2015.04.18 (Sat)
のは、
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授という岸 博幸さん、
あなたのほうだって、そうじゃないかと思います。
『今更ながら古賀茂明氏「報ステ騒動」の是非を考える』
2015年4月17日
http://diamond.jp/articles/-/70280
私自身は、その一歩手前近くまで来ているのかな、くらいに思っている。
それでも、古賀さんたちのような意見の表明が、政権に真っ向から反発していても、おもてに出せるうちは、あくまでも、「一歩手前に近い」くらいなのだろうかなと。
なぜ、そのように考えるかというと、
取りも直さず、かつての戦前・戦中を体験した世代のなかに、こんにちの情況と、あの時代の酷似性、かつ、
「まだまだ、と思っているうちに、あっと気づくと、完全に行っちゃってたんだよ」
と警告する著名人たちの指摘を何度も見かけてきたから。
少なくとも私自身も、あの時代を全く経験・体験していないのだから、
その経験・体験を くぐってきたうえで警告している人たちのほうを重視して参考にします、岸 博幸さんの述べるところよりも、ずうっと。
「報道の自由は当然守られるべきであり、かつ報道機関の使命の一つがいわゆる“Watch Dog”、即ち権力側の監視であることも当然です。しかし同時に、報道機関には、そうした自由や使命とともに、ビジネスという側面があることも忘れるべきではないからです」
そうですね、
だから、私も、ふだん、「ネトウヨ」と思しき連中が中心になって主張している、
「マスゴミは事実だけを淡々と羅列しておけ」
てな浅はかなコメントを見かけるたび、これだから、まともに相手にするだけのオツムですらないわな、と呆れ果ててしまうわけ。
マスコミ各社それぞれに、一個の営利企業体であるという土台、
だからこそ、各社主張は、様々にカラーが出ていて当然なのだ。
しかし、そこに、ねちねちガミガミだめ出ししてるのが、ときの政権という始末では、しょせん、一人の一般人が主張するどころの始末ではないです。
かつ、
営利企業体であるがゆえ、岸さんおっしゃってる「ビジネス」だ「視聴率」だ、そこばかりを追求しているのでは、「報道」だの、やれ「木鐸」だのと、どの口が偉そうに言えるのか?と思う。
「世間受け」ですかw
「“イロモノ”に多くの時間を割いたのも、マスメディアの現実を考えると やむを得ない」
ですか。
~「古賀氏は報道番組が原発と行革を扱わないことを非難していますが」~
「扱わないことを非難して」いるんですね?
「扱わない」から、なんですよね?
なるほど、デフレ脱却、税金のこと、経済動向、
また、原発のゆくえ、地方の問題、どれも累積していて深刻な重大問題です。いずれとも密接に関連性があるはず。
なにも、番組の一日の時間枠内で、これら全てを盛り込み放送する必要もないし、かと言って、連日毎日、同じことばかりを取り上げる必要性もないでしょう。
まあ、たしかに、
詳細に疎い私も、古賀さんが御自身で、ブログなりの発信媒体を用意されてあるのなら、そこで、あらいざらい一部始終をドカンと述べられたら、それが一番無難でよかったのでは?とも思っていたけれど、
それだと、大多数の一般視聴者の耳目を集めるまでには いかなかっただろうなあとも。
大衆受けしてくれてというか、受けさせるよう仕向けて、やっぱり、こんなのがオモシロいのですか そうですか、そうですよネと、
せんぐりせんぐり、そればっかり垂れ流す。
そういうことばかりのうちに、国民一億やがてのことに「総ハクチ化」てな嘆きも起きてくる。
いっそ、これは飽くまで「ニュース・ショウ」なんですよ、と潔く徹するほうが、まだ罪がない。
【続く】