2021.06.25 (Fri)
『政治のレベル=司法のレベル=やっぱり国民のレベル。』の続き。
私個人はね。
子ども時分から、親の名字、親に付けられた名前が嫌いなので、好きな相手と結婚することにでもなったなら、ほくほく大喜びで、相手方の姓に変えますわよw
これまでに何度か、戸籍の氏名を変更する手立ては?と模索したことが あるのだが、やっぱり、結婚する以外での方法は殆ど なく、役所関係の法律の壁はドルメンの如し。
だいたい、うちの親も、年がら年じゅう、しょうもない諍いやら暴力沙汰に明け暮れてるようなバカップルだったから、夫婦や家族が同姓であることで、いわく「絆」だとか「一体感」を齎したり醸成しているなんぞとは、サラサラ思わんわ。
私にとっては、ただ鬱陶しい、それだけ。
それでもね、
『自民党=日本会議』シンパの「ヤフゴミん」らのように、自分自身や自分の周辺といった、ごく狭い範囲が、この世の全てであるかように(要するに、アベシと同じ性向だw)、それに合わせた方針が正しいのだなどと、シャアシャア主張するほどの視野狭窄な愚か者では ない。
うちの兄なんかも、親父を猛烈に嫌ってたから、結婚後、親らが知らない間に、ほんとうは長女で跡取り娘だったヨメさんの実家の名字に変えてしまってたということが発覚し、
親父以上に、血の繋がらない後妻である母親のほうが激怒してた。
うちの母親は、自分は、いわゆる「女腹」で、男の子は授かりにくいんだと言っていて、だから、先妻が産んだ息子は、親父の養子先の家系では珍しく男子で、たった一人の跡取り息子なんだということに、異様なほど拘っていたので、兄が、ヨメさんの実家の姓に変えていたことを、近所の人にもコボシてたもんだ。
「こっちは、婿養子にやった つもりなんかないのに、あの子は勝手に」と。
私には、亡兄の気持ちも よく理解できるんだけど。
けれども、兄は結局、何が理由なのか、戸籍上は離婚してあったらしいのだが、ほどなくして自殺した。
ほんとうは、自分で自分の名前を自由に変えることくらい、認めてしかるべきなんだよ。
何も分からない あかんぼうのときに、勝手に押し付けられてるだけなんだもの。
そもそも、伝統だの昔を問うのなら、ここでも やっぱり中国由来の影響が大きいし、武将などは顕著に変えてたっしょ、名前なんか。
「ヤフゴミん」が常に憎悪(?w)を向ける対象である『朝鮮民族』の「夫婦別姓」ね。あれも、中国発祥『儒教』の影響で、あくまでも、同じ姓(と言うより、正確には、同じ本貫=祖先の出身地)の者どうしで、つまり「近親」結婚なんかしてませんよ、というタテマエに過ぎないでしょ。そして、本質は、やっぱり「男尊女卑」。自慢できる筋合じゃないわなぁ(嗤)
で、あちらでは、いとこ結婚を認めている日本を、野蛮な国みたいな感覚で軽蔑しているのだそうな?w
現実には抜け道だらけのザルだろうし、こういう、タテマエに拘り過ぎるほど拘って、とうに形骸化しても なお、しがみつき、
裏の実態はザルザルのダダ洩れになっていようとも、表面だけは、それらしく調っていれば、という面でも、朝鮮民族と、「タテマエ・実態の乖離」が大の得意な日本国民との共通性が窺えるw
その反動で、攻撃が始まると、とことん執拗。。。
ま、ルーツを同じゅうしているだけのことは あるなww
ただ、「4親等」とか「8親等」とか言ってる違いを考えてみたとき、なぜか、同じ『東アジア』圏の日本では、血族内の結婚について、比較的ユルイほうなのだが、もしかしたら、そもそもは『天皇家』と関係しているのかもしれない。と言うのは、なんせ、列島に やって来たばかりの頃、周囲は「蝦夷」だらけだったから?wかえって、自分たち一族の血を守ることに拘るわけでさ。
さて、
今回、またもや、日本の司法・裁判所は、肝心のところに踏み込まず、手前で誤魔化して逃げた。
やはり、日本における「三権分立」は装いであり、
本質は、(『自民党』)政権に従っているに過ぎない。
『生活保護制度』に関してと同様で、なにしろ、現政権政党である『自民党』(=『日本会議』)の意向第一になってしまっているのだろう。そういう現状。
それは、つまり、その政権政党を「選択」した有権者の意向を尊重して、というテイになっているのかもしれないが、単なる表面上に過ぎず、
そもそも、この国の選挙制度には、国民の知性のレベルと共に、重大な欠陥が露呈してきて、もはや隠せなくなっている。
何よりも、まず、「選択」は、人権の基本である。
このことを、『自民党』と司法・裁判所は忘れるな。
たとえ愚物のアタマで あっても、その選択は尊重しなければ ならないというタテマエも基本では あろうが、
低レベルで、大きな欠陥も ある現状に盲従していて、どうして、レベル アップし、状況が良くなっていくことが見込めるものか。
現状の「夫婦同姓」強制を、「合憲」ということにしてしまった、ヘタレ裁判所。
「選択的夫婦別姓」とは、夫婦同姓であれ別姓であれ、あくまで選択であって、いずれの場合も強制するものではないのだから、サッサと、誤りと言うか「逃げた」ことを認めなさい。
『LGBT』の権利という問題に関することも、私個人的、直接的には、とくに困ってないから、さほどの関心は ない日常だけれど、だからと言って、反対では全然ない。
こちらも、『選択的夫婦別姓』と同様に、他者の選択権を阻むものでは全然ないのであるから。
「夫婦や家族は同一姓であるべき」と主張する側は、単に感情的で あるのみならず、明白に論理破綻している。
彼らの感情も尊重すべきなのだろう。
しかし、『選択的夫婦別姓』は、それを妨げるものでは ないのだし、
それどころか、
私などは、『自民党』と『日本会議』がタッグを組んでおり、邪まな意図を持って、現代日本社会が、先進国として ふさわしい水準になることを、
執拗に邪魔しているように思える。
私や、兄や、その他、同姓であるにも かかわらず、夫婦や家庭の「絆」だの「一体感」だのが嘘っぱちだったことを知っている人々には、「伝統」が、「家族観」が破壊されるという主張は、単なる思い込みや強迫観念に過ぎないことが分かっている。
邪まな欲の眼は、間断なく常に監視しようとするし、
それを知らないままでいる無関心な者の眼を開かせるのは至難のワザだ。
無関心は、無知の罪を招く。
このたび『社民党』の福島瑞穂氏が、『フランス国家功労勲章シュバリエ』を受章されたそうだが、
『選択的夫婦別姓』についても、これを推進するのが妥当と考える人たちや政党は、今後、もっと強力に、一般国民の啓蒙に励んでいかなければ ならないし、それを以って、今度こそ確実に、国会での審議に進めるよう、よりいっそうの努力を。
25年も埒が明かないままというのは、ひとえに、国民の無知蒙昧と無力を示すことに他ならない、まさしく、国家と国民の恥である。