2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:祈りますw』の続き。
「~鬱屈してくるし、フテクサレたり、陰湿になって、根性まがってくる」のは、もともと「自己愛性」が肥大していて、そのせいで、むやみと「被害意識」が突出してる自己中タイプほど、そうなる。
どうガンバってみても、相手が、自分の思うとおりになってくれなかった、となると、もの凄い勢いでバッシングを始める。
それは、被害意識を突出させずにいられないほど、可愛い自分が損させられそうになってると、過敏なまでに感じてしまうとか、損させられちゃ ならないから、事前に!とて、自己防御に鋭意邁進するわけで、
そこで、必要以上の被害意識をもって防御に努めるあまり、
「攻撃⇔防御」
に進むということは、必然的に、筋違いの被害を被り、巻き込まれる他者が発生してしまうわけだ。
その被害者が、理性的でガマンづよい性格なら まだ いいけれど、あるいは、「多勢に無勢」で弱い立場だったりで、被害を被ったままスゴスゴ引き下がると、それこそ、「連鎖」に繋がりかねない。
だから、私は常々、社会的に有害な、こういう被害意識の突出した者は、何が「被害」で、自分の「居場所」を脅かされていると感じるのか、論理的に分析しなさい、と言うのです。
人間であり、野生の獣じゃないと言うのなら。
敵対心を感じた相手をバッシングするために、「包囲網」構築する仲間、と言うよりは手下を増やす努力にも余念がない。
だからこそ、世俗の権力を目指したがる。権力者は、最も多数の手下を持てるからね。
ゴマも する、恩に着せまくって威嚇・恫喝もする、カネさえあれば、札束で頬を叩くこともする。
相手が思いどおりになってくれるまでは、さも、私は立派な人なんですよ、とイメージさせたり、そういうストーリーづくりに熱心で、
とにかく、相手に受け入れさせるようになるまで、しつこいシツコイ。。。「疲れを知らない子ども」のようだ。
それは、見込んだ相手を、必要としているからなのだ。
何に必要かって、
自分の役に立ってくれる相手だと見込んでるからだ。
その目的の大概は、ピンからキリに至るまで私利私欲、個人的な野心に過ぎない。
なので、「役に立ってくれなかった」イコール、自分は「裏切られた」、相手は「裏切者だ」というバッシングを始める。
このときこそ、それまで培っておいた「人脈」という名目のグルやら手下を結集させる。
しょせんは、似た者どうし、「類友」どうし、お互いに「うぬ、裏切ったな」とならないよう、「腹心の友」とか言ってたって、内奥は、常に探り合い。
恋人だろうが家族だろうが、そういう「カケヒキ」が生き甲斐みたいよねw「ヒリヒリする~♪」とかってさww
その反面、家族や身内となったならば、完全に安心させてもらいたがりもする。
そのためには、パートナーは、自分に感化されてくれていて、基本的に、ほぼ言いなりになってくれる程度の知性レベルでなければ、家庭内でも争いは絶えず、平和では いられないから。
しかも、もともとが「ヒリヒリ」好きなもんどうしで ひっついてるwとなると、これは これで、お互い、毎日が勝負!で飽きることが ない。
一種の生き甲斐と化して、離れられない。
殺したいほど憎い。
いないと もの足りない。
憎悪の やり場が なくて、全身を掻き毟りたくなるほど。
相手の存在まるごと喰ってしまいたいほど、憎い。
こんなにまで毎日ワクワク胸躍らせてくれて、
ギラギラ煮えたぎる油のような憎悪を掻き立ててくれるのは、
この世のなかで、たった一人、あいつしか いないんよw離れられない。
そして、腐れ縁の泥沼に、共に絡み合いつつブクブクと沈んでいくのが快感w
もとはアカの他人だった配偶者よりも始末が悪いのは、こういうのが、親だった場合よ。
子が、どっちに味方するのかでも争うし、
実の子(本能的に、子は、親、特に母親の最大の味方だものw)で あろうとも、自覚の有無と関係なく、
まさに本能みたいに、利用せずには おれないから。
期待されるのって、じつは、ひどく しんどいこと。
ところが、
『自己愛性人格障害』者というものは、「期待してもらいたい」から、何が何でもガンバルらしいね。その根本にあるのは、
「自分の居場所が脅かされてる」と感じて、「居場所の確保」という目的での「努力」ひいては「自己承認欲求」らしいんだけど、こういう人は、他者を見て、
「あいつ、努力してない!」
「ガンバッてる自分より下のランクなのに、それで満足してるのか、なんだか のんびりノホホンとしてる」
ように見えるタイプが、もう絶対に許せないほど憎く感じるらしい。
努力して、それに見合った結果を順調に出せている人を見たら、むしろ安心を覚えるのかな、自己投影するから。
努力してなさそうでも、自分には縁がないほどの高みに のぼってしまえてる人ならば、努力を厳しく問うたり、嫉妬を あらわにすることなく、個人崇拝までする。もともと、「才能」「天才」や「地位・権力」といったものに対して俗物根性だから。
才能や地位の持ち主が自分の子で あれば、世間に向かって自慢できるという大きなメリットも ある。
しかし、内心の奥深くでは、やはり嫉妬してるかもよ。
嫉妬とは、呪いなのです。
【続く】