2018.12.08 (Sat)
この両者の共通性についてww
あるいは、『自己愛性人格障害』というキーワードについて。
さて、
いついかなる場合でも、何事につけ何事につけ、
「野党がシッカリしないから!」
というのは、『自民党』支持者定番のイチャモンの一つである。
最近になって、私は、以下のことにも気づいた。
すなわち、『自民党』のコア信者と、韓国人の共通性。
何かの間違いで現首相やってるとしか思えん、おつむデンデンあべしの「ケチって火炎瓶」事件にも象徴されるように(ちなみに、アベシがケチな性質なのは、人相にも現れてるよw)、広く知れ渡ってることで、たいがい暴力団系らしいそうなのだが、昔から『自民党』とは腐れ縁の(←私が、特に『自民党』嫌いである理由の一つ)、
いわゆる「(極)右翼政治団体」とかいうの?あの、「街宣車」とかで始終やかましく、下品に がなりたててる連中、ああいうところのメンバーが、
じつは、なんと、在日韓国・朝鮮人が いと多し、っていうケッタイな現実。もちろん、それは、一部の者には違いないにせよ、
このことを考えると、つくづく、在日韓国・朝鮮人の屈折した心理を実感するところ。
ついでに指摘しておくと。
例の鳩山さんが、韓国に対しては何度でも何度でも、先方が、もういいと言うまで謝るべき、と発言したというので、「ネトウヨ」界隈を中心にブーブー言ってやまないみたいだが、
これはね、鳩山さんが、韓国や朝鮮人に おもねってるからとかいうよりも、むしろ、ある面を冷静に見抜いてるということだろうと思うのよ。
と言うのも、
どこかで見かけたことが あるんだけれど、
「韓国人は『人格障害』」云々とかいう説wまあ、それが本当かどうかは知らないけれど、敢えて その観点から言うならば、鳩山さんの指摘には、ある面においての妥当性を有するように思うのだわw
私は個人的に経験したから分かるが、
『自己愛性人格障害』者というのは、まさに、鳩山さんが指摘したことが当てはまる性質だ。
一言で言って、「被害意識」旺盛という特徴。
この「被害意識」には、
事実や妥当性の有無は、極端な場合、無関係ということを心得るべし。
「被害意識」そのものが異様に突出しているということが、『人格障害』を分析するときに、一つのキーになるということは、私は何年も前から指摘してきた。
したがって、この「被害意識」ゆえに、理不尽な苛めや攻撃をも起こすに躊躇わない。
しかし、本人ばかりは、それを「理不尽」どころか、当然の権利だと疑わない。
なぜなら、
自分は常に虐げられてきたのだから、ということが理由になってる。
そんなもん、こちとら知ったこっちゃない、
はた迷惑な八つ当たりすんな!
と怒りたくもなるけど、
たとえば、
自分が、姑にイビラレたから、今度は、息子の嫁をイビる。
昔から よく聞く話。
親に苦しめられてきたから、自分の子を苦しめる。
ありがちなケースだけれども、
こういうことを、当然の感覚で やってしまう。自覚もない。
辛うじて自覚が あったとしても、やっぱり自分が一番可愛い、無力だった自分が不憫という感覚が先に立ってしまう。
たまりかねた子が反発すると、
「オマエごときが、親に勝てると思うのか!」
と、飽くまで「勝ち負け」に拘る。
自分は、オマエなんかよりも、もっと酷いめに遭わされ、もっともっと苦労してきたのだぞ、オマエなんぞは恵まれてるぞ、うちの親なんかは、こう言ったものだ。
「恵まれてる」どころか、実際は全く逆だとしても、
ここまでになると、なんだか、わが子が恵まれてるとオモシロくないのが本音なのかと思えてくる。
自分の子に対してすら、ねたむ。
しかも、凄まじくシツッコイのは、『人格障害』者の一大特徴でしょw
この反面では、
いったん、「自分の側」の者、貴重な味方だと思ったら、大喜びして、
この「味方」のためということは、
それは、「いつも損させられてきた」かわいそうな自分のためなのであるから、
