2015.04.22 (Wed)
私が近ごろ知って、特に注目している人は、白井 聡氏と古賀さんだ。
古賀さんについても、先日のエントリーで とりあげた、慶應義塾大学院教授という岸 博幸さんと同じく、私は、ごく最近まで、その存在を知らず、官僚職改革に関することで、すでに数年も前から、古賀さんという人が中心的話題になっていたことを知らず、ちょうど、東北の大震災と、続く原発大事故のことで殆どの関心を奪われており、
やっと今年に入って、“IS”人質事件の衝撃的結末に伴い、古賀さんの存在を知ったのだった。
まさに官僚であった古賀さんの場合、
一般的なイメージとしてある、政治家以上に官僚職の人たちに より多く見受けるような、詭弁の類を、しかも、のらりくらりと述べておいて誤魔化すというパターンとは逆なのだろう。
むしろ、官僚らしからぬ、歯に衣着せず、本質的次元に迫ろうとして突く明瞭なモノ言いだからこそ、
奥歯に何か挟まってるような、これ すなわち、腹に何か隠し持っているゆえ、なんだか要領を得ない発言に終始してしまう、それこそを「利口」とする、
「手の内を隠し」つつ水面下で狡く立ち回れる者こそが「賢い」のだと信じる価値観の手合いが見ると、うらやましさ半分と共に腹立たしくも感じるのだろう。この者らにとっての美学に反する、シンプルとか明瞭とか公明正大とかいうものは、ほとんど罪悪なのであるらしいからw
おまけに、われらが安倍ちん麻生ちゃんあたりになると、べつだん めずらしいほどのタイプでもなく、単純に知識・教養やコトバの基本的意味・来歴や解釈の方法を わきまえておらないだけだったりするようだから、よけいに業腹なのだろうww
あっそうそう、麻生さんが、香港「フェニックス テレビ」を突然、嘲笑したとかいう話題。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150407-00000069-scn-cn
ことの経緯の詳細が分からないので、記事の内容を読んだだけで断定することは控えざるを得ず、
私も一応、財務省の「麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣 閣議後記者会見の概要」なる公開記録に目を通してみた。
やっぱり、失礼な答え方してるわよお、麻生さん。
まず言えるのは、
実際「嘲笑した」かどうかは、上記の財務省記録からは分からなかったけど、
「嘲笑」したことに悪意というほどのことは、ご本人たちには なかったつもりであったとしても、マナーの面では全然良くないし
(こういうところ、本人の地の性分と育ち、その育った家庭が真に、世間で評される良家かどうか現れるもの)、
国外の、しかも、いま、あまり良好ではない国の人を相手に、公共の場においてなのだから、政治家としては、全く、お粗末である。
だいいち、先方の記者の真面目な質問に、それが、真っ向から批判の意を含めたことが感じられるものであったとしても、
まともに答えもせず、あさってにズレた方角から発言し、それで、ちゃんとした答えになっていると思っているところが、さすが、安倍ちんの仲間。
しかも、侮蔑まる出しじゃんw
近く、首相の安倍ちんが、先方のトップと会談するとかいうタイミングでなw
わざとかぁ?ww
「1年半ぐらい前ですかね、これが始まって。大分前からこの話は来ていたと思いますけれども、私共はガバナンスをはっきりしてくれと」(麻生発言)
いや、だからさ、
その「ガバナンス」も何も、それについて基礎的発言権を確保できるうちに加わっておいたほうが、というのが、メルケルさんからの心配だったんじゃないの?
それを、まったくトンチンカンな解釈して、メディアに流してるようだけども。
国内でも、経済界から大いに危惧して、不満の声が出てるという、そこも触れない。
“ODA”についても、しれっとイイカゲンなこと言ってるじゃないか。
怪しからんな
それとね、
「うちは野党が何でも言える国だから」とかいう発言を、このタイミングで言ったのなら、質問側の人ではなく、麻生さんの側こそがイヤミたっぷりだと思えたよ、やっぱり。
相手の質問者は、あくまで、野党の批判に対する「反論を」と尋ねているのだからね。
「ヤフコメ」の「オーサー」とかいう一人、「ふわらいどう」?とかいうハンネのひと(以前から、このブロガーにも、なんか胡散臭い傾向を感じてた)、
そこに常駐してるネトウヨらも案の定、しゃあしゃあと捻じ曲げてやんの。そんなとこだろうと思ってたわ
まっ、麻生さんは、専門家も認めるように、ぶっちゃけ、発達障害ですからなあ。
これまでも言ってきたが、
発達障害にも程度とか、ケースは いろいろあるだろうけれど、
彼のように、往々にして、すっとんきょうと感じさせるような唐突かつ軽薄な言動が、たびたび見受けられるのも、恐らく、特徴的なもののうちなのだろうと思う。
そりゃあ、なおせとか、なおらないとかいう次元じゃないだろう。
先天的障碍の一種なのだし、それと、「ディスレクシア」あたりの傾向も あるようだし。
たまたま、ああいう御先祖の出た、しかも大金持ちの家に生まれてきたからこそ、それなりの立場としての経歴を積み(積まされ)、
