女性は、何かにつけて大変だということは、昔も今も変わらないのかな。