2024.11.09 (Sat)
『【続】慨嘆』の続き。
私は宣言する。
無法者のトランプを選んだアメリカは、自動的に、無法な国であることを曝け出したのだから、
今後、アメリカのことも、こう呼ぶことにする。
「ならず者」構成国
と。
なによりも、
ならず者の言いなりを、これからも続けるつもりなのか、日本よ。
さて、
先行エントリーで ことわっておいたとおり、
最近のバーニー・サンダース氏の、『民主党』敗退についての、多少、ズレている苦言や批判の内容をば、即座に、
「多様性を押しつけたことが敗因だ」
などと、
お門違いにも、勝手に、背乗りの如くに摩り替えて決めつけた、相変わらずの「ヤフゴミん」どもへ。
そのような、おつむの絶望的悪さ剥き出し、かつ、わざと やってる性格の悪さゆえなのだろうが、ほんとうに、トランプと同じ性分なんだな(呆)
だから、トランプのようなタイプに、親近感や親和的意識が つよいのだろうね(嗤)
しかも、うまいこと やりおおせてるのを見たら、ますます嬉しくて痛快で たまらない(嗤(嗤)
いよいよ熱心に応援したくなるというものだね(大嗤)
だが、
いいかげんに慎まないと、
オマエさんらの大好きな『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』ならびに『日本会議』等々のエセうよ・ビジうよ団体構成員だということがアカラサマなのだから、オマエさんらの支持・信奉対象や所属している組織が、大いに顰蹙を買い続けて、やがては徹底的に侮蔑の眼差しで見られることになっていくのだよ。
それでは、このへんで説明しようか。
なにも難しい話じゃないし、ほんと、メンドクセえけどな。
近年の私は、この先、もしかしたら、そう長くは ないのかもしれないなと思うこともあるので、このブログは、まあ、言わば、一種の遺言みたいな気持ちで書き込んでいる面も あるのだが、
それにしても、まじでメンドクサい。
なぜに、この程度のことも理解できないか、
ほんとうに、とことんアタマ悪いからなのか、それ以上に、性格が悪いのだろうか、
まあ、そんな手合いも存在しているのが世のなかの現実では あるけれど、それにしても、多過ぎる。
くだんのサンダース氏の発言を、さっそく捻じ曲げたのは、オマエさんらの毎度の やりくちパターンでは あるから、それ自体についての驚きは ないけれど、
ただね、困るんだよ、実際問題。
「労働者が」と、オマエさんらは、さも、労働者、それも「底辺」の労働者に「寄り添った」、あるいは、自分自身が、その立場であるかのように、さも さも被害者ぶっているような口調だけれど、
ほんとうに、「労働者」とは、いかなる人々なのか、わかってるか?
「多様性」は、労働者に無関係なのか?
たとえば、私自身、障碍を抱えている身で、そのことだけでも、「少数層」に位置する。
愚かなくせに狡猾さでは人並み以上だった親らの意向で、
「就職が難しくなるから」
という理由で、障碍を隠しつつの就労だったことは、当ブログの常連の読者さんたちのなかには、すでに承知しておられる人も、一人ならず いらっしゃるだろう。
特に、就活の場では、だいたいは上手く誤魔化して、入社に漕ぎ着けられたことも少なくは なかったのだけれども、時に、体調とか室内環境などのコンディションによっては、誤魔化しきれずに、潔く(苦笑)ほんとうのところを白状したら、即で、
「何しに来たの?」
と、せせら笑われて終了したことも ある。
大概は、首尾よく入社を実現できていたのだが、それは それで、続けていくことが大変。
ゆえに、転職を余儀なくされたことも多々。
「もう!最初から言ってくれないと!!」
と、叱られ怒られ、
「迷惑なんだよ~」
「あんな障害者を雇うなんて」
と、陰口を たたかれ、
「知能に問題ありの人?」
と、まじで疑われて、
そばで見ていた同僚が、あわてて庇ってくれて、代わりに、事情を説明してくれたことも あった。そんな優しい人、そうそう いないけどね。
というわけで、
まさに、石を持って追い払われた、というような状態で逃げ出したことも、なくは ない。
でも、ほとんどの場合は、そこまで追い詰められる前に、自分からスタコラ逃げ出していたのだけれど。
「迷惑」と言われることが、いちばん怖くて、辛かったから。
にも かかわらず、
私が「お荷物」になることを最も厭っていた親らは勿論のこと、親族全員から、「要領の悪い、怠け者だから、続かないのだよ」と、さんざんに罵られてきた。
だって、『障害手帳』の申請すら、徹底的に妨害されていたのだから、
まさに、リオタールの「犠牲者」そのものだわ。
でね、
いわゆるLGBTQとかの問題だけじゃないのよ。
つまりは私自身、実際に「少数層」の一員であり、
まさに「多様性」のなかに存在する一員であるからには、オマエさんらが声高に主張する
「多様性を押しつけるな!!」
と拒絶されたら、生きていくこと そのものすら、大変になるんです。
ずばり、死活問題ですわ。
かく言う私とて、人生の大半に わたって「健常者」としての立場で生きてきたわけだし、また、自分とは異なる障碍を抱えている人に対して、困惑することも あるには ある。
こないだも、車両や通行人の往来が激しい三叉路の所で、電動車椅子に乗っている男性が一人で、ゆっくりと横切って行くのを待たざるを得なかった私が、曲がり角を走ってきた自動車に ぶつかりそうになったり。
なので、
障害者の立場も、「健常者」の感情も、どちらも理解できる。
けれども、ま、はっきり言わせてもらうと、
ある意味、「奴隷根性」とでもいうか、
そもそも、「押しつけられる」ほうも、問題でしょうがね。
最終的には押しつけないと、頑なで視野狭窄のまま、いつまでも改善できない、する気もない人が大多数だからさ。
なぜ、押しつけられるハメになるんだか、その根本を考えることも必要なんですよ。