むやみやたらと肩を持ち、いついかなるときも援護射撃に努め、「味方」「仲間」の分までも、「敵」に対して、当事者以上の猛攻撃に励む。
要するに、
「利害を共有している」と思えばこそ、暑苦しいほどに味方するわけ。
そこに、「思想」だの「理念」だの「批判精神」だの、真の友情などは ありは せぬ。
ただ ひたすら、「自己愛ディフェンス」だけ。
こういうのを「義理人情に厚い」とウヌボレて思い込んで、自画自賛するんだわな(嗤)
そのかわり、ひとたび「裏切られた」と思い込むと、たちまち逆恨みして、罪もない相手を陥れようと執拗に追い回すのよ。
これらは『自己愛性人格障害』者の特徴であること、私も思い知ってます。
まあ、自分の恋愛相手(=共依存相手)や、親・子どもに対してさえも、いっしょうけんめいに尽くしてやったと恩に着せ、「自分は犠牲になった」と主張し、思うような見返りが なかったと思うと、いつまでも、根に持ち、文句を言い続ける。
『人格障害』者についてのキーワードには、「見捨てられ不安」というものが あるね。彼ら彼女らの必死なガンバリの主たる動機でもあり、報われれば、とことん思いあがる材料になり、叶わぬならば、底知れぬ「怨み」と「劣等意識」の原因ともなる。
ただし、その「被害意識」に、事実に基づく妥当性が あるなら別だ。
原因や理由に かかわらず、むやみと自分自身のせいばかりにしたり、自虐的なまでになるのも、これは これで、深刻な問題を生じるからね。
結局、自分自身に対する態度は、他者に対する態度と重なっていくのだから。
自分が最も可愛いのは誰しもなのでは あるが、
しかしながら、『自己愛性人格障害』者の場合には、
要するに、「愛(=期待と執着)」とは「自己犠牲」に ほかならず、
ゆえに、そのまま「怨み」「憎しみ」でも あるってこと。
ところで、
韓国や朝鮮民族についての些か批判的な内容が続いたような当ブログだが、もちろん、私個人は、いわゆる「嫌韓」という者では ない。むしろ、どっちかと言えば、好意的なほうだろうと思う。
単に、何者であれ、これは問題だ、批判するべきと思えば、批判する。何に対してもだ。
なので、私は、やれ日本が統治してやったから良くなったろ、「創氏改名」だって強制してないぞ、とかいう主張にも くみしない。
日本人の、うわべだけを繕った傲慢さ、自覚なき無神経さの端的な現れである「皇民化教育」などは、へどが出るほど嫌悪している。
「日帝統治」時代、朝鮮半島での生産力や収益が大幅に上がったところで、その分配が、日本人に偏っていたため、ただでさえ貧しい現地民が自国での生活困難に陥り、日本本土へ渡って働かざるを得なくなった、そこでは、日本名を名乗らないと、生活上の不利だったという事情も あったらしいから。
まあ、なかには、日本ふう姓名を名乗ることを、単純に悦んだ朝鮮人も いたそうだがw
日本人にも、昔、敢えて朝鮮ふうの名前を名乗るブームが起きたというし、「異国への憧れ」的なものは、いつの時代の、どこの国民にも見受けられるだろう。
そして、
「棄民」と呼ぶべき移民を、もとは貧しかった日本自身も、おおぜい出してきた。
たいがい、自国よりも進んでいるとか、可能性が ありそうに思える所へ出ていこうとするのは、バイタリティが旺盛な者なら、人種や民族に関係なく、人類全体の歴史。
「歴史に学ぶ」とは。
「歴史とは、すなわち、『勝者』の歴史である」という警句のようなコトバも あるけれど、
本当に、「歴史に学ぼう」とするならば、表向けのストーリーや表面だけを見て判断するようでは、なんにもならない。
隠されたものを探り出さなければ ならない。
もっとも、その「隠されたもの」を見い出すのが、なかなかに困難なわけだが。
学者は研究に勤しみ、一般人は情報収集と選り分けに励むしかない。
このとき、両者とも、過信は禁物である。
【続く】