やがて、お大臣の椅子にも座っておられるわけで、
もし、かのひとが天然に持って生まれた個人としての地の裸一貫だけで世渡りせねばならなかった場合、
どこに行っても、どんなに努力しても報われ少なく、さんざんバカにされ、蔑まれ続けたやもしれず、
その苦労の内容も、いまとは雲泥の有様だったことだろう。
それだけに、世の発達障害者たちの見果てぬ希望の星、的な存在とも言えるのか。
そのせいか、
ニートひきこもりオタクたちのネット アイドルの一人らしいからなあw
さて、
やはり、もと厚生省だったかの官僚であったが、組織のありかたや自分に課せられた仕事の方向性に違和感を抑えきれず、ものの半年ほどで辞める決心をして、いまでは、福祉方面の事案を中心に携わっているという弁護士さんの存在も伝え聞いた。
それぞれ勤務先の規模に関係なく、あくせく働いている一般国民は、私の知るかぎり、
有名大学卒の大企業の管理職あたりでも、とくべつ、政治やら外交だとか、世間の何かと新しい動きについて、いちいち敏感にアンテナを張りめぐらして勉強に精を出し、情報通であるわけでない。
日々、ほとんどの時間を、役割を負っている社内での業務に費やし、やっと、勤務先から解放されたら、急いで、倹しい食事して、
翌日に備え、(特に女性は)こまごました段取りを済ませて、少しでも早く就寝し、不自由な睡眠時間を僅かでも確保しようと、新聞もテレビもインターネットも そこそこに、貪るように眠りにつく。
私自身そうだったが、そんな生活のなかで、ケガや病気を するし、
同時進行で、老人や病人の介護もするときが来る。
ネットで気の向くまま、あるいは、それこそ「一個20円」だかシガラミゆえなのか、動機は各種あるのだろうが、
情報収集にコメント投稿に一日じゅう励む人たちなんてものは、どんだけ政治や社会問題について積み重ねてきた受け売りの知識やら、ご自慢の見解をトクトクと披露していても、
そういう人たちは、むしろ、一般の社会人、少なくとも、現役世代のなかでは圧倒的に、良し悪し抜きに少数派なのであり、異端派でもある。
何年も前から言ってきたが、こうしたことにも、世間一般とネットにおいての趨勢に、ときとして意外なほど乖離が見られる現象の原因の一端が あるかもしれない。
ネットに親しみ始めたら、私を含め多くの人が、早い段階で気づくであろう現象の一つには、
精神系の障碍や病等を抱えている人が殊のほか多数を見受けること、主に、そういう傾向の人たちが何らかの切っ掛けで、若い段階からネット中毒になったまま、一般社会での勤労経験も乏しいまま、すでに、かなりの年齢になってしまってもヒキコモリといった人たちが、驚くほど存在していること、
あるいは、
社会人としての勤めは終え、現役を引退し、そこから、老いらくの身で、ヒマにあかせてネットにハマり、なまじネットのなかの「ネトウヨ」らの言説に「開眼」したつもりで煽られて、ぼやけるモニター見つめつつショボつく目で必死にキーボード打つ手も覚束ない「ジジウヨ」化した高齢者たち、
こうした人たちは、どんなに、いくつもの名を名乗り、別人を演じ、もって大多数が存在しているように見せかけて、自分たちこそは多数派とイキがってみても、現実は、偏りの激しい少数派に過ぎない。
パソコンとインターネットの普及が届いていなかった学生時分とか社会人になって日も浅い若かった頃の私には、テレビ以上に、およそ新聞に載っている記事内容を疑うことは、たしかに少ないことだったと思う。
私の周囲では、新聞を読むよりも、テレビを視聴することが中心、また、そこからの情報を信用する人のほうが一般的だった。
私も、公的情報メディアの世界で働いていた時期が多少あるので、自分自身、いたって真面目な気持ちで、記事というものに向かっていたわけで、敢えて疑念の眼を光らせるにしても、それこそ、「事実」としてデータや裏付け確認のためにであって、何かしら殊更の誘導を内に目論んでの記事の つくりかたという胡散臭い方向へと向かわざるを得ないほどの複雑怪奇な泥沼は経験せずに済んだ。
コピーライターのときには、さりげないハッタリ的技術も仕事のうちではあったけど。
近ごろ、記者クラブ系大手マスコミの、不可解なほどの及び腰、不甲斐なさを糾弾する声が目立ち始めているが、
こんにちでは、営利組織や企業体とのシガラミが、なるべく少ない、かつ、ある個体にとっての利益にのみ とらわれずに、大局的見地と良心にのっとって発信できる、個々のジャーナリストたちに期待するしかないのかもしれないなと思うようになった。
下記のコラムを お書きになった田中良紹氏、
「今年は嫌でも戦争を意識せざるを得ないと書いた、それは2014年が日清戦争と第一次世界大戦のはじまりからそれぞれ120年と100年の節目に当たるから」というふうに述べておられたが、
戦後70年ということでもある今年、安倍政権の、あのやりくちと相俟って、いよいよ、戦争というコトバを意識に つよく感じる年になってしまったなあとも思っている。
『世界とは異なるテレビを見せつけられている日本人』
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20150405-00044568/
【続く】