2022.01.18 (Tue)
『愚直に最短距離を目指す優等生ちゃんは』の続き。
以下の話は、いわゆる不倫によって、自分の子を、義理や不義理だらけの複雑な人間関係の渦中に引きずりこんでしまった人に、よーく読んでおいてほしいくらいなのだが、
私と、たったの半年しか年齢が違わない、いちおう義姉に あたる、親父と先妻の次女だけが生き別れで暮らしていたので、お互い あかんぼうだった頃のことは除くと、親父が亡くなったおりに、ほぼ初めての対面となった。
先方からは、実際のところを何も知らない分際でありながら、ずいぶんと失礼なことを、言いたいほうだいに言われたが、
そのなかのイヤミの一つが、
「(兄は)頭が良かったし、本当は『早稲田大学』に行きたかったのに、家計が苦しいからと、無理に国公立を強制された」。
なに言ってやがんだ!
と、怒髪天になるのを、こらえましたよ、私は。
ここで言わせてもらうわ。
をい、■子(←親父と先妻の次女)。
親父はね、
私の母親が後妻として同居するまでは、勉強ぎらいで劣等生だった姉も兄も、中卒で!働きに出すつもりだったんだよ。おのれの だらしなさで、経済的にも苦しかったからね。
それを、私の母親が、自分の妹に借金し、持病を押して、店を経営しながら、
姉は私立のアホ女子高に入学させ、
これに激怒する親父を なだめつつ、
どんなアホ学校であろうとも、トップの成績で通していれば、そこそこ良い会社に拾ってもらえるから、卒業するまでは頑張って勉強しなさいよと、懇々と励まし、
そのコトバどおりに、有名商社に入社できた姉は、そこの同僚と結婚した。
相手も高卒で、エリート コースこそ歩めなかったけれど、さすがに大手の商社マンだ。景気も良かった時代だから、30歳代になるや、一生ものの立派な家を建てた。
長じて短大を卒業した上の娘(私から見て、義理の姪)は、これも大企業に就職し、結婚して、すぐ離婚したものの、その後、とある女子大へ編入学して、どうやら、『心理学』修士だか博士号だかを得たらしい。
ふん、私ていどの洞察力もないのにw
母親である義姉に似たのか、小さい時分から、年子の妹はイジメたおして泣かす、行儀が悪い、その性格のヒネクレぶりに、今から これでは、将来どうなることやらと、愚かもん祖父母すら心配させてたくせして、
ナマイキにも、よりによって心理学の修士だ博士だってさ(嗤)
とは言え、
姉らの長女が、なぜ心理学を、と言うと、要するに、自分らの母親(私の腹違い姉)が、『自己愛性人格障害』の診断を下されるほど、どうしようもなく、性格と行状に深刻な問題だらけで、父娘ともども難儀したことが、心理学を志した動機なのだろうかと察している。
私の場合も、心理学に格別の関心を持ち始めたのも、第一に自分の親らが原因だったから。
結局は自殺した兄のほうも、これは、会社勤めは無理だと判断した後妻である私の母親が、家計が苦しいゆえ、塾も行かせられないし、私立も無理だから、ぜったいに国公立一択!!そして教職公務員!!
と、ハッパを かけ、お尻を叩きまくり、
その代わり、実子である私なんぞには望むべくもなかったほどの気配りを怠らず、(たとえば、勉強の合間の休憩に、自室から茶の間へ出てくる時間を決めて、飲み物の希望を聞いてやり、お菓子や夜食と共に用意、気分転換の話し相手を して、励ましてやる。そこへ いくと、私なんか、夜遅くに宿題している途中で、飲み物を自分で入れようとした とたんに、「うるさーい!台所でゴソゴソしてんと、さっさと寝なさい!!」と、こうだ。えらい差でんがなw)
まずは、地元で二番手の進学校である公立高校へ。
ちなみに、一番手の公立高校では、昔から『京都大学』への進学が最も多いらしい。
この頃の私は、幼稚園にも行ってないくらいの幼児だったのだけど、
あれは、高校合格発表を、兄本人と、母親に手を引かれてトコトコ歩く私の3人で見に行ったときだったんだろう。
一つの場面だけをハッキリ憶えている。
あの日も、ここいらでは珍しいほど、雪が降っていたように思う。
発表を確認し、帰宅する途中だったのか、中学生と全然似てない若い母親と幼児とが3人ならんで歩いているときに、ふと、兄が言った。
「おばちゃん(←私の母親)!握手しよう!!」
と。
私は、キョトンとしながら見ていた。
母親と兄が、道端で、なぜか握手しているのを。
さあ、今度は、国立大学合格に向けての闘いだ。
塾に行けない兄は、幼い私から見ても、ガリ勉だった。ますますガリ勉になった。
進学校に入学できた おかげで、中学生の頃よりも、周囲からの刺激を受け、勉強に積極的に取り組むようになったのだろうと思う。
義理の息子の尻を叩き続けていた母親も、その分、少しラクになったのかも しれない。
だってね、
勉強して勉強して、ガリ勉してガリ勉して、それで、やっと「駅弁」だよw
私自身は、恥ずかしながら、勉強というほどの勉強は、したことが ないと言っても過言で ない。
だって、まったく勉強しなくても、学年でトップ クラスだったから。
ただし!
