2022.01.19 (Wed)
『【続】愚直に最短距離を目指す優等生は視野狭窄』の続き。
で、
医学部在学中の叔父は、殊のほか、教授の お気に入りとなり、
どこへ行くにも一緒に連れて行かれて、
叔父の姿が見えないと、教授は、「△□クンは、どこに いる?どうして、ここに いないんだ!」と騒ぐほどだったという。
この話を聞かせたら、私の級友たちは、
「それって、、、博士の異常な愛情!?」
と指摘していたものだがw
とにかく、叔父は、ふつうの医者では なくて、アメリカに留学し、研究の道に進もうとしていたらしい。
が。
ここでも、高齢の父親(私の祖父)の鶴の一声。
「年老いた父親を置いて、外国へなど、許さんぞよ」。
叔父には、弟だけでなく、兄も いたのだが、この、いちばん上だった叔父は、私が小学生の頃に、大学の山岳部で活動していて、とある高山にて遭難死。
学業優秀なだけでなく、ガタイも大きくて、スポーツマン。
見るからに豪放磊落な気性で あったが、また優しかった。
彼の両親は勿論だが、義理の姉である私の母親らも、後年になっても、ずっと、「あの子が生きていてくれたら」と嘆いていた。
ふしぎなことに、子どもだった私の眼から見ても、この叔父は、祖父にも、義祖母にも、まったく似ていなかった。
では、医者になったほうの叔父が、はたして、誰に似ているか、
それは、恐らく、もとは「無学文盲」で あった、そして、鋭敏な頭脳を生来として持っていた義祖母だろうということは、私にも察しが つく。
先妻が遺した息子たちを、きつい後妻に、完全に潰されてしまっていた祖父にとって、どの面から見ても、跡取り息子として申し分ない、人間が「できた息子」、
それが遭難死で、思いがけずも先立たれ、失ってしまったあととなっては、必然的に、次男である医学生の息子に跡取り役を負わせなければ ならなくなったのだから、異国になんぞ やるものか、という感じだ。
言っても昔の人だからね、
私の母親に対しても そうだったわけだけど、
子どもが、自分なりの進路や希望を見つけても、それが、親である自分の つごうに全く差し障り なければの話。
経済的には裕福なのだから、反対も干渉もせずに、認めてやれたはずなんだけれど、
ひとたび、自分の つごうに合わないとなったら、子どもの希望は一瞬にして、単なるワガママと見做して憚らない。
子どもが抗う姿勢を見せようものなら、最後は、執拗な泣き落とし戦術、ウンザリさせ、根負けさせる。
以前にも言及したと思うけど、
結婚についてもね、うちの親父は、
「代々の墓の守りを しないのは、とんでもなく怪しからんことだから、特に田舎では、親だけじゃない、村じゅう総出で容赦せず、本人が嫌がって泣こうが どうだろうが、テキトーに見繕った相手と強制的に結婚させるし、子が生まれないなら、養子を とるなりする、それも これも、墓を守るためなんだ」
と言っていた。
昔の人はサ、「家」意識とか、子どもは親の所有物、といった感覚が濃く残っていたんだな。
そういう感覚は、それに反発して、逆らって、苦労したはずの、私の母親らの世代にすら、かなり残っていたと思う。
本人自身が反発していた分、自分も また、親と似たことを してしまっているという自覚は乏しかったけど。
本人らは、自分の恨みツラミと被害意識ばかりに拘ってて、自分自身の抜き難いエゴについては無自覚だった。
私は以前から言ってることだけど、
「優等生」ちゃんは、その、悪しきまでの「素直」さゆえに、「信仰」の如く毒され易い。
そして、それは、あくまで本人(の視点)にとっての「挫折」が訪れたときに起き易い。
例の『オウム真理教』の幹部連中とか典型だったでしょ。
ほんとうの思考力、哲学を持たないで、ただ、要領が良いのが取り得だとなると、いささかも思い悩むことなく、上のほうから降ってきたタスクを耳にするや否や、最短距離をパパパと探り当て、さっさと実行するのみ。
そこは、たしかに、優秀なんだろう。
倫理や良識や哲学なんぞ、「最短距離」の前には、平気で かなぐり捨てるんだ。
「最短距離」こそ至上!!だからw
もっとも、あくまで「上」と、自分のための最短距離だわよ。
こういうのが、えてして、「エリート」というんで、官僚になったりするから、始末が悪いのだ。
意外と、リーダーになっては いけないタイプだよ。
だから、「上」の見識如何が大事になる。
だが、「上」も また、、、ってとこさねww
私の実体験で思うには、
ほんとうに優秀な人ってのは、もちろん、大きな挫折や悩みに苛まれた経験が少ないからこそ、自分に幻滅とかは しなくて済んできた分だけ、少なくとも、その時点までにおいては、大いに余裕あるからなんだろうか、意外と、デキの良くない相手に対しても、あまり蔑むことなく、
「ああ、あなたは、それでいいですよ、いい、いい、がんばったじゃないですか、それで結構ですよ~」
みたいに、大らかに受け止めてくれる人が多いのかなあと、特に職場で感じたことはある。
そりゃ、私のデキが悪いだけ、ってことなんだろうが(苦笑)
ただ、
要するにね、
事あるごとに、他者を蔑んで、
「わたしにも できることが できないなんて」
「わたしでも やってきたのよ、なぜ やれないの?」
「わたしでも」「わたしでも」
「わたしが」「わたしが」
といった罵りコトバが定番のように、つい出てしまう人ってのは、どんなに自信満々そうに見えていたとしても、意外と、きつい劣等感のカタマリなのよ。
だから、
こいつは自分よりも下だ、と踏んだら、即で、軽蔑を隠さないというのは、
どんだけ、自分自身を低く見積もって生きてきたのか、
ということに他ならないわけ。
それがミエミエだということに気づいてない。
で、
逆に、
自分よりも上と感じたら、とたんに平身低頭で、あやかりたいと願い、
家来や側近の位置に就きたがったり、いっしょうけんめい真似しようとしたり。
だから、しごく「素直に」「毒される」。
若造なら尚更よ。
引出しと、その容量が少ないからね。
トシくっても、引出しが少ないままで済んでると、ほぼ成長しないまま固まる。
要するに、俗物。
終生、「上」とか権力とか世間の大勢が決めた価値観しか持てない習性だから。
じつに「素直」なることカラッポそのものですわ。
『東大』も医者も、俗物にとって、ブランド信仰の如き対象。
最後に付け加えておくと、
IQが高いから、人間性も高いかというと、むしろ逆のことも多いくらいで、
まあ、関係ないだろうw
「最短距離」――それをカンタンに見分けられるから、悩まないだけ。
思い悩まない人間は、さあ、どんな人間でしょうか。
「最短距離」だけが目的の人間は。
「最短距離」を進む能力が ないことで思い悩んだ若造は、安易に、他者を殺めようとしましたが。