2019.12.10 (Tue)
『「説明責任果たせ」 国会閉会、開き直る政権に怒りの声』
12/9(月) 22:39配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191209-00000056-asahi-soci
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法学者や政治学者らで作る「立憲デモクラシーの会」は9日会見し、こうした姿勢が「社会に絶望とシニシズム(冷笑主義)をもたらしている」(西谷修・東京外語大名誉教授)と懸念した。「正論を積み重ねてもダメだと無感覚になっていく」
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(文字強調は当ブログ主による)
そこなんですよ、私が洞察し、懸念し、ずっと訴え続けてきたことは。
「無気力」ほど、怖ろしいものは ないのよ。
何度か言ったように、私自身、その日の小さな家事すらも、こなしきれずにグッタリしていた時期が長かったから、「働けど働けど」で疲弊しきっている人が、たまの休日、選挙投票場へと足を運ぶ時間すら費やせないで終わる現実も理解できないでは ないんだけも、
要は、そういう極端な状態の人が、日本では最も多いのか?ってことだ。
そんな極限状態の人が、世のなか、少しは いても、
それ以外で、ふだんから、政治や政府関係の情報摂取に努め、きちんと考えて、それから投票に赴ける「普通の層」が大多数ならば、
昨今のように、選挙制度の根幹が揺らぐような、
そして、国会が機能不全状態のような深刻な事態にまでは陥らない。
陥らないなら、
せいぜい2割3割がとこの「コア支持層」に独占され、「圧勝」だの「大勝」だのと、御用メディアに標榜され、
「信任を得た」だのと、悪辣政権が厚顔無恥のツラの皮を、ますます厚くすることもできないし、
「国民が選んだ結果だろ」と、コア支持者から、えらそうに堂々と欺瞞を振りかざされることもないはず。
どうして、こんな状態になってしまったのか。
できるかぎりの客観的な情報を得て(それが、この国では、水面下で中国や北朝鮮にも並ぶかというくらいに危うくなっているが)、ある程度なりに勉強し、自分個人の矮小な利益だけでなく、大局的な見識を培っておけば、いざ、投票する前に、それほど迷うことは ないんだけれど、
そういう下地を つくるように努めてきていなければ、そりゃあ、どこの誰に投票したら良いのやら、迷いに迷ったあげく、結局、投票することさえ、めんどくさくなるだろう。
しかも、昨今は、地方での無投票状態が続いていて、人材難もハッキリしてきた。
私も一回だけ、ついに、「全員イヤ!!」と書いて、投票所を出てきたと、去年あたりのエントリーで述べた。
あるいは、単に、タレント出身やテレビで知名度が高いといった印象だけで投票してしまう愚衆は、昔から少なくない。
迷わないで残るのは、やはり、「コア支持層」のみである。
自民党の支持者であり、しかも、タレント等の単なる知名度に飛びつかせる戦略なのだから、まず当選する現実。
それだけ、思考停止の愚民が多いのだってことは無視できない。
この層は特に、自己利益や自己の組織利益のみで判断するから、そこで思考停止。迷いが ないね。
この連中の言う「信念!」って、そういう程度のことなんだ。
「大局的」だの「全体のヴィジョン」だのは、完全に無視して かかれるのだから、ラクなもんだ。
私みたいに、真っ当な「無党派層」たろうとすることは、なかなか、しんどい。
安倍政権に合わせて、真っ赤な嘘を吐き続ける官僚を、かわいそうだという見解は、間違っている。
そんなの、『ニューオータニ』と同様。
私は当初から、アベシは操り人形、パペットだよと指摘してきた。
ここは、アベシに限ったことでもなく、権力のテッペンに座る者には、大概つきまとう側面であるけれど、
「ご利用」の彼にとって、「オトモダチ」や「仲間」とは、利益の交換が できる相手、という意味だろう。
あたかも、「風俗嬢」にとって、カネ払いの良い客こそが良い客であるのと同じことで。
そこに、ほんとうの「情」だの「愛」だのが あるはずもなく、権勢が失われたら、潮が退いていくように去っていく。
こういうパターンは、周囲の人々を大事にしているようで、その実は利用することしか考えてない『自己愛性人格障害』の最たる特徴でも ある。
肩で風切るごとくに生きていたのに、ふたを開けてみたら、最後は、誰も寄りつかなかったとか、はたして、本当の友人なんて、いなかったんじゃなかろうか?という結末は、「発展家」などと呼ばれた私の母親も そうだった。
得意の絶頂との落差が激しいことよ。
【続く】