2021.07.29 (Thu)
『「加害者」なのに「被害者」気分とは』の続き。
それから。
「ははあ、例のカルト連」(嗤)と思しき「ヤフゴミ」のコメントも散見するのだが、そいつに言っとこう。
一般的に、周囲の者、とくに、通りすがりの おとなたちが、たまたま目撃しただけなら勿論のこと、ふだんから見ていてさえも、事なかれな教員、公務員なんかの典型的言い訳で、それこそ「遊んでる」とか「じゃれてる」とばかり思っていたのに、実は、深刻な、陰湿なイジメ行為だったことが発覚し、校長先生や教育委員会のオエライたちが、記者会見で平謝り、なんてパターンは多いんじゃないの?
だから、
アンタの言ってること(「遊び」で、じゃれて、等)は、「カルト連」のパターンそのままの誤魔化し、単に小賢しいだけで、実際や現実、真実とは真逆の大外れなのよ。
「証拠が ないのに」と、やけにリキを入れたコトバからは、その根底に、アンタたちの大好きな、嘘つきアベシの擁護をも潜ませているかのように窺えるんだけどね(嗤)
すぐに見抜かれるパターンの言いぐさで、相変わらずのバカ者ですわ。
ほんとに、つける薬が ないってやつだ。
どんだけヒマなのか知らんけど、もっとマシなことに、時間を使ったほうがエエよ。
そのままでトシ喰っていったら、ほんとうに、ちんけな、心身とも腐った『自民党』みたいな年寄りになるだけよww
しかも、アンタらの場合、歪なケッペキ症と言うか、許容性が極度に狭いから、そんな自分が許せなく、その許せなさを、あかの他人相手にでも ぶつけるという、どうにも救いようのない甘えんぼだもの(嗤)
とは言え、
現実の生活態度は、家族に最も遠慮しいしい、意外と小心で、コチコチの真面目だったりするんだろうけどねえ(嗤(嗤)
「有害廃棄物ゴミ捨て場」みたいなネットの投稿欄にしか、居場所が ないのよね、哀れ哀れ(嗤(嗤(嗤)
さて。
「shame(シェイム)」――
ねたみ、という「呪い」を受け続け、辱められ続けると、精神的にだけじゃなく、からだも本当に不調になる、これは、多くの人が、直には体験していなくても、理解しやすいことだろう。
そう、がんばれるうちは、まだ いいんだ。
ほんとうにマズい情況が長く続くと、ついには、がんばれなくなる。
いよいよ立ち上がれなくなる前に、どうにかして、手を打っておかないと、まじ危険。
すでに幼い頃から、「マズイ情況」に置かれていた場合は尚更で、しかも困難度が増すわけだが、
可能なかぎり早く、いかに早く気づけるか、
そして、立ち上がって脱出できるかが、その先の明暗を分けていくことに繋がるから、非常に重要な決め手となる。
そうそう、
いわゆる「ヤンキー」とか「不良」とか、なんなら「ヤーさん」ですら、意外と、世間の常識的な事柄や、権威や権力に弱いよねw
当の本人自身、基本的に権力志向だ。
つまり、「スノッブ」、「俗物」。
俗物であるからには、俗世間の価値観に違和感なんか なくて、
それどころか、いたって従順なんだよw本来はね。
自分自身が、一般的、いちおう世間並み、という線上に乗っかってるのか否かにも、異様に敏感だから、
乗ってられないにせよ、ひらきなおって、敢えて乗っからないにせよ、
そういうところで、やけに、気にして拘ることじたいが、もう、じゅうぶんに俗物なのよ(嗤)
それを、
あたかも「反逆児」気取りで、何やら「カルチャー」で御座います、ってもねえ、本性が見えてます、っつうの(嗤)
そういう点では、いわゆる「体育会系」てやつとも殊のほか共通してると言うか、酷似してると言うか、根っこが同じ性質みたいよねw
「今年『オリンピック』をゴリ押し開催してくださった おかげさまで、自分はメダルも取れましたので、まことに、まことに、ありがとうごぜえますだ」
かたじけなさに むせび泣いて、巨大権力への恩に報いることを誓う、、、そりゃ、「国威発揚」に利用し易いというもんだ。
おっとっとwこれ以上は?かなww
どや?
私のほうが、よっぽど「露悪」やろ?(爆)
どうせなら、このくらいツッコめやwww
とにかくさ、
自分なんかでも確実に勝てるわと思える、立場が弱い者を つかまえて、イジメや虐待や暴行するよりもさ、
自分よりも強そうな者、勝てそうにない権力で守られてる相手に「露悪」してみなよ、ね?(嗤)
できないよね(嗤(嗤)
弱い者には強く出る、
強い者には弱く出る。
これが、アンタがたの生きる道♪(爆)
んなもん、「カルチャー」なんて呼んでやらぬわ!!!(嗤(嗤)
ところで、
「残酷絵」「無惨絵」「血みどろ絵」とか呼ばれるジャンルが あります。
こんなのを、部屋に飾りたいと思う人は、さすがに、いないんじゃないかとは思うけれど、
でも、世のなかには、深く愛好する人々も いるわけで。
美術全般、特に絵画鑑賞が好きな私でも、このテのものは、お世辞にも好みでは ないので、積極的に鑑賞したくは ないけどw
何かの機会で、目にしたならば、しばし、ジッと見詰めてしまうかも しれないと言うか、実際、初めて目にしたときは、思わず、まじまじと見入っていた。それは、単に、一種の好奇心とか恐いもの見たさに近いもので、そういう気分を掻き立てられるようなものは、他に、描法も雰囲気も全く異なる外国の画家の作品にも存在する。
あるいは、
『フィレンツェ大学』付属博物館『ラ・スコーペラ』内の、通称『解体されたウェヌス』の解剖学模型、これには、一種の「美」、それも、グロテスクで ありつつ淫らさと、年若い乙女の姿が もたらす儚さをも同時に漂わせて、圧倒的「官能美」を感じさせられるほどで、初めて、画像を見たときは、少しく驚きつつも、やはり、じっと見詰めてしまったものだ。
ましてや、
「げへへ」と、ヨダレを垂らさんばかりに、うっとりと見詰める、と言うよりも「視姦」するかのような眼で凝視する向きは、特に男性に多いだろう。
なぜでしょう?w
この「サガ」の来るところは、何ゆえなのだろうか。