2018.11.14 (Wed)
まず、
前回のエントリー内にて、私が述べたことについて、なんだか「ウヨ」らがハシャイでるみたいだからwここで ちょいと付け加えさせてもらうのだが(新規アップが増えるのはメンドクサイのでなw)、
すでに言ってきたことでは あるが、
目下、「徴用工」賠償云々の問題が騒がれているおり、
なぜ、自民党からしてが、韓国との関係を悪化させるわけにいかないと苦悩する必要が あるのか?とか、しまいには、敗戦後に、向こうで捨ててきた、日本人の資財などを返してもらおうじゃないかという主張が、けっして、そのように いかないのは、かつての併合・統治時代に、当の日本こそは、そこからの益を目論み、得ても いたわけで、その反面では、あちらの人々が、それまでの仕事や生活の糧を失い、それで、日本へ赴き、稼がなければ仕方なかった事情も あるという。
たとえば、韓国が「『オリンピック』デビュー」した、かつての『パルパル』だって、陰では、たしかに、日本の多大な後押し協力が あったのだろうとは思っている。
しかし、そういったことを、恩に着せる筋合いは、日本には ないのだ、ということを自覚することだ。
同じく、「ネトウヨ」の憎悪の対象であるらしきw中国に対する莫大な投資(ただし、いわゆる「ヒモ付きヨ」ww)にしても そうだが、これらは、なにも、美しきボランティアでは ないのでね。
日本に限らずだが、どこの国でも、他国に投資するというのは、いずれ自国の利益を期しているからこそであって、ましてや近隣諸国の民衆の生活レベル向上は、経済面を始め、自国にとっても、様々に益が得られると見込んでいるからこそなのだ。
もちろん、せっかく投資したものを、民衆生活の向上ではなくて、もっぱら軍事のほうに注ぎ込まれるのは困るんだけどね。。。
そういうわけで、エラそうなことばかりは言えないの、日本としても。
韓国政府が、当時、樹立したばかりの弱々しい自国の経済発展のため、すでに国家間において取り決めしたはずの賠償金について、これを本来の目的に使わず、他へ流用していたとしても、強くは責められないわけが ある。
韓国の経済発展は、隣国であり、かつ、関係性の特に深い日本にとっても、また、西側の大盟主たるアメリカにとっても、必要なことだったから。
さて、
『BTSの「原爆Tシャツ」騒動が起きても、韓流ブームが打撃を受けない理由』11/13(火) 9:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181113-00000017-zdn_mkt-bus_all
ははは。。。(苦笑)
ま、中国は嫌いだが、パンダは可愛い、とかいうのもあるしね(笑)
ただねえ、この筆者さんが、頻りに おっしゃる、「いくら言ってもムダですよ、いまの若い世代の女性たちは」こうなんだから ああなんだから、
として挙げられた事例は、今に始まったことじゃないんだと思うよ。
敗戦後の日本国内に、アメリカの将兵らが一斉に乗り込んできたとき、当時、早速、「パンパン」とか呼ばれた女性たちが おおぜい現れたんでしょ。
(皮肉にも、モーパッサンの“Boule de suif”(脂肪の塊り)という小説を思い出したわ)
そうして、その、主にアメリカさんとのあいだに出来た子どもたちが産み捨てられて、『エリザベス・サンダース ホーム』という保護施設も生まれた。
いまでも憶えてる。
『エリザベス・サンダース ホーム』で育てられたという、テレビ番組に登場した、当時、まだ20代と思しき男性。片親が白人であることは、容姿に現れていて、多分、アメリカ人なのであろう父親も、いわゆる「パンパン」だったらしい日本人である母親も、どこの誰なのか、ハッキリしたことは不明で、発見・保護されたとき、あかんぼうの彼は、ドンゴロス袋のなかに、すっ裸で、無造作に放り込まれたまま置き去りにされていたそうで、この事実が最も辛いというふうに訴えていた。
現代でも、たとえば沖縄の米軍基地は問題視され続けているわけだけれど、それは それとして、現地の人たちの日常生活のなかに、米軍の関係者たちとの付き合いは確立されているようだし、結婚相手や子どもの父親が米兵ということも少なくなく、先日は、父親が、まさに米軍関係者であるという新知事も誕生した。
たとえば、東北の大震災や原発大事故を体験した、いま まだ若い年齢の人自身が今後、結婚するなりして、自分の子を持つようになったとき、その子たちが、自分の目の前に居る父や母の若い頃に起きた、それは もう、地獄の沙汰だった あれらの災害話を聞かされても、あまり関心を持ってくれない、ということを思い知る日が来るのかもしれない。
戦争体験者は、とうに、このようなことを危惧しているだろうし、「世代間のギャップ」というコトバもある。
だいたい、「原爆投下は、やむを得なかった」みたいなこと、なんと、昭和天皇が発言されてたよね。
「どうも、気の毒だとは思うが」などと。
敗戦後の、マッカーサーと面会のおりには、「朕の身は どうなってもいいから」とか おっしゃったという話が信じられなくなるほど、まるで他人事のような。
きのうのエントリーでは、「沖縄メッセージ」というのを指摘しておいたが、なるほど、さも ありなんか、と思いましたわ。
昭和天皇からの伝言を受け取ったシーボルト連合国最高司令官 政治顧問という人と、連合国軍最高司令官マッカーサーの、昭和天皇に対する印象は、どうやら正反対だったということのようなのだが、
いったい どちらが、昭和天皇の真実だったのやら。
いずれにせよ、このときの天皇に、こういう口出しは許されなかったはずなんだけどねえ。私は、これが最も問題だと思うんだけど。
戦後のドサまわり「行幸」で、広島に立ち寄ったとき、集まった国民たちから、思いのほかの大声援で迎えられたということだから、「朕は、まだイケるんだ」と、すごいウヌボレが あったのかもね。
そもそも、「神さま」扱いで、「最後の帝王教育」を施されて育てあげられてる、特異な感覚の人なんだし。
まあ しかし、沖縄の米軍基地に対する反対運動を指して罵倒し続ける連中の言いぐさというのは、まさに、昭和天皇の意向そのまんまなのね。いまさらながらビックリした。
この「沖縄メッセージ」、念を押すかのように、一度ならず二度にわたって伝言していたのを、アメリカ公文書館で記録が残されていて、1979年には発覚してたそうなんだけど、私なんかは、つい最近だよお、知ったの。マスコミ、ほとんど取りあげなかったみたいね。
【続く】