いちおう得意な科目だけ!w
まったく勉強する必要を感じなかったのは。
得意な科目はね!!ww
苦手な算数も数学も、「公式」を覚えないから、さっぱり解けや しないw
級友にすら呆れて言われましたよ。
「公式さえ覚えたらスラスラ解けるんやから、とりあえず覚えなよ」
と。
でも、覚えないww
ちなみにね、小学高学年の頃、お昼休みなんかに、クラスメートどうしで教え合いっこしようと約束して、
私は、むろんのこと、算数の課題を、級友たちに教えてもらったわけだがw
これが、先生や親よりも厳しくてww
もともと、私の やる気が乏しいせいか、
しまいに、
「あんたぁ(怒)聞いてるんか?覚えたんか?まだ分からんのか!!ちゃんと やれぇー!!!
」
と、アタマ叩かれてたwww
計算題はボロボロ。
でも、文章題だと正解。
この話、過去エントリーで述べてあるけど、
『集合論』だけは、何も悩むことなく、スンナリ納得できたので、成績も上々だったのよね。
あらためて考えるに、
人間計算機みたいな母親ら、数字に つよい身内の面々が、では、理論的数学の分野でも強いかな?と言うと、それは、どうだろうか?とも思う。試したことないから分からんけど。
母親から聞いた話では、私らと同居するまで、親父と姉に虐待されてたせいか、激しい『チック症』持ちだった兄は、知能指数も、私より、もっと ずっと低かったんだと。
ついでに私自身のIQは、学年でもトップ クラスに高いということが、中学時代になって判明、
それまでは、兄よりも、もっと ずっと、知能が低いようだということだったので、親らもビックリこいてたwww
ただし、IQも、いろんな要因で変動するらしいし、肉体的にも家庭的にも不利な面が大きい私なんかは、IQ変動幅も極めて大きい典型なんじゃないかなと思う。
愚かな母親の腹のなかで窒息死しかけてたくらいですから、幾つ何十になっても、アタマ酸欠でボーーーのままですわ。
ここで再度ことわっておくけれど、
うちの兄が、「駅弁」とは言えど、国立大学に入学できたのも、
まだ若かった後妻である私の母親が「教育ママゴン」と言うのか、
「勉強する気が ないんやったら、教科書も捨ててしまえー!!」
と、火を吐く勢いで叫ぶなり、学生鞄ごと、庭にブチまけたことが あるというくらい、鬼の如く、兄の尻を叩きまくった おかげで、塾一つも行かせずして合格させたわけだが、
その最大の理由は、当時の親父が だらしなくて、家計が苦しかったからだ。
裕福な家庭で育った叔父の場合、もちろん、塾も行かなかったのだが、と言うか、そもそも、塾なんか必要としていなかったのだと思う。
おそらく、学校であれ塾であれ、他の学生と机を並べて授業を受けるのも、かったるいことだったろう。
なんせ、IQ200くらい あるんじゃないかという話だった。
当然、
「勉強せい!勉強せい!!」
と、
祖父母らも、私の母親みたいに、のべつ、息子を叱咤する必要なんか ない。
下の叔父も、同じ高校に進学しただけあって、優秀さでは負けなかったはずなのだが、
兄である叔父に言わせれば、「弟は、アタマが悪い」んだそうな。
この叔父のキメ台詞、
「バカは相手にせん(時間のムダ)」。
弟のほうの叔父が、「にいちゃ~ん、ちょっと教えてくれよお」と泣きついても、
「おまえみたいに、人に聞いてるようじゃダメだ」
とピシャリ。
勉強って、人に教わるものじゃないんですとさ。
【続く】