2020.10.28 (Wed)
『青空のように』の続き。
最後に、
赤木氏について、過去エントリーでも指摘したことを再度述べておこう。
彼は、その人生の殆どにおいて、絵に描いたような公明正大、晴れ渡る青空のようにスッキリした生きかたを通してこられたんだろうと、私などは察している。
それだけに、自分の理想や信念、これだけは、しては ならない、やりたくない、と思うことを曲げて、無理やりに やらされてしまった取り返し つかない、不本意な、苦い現実を味わったのは、生まれて このかた、初めてのことに近かったのでは なかろうか。そうであれば、その葛藤の激しさ深さも察せられるというものだ。
激しく深く葛藤すれば、体調も崩れてくる。
体調の崩れを立て直せないままでは、やがて、精神の萎えに及んでくる。
それでも、私などが、赤木氏の最後に遺された文章を読んで、類まれな怜悧さを感じさせられたのは、このあと間もなく、死へと赴くつもりの人ならば、心千々に乱れて、あることないことも混ぜてしまう錯綜を来す人も少なくないだろうところ、赤木氏には豪も、それが見受けられなかった。
つまり、「分からないことは分からないとだけ言う」これは、およそ科学者の基本的としてあるべき態度だ。
御家族・お身内への限りない愛情の吐露は、迸るままに書き綴りながらも、一転、ご自分の仕事についての考えや、事件の始終・経緯に関することは、あくまでも御自身で見たこと聞いたことの範囲以外は一切、余計なことを加えておられない、そこが、じつに皮肉にも、政権擁護側の連中に、つごうよく利用されているわけだが、悔しくも哀しいことに往々、現実は、そういうことにもなりがちだ。
赤木氏は、自身の死を、すぐ眼の前に覚悟しながら、言わば、冷徹なる科学者の それと同じ姿勢を貫かれたわけだ。
あの佐川さんも、彼自身の一存だけで指示したこととは思えないよ。
自分よりも もっと「上からの声」が降ってきたんだと、ほんとうのことを、真実を言えば いいのに。
赤木さんの無念が、その人生の もとの青空のように晴れる日が来ることを願っています。