2021.07.29 (Thu)
『「魔の特異日」』の続き。
たしかに、私が生まれなかったとしたら、いちばん困ったであろうのは、両親。特に、母親。
やっぱり、父親も。
親父は、それこそ、自分の息子に殺されてもフシギじゃなかったから。
昨今、家庭内で親子間の殺人事件が目立つけど、あれって、うちの親父にとっても、まったく、他人事じゃなかった。
もっとも、
親らも、そして、きょうだいも、身内全体が、終生、自覚してなかったけどね。
だから、愚かさを飽きもせずに繰り返す。
それで よいのぢゃよw
それで よい(嗤)
この世の摂理は、ノーテンキな愚者ども無しには成り立たぬのぢゃからw
きょうも、でっかい石ころの上に しがみついて生きてますww
あくまで外の他人からは、幸せ そのものな生活を終生に わたって、送りきったような、完璧なまでに見える人の例なんて、世のなか、わりと多く あるようにも思えるし、
ましてや、そんな恵まれていた人が、実は、タチの悪いことを やらかしてきていたにも かかわらず、あいにくと、「天罰」が下ったなぁ!というふうには、とうてい、見えないまま、長い時が過ぎ去り、そのまま、幕が下りたように思える場合も多いだろう。
ただし、
人間の価値観、人間ならでは希求する切なる願いとは別物の、自然界の摂理は、知らん顔だね。
これこそ悲しくて哀しくて、とても憤らずに いられない、割り切れない思いを抱かずには いられない、世にも厳しく、残酷な摂理である。
さて、
「露悪趣味」も一つの「カルチャー」なんだか どうだか知らないけれど、
こないだ、うちのブログでも指摘しておいたように、
「陰で大っぴら」
という現実、実態は、とうの昔から あったわけで、
「生存本能」的なところから発するものや、社会全体としての規範心理、個々に おける心理、様々に かかわってくる。
ただ、
言わば「公然の秘密」というコトバに似て、社会の「表玄関」では、決して受け入れられては こなかったはずである代わりに、ちょっと裏口のほうへと まわれば、そこでは、、、ってこと。
その「裏口」では大っぴらに行なわれているとしても、「正面玄関」に出て来て大っぴらに やったら、そりゃ、たちまちバレて、なおもエスカレートしていけば、ついには公的な機関や各メディア・マスコミも動き出すわよね。最悪の場合、命にまで かかわるんだから。
やったという内容の真偽は さて置き、小山田さんのような人は、いちおう「有名人」の一人だから、今回のような、公的で大きな栄誉と見做される仕事を得たことで、まさかの過去の行いにまで、ビカーーーッと強烈な光が当たってしまったわけで、それまでのようには、なんとかウヤムヤと見逃してもらえる段階では済まなくなったという経緯のようだけれど、
これが、平凡な一般人の場合ならば、表沙汰になることも免れ、狼藉の かぎりを はたらいていた者は、少なくとも、世間並みの、人並みの人生を、曲がりなりにも送り、
かたや、被害を被っていた者は、ずっと引きずり続けて、とても「人並みの」とは言い難い生活に陥ったままだったりも する、それも現実の一面として あり得ることなのだ。
自分が されたことは断じて許せない、が、自分が したことは許容されるべき、
あるいは、あの植松 聖のように、公に称賛さえも されるべきだと思う、
しかし、さすがに、これは通らない。
私なんかは、
子どもが いる人なら、どう思うんだろ?
ってことが訝しくて、そこを真っ先に考えちゃうけど。
少しでも後ろめたさを自覚しているならば、以降の人生、心底から晴れやかな気持ちには ならないものだろうから、傍目には、りっぱな家庭を築いて、子どもにも恵まれ、と いうふうに見えても、
その、わが子らの顔を見るたび、
「健常児」では あろうとも、子どもが、あの当時の自分たちの年齢に さしかかってくる頃になれば、厭でも思い出すでしょうに。
そうじゃないのかしら。
むしろ、それこそ「自己投影」の心理から、
こんな自分の子なんだから、信用できないと、必要以上に疑って、限度を越した「躾」で縛りつけようとするケースも あるように思う。
自分の やったことを、自分側が されたら、どう思うのか。どう行動するのか。
もし、
大して悪いことじゃないだろと言いたいのならば、
自分も、同じことを されたときに、
大したことじゃないね、と軽やかに言ってのけられるのか。
往々にして、そうは ならないみたいよね。
むしろ、真逆の事態を招くことのほうが多いような感じだ。
うちの母親みたいに、弱い者イジメしてる自覚は なくても(眼を逸らしてるだけだが)、
「障害は恥ずかしいこと」
という感覚を捨てられない。
「人並み」でないのは「弱み」だ、
だから、そこを徹底的に集中して攻撃する、される。
「弱さ」そのもの、と思ってるから。
そもそも、他者を苛めぬいたり、苦しめて楽しむシュミに走るなんて、これも、過去エントリーで指摘してきたように、生まれつきの場合も あるのだろうか、ある面で「被害意識」にピリピリ敏感な性質だけあって、可愛い自分に、損だけは させたくないから、決して、ボ~ッとは してないねw
つまり、抜け目なく、アタマがヘンに よく回っとるでしょww
対して、
うかうかと被害者になってしまう側は、多くは、だいたいが、苛められてるんだ、と気づくことからして、遅い。往々にして遅過ぎる。
おっとり、ボ~としてるタイプが多いからなのだろうか?
この、おっとり、ぼ~っとしておれるというのが また、虐め側にとっては、ある種のネタミやイライラを誘発し、刺激するのであろうかと。
なにボケーッと隙だらけのままノンビリ構えてやがんだよぅ!?
こっちは、なんだかピリピリの連続で、気が抜けない毎日だというのに!
おまえはエエのう、気楽じゃのう!!
てなところだろうか?
ある面では、親が子に対して抱くことも ありそうな感情かもね。
で、
さすがの苛められ側も また、こういう状態が重なってくると、こっちも疑心暗鬼と恐怖でピリピリし始める。
しまいには、なんだか「似た者どうし」みたいになっちゃう。
自分側が悪いことしたのを、認めたくないから、あれは遊びだったんだ、と誤魔化しを言いたい気持ちは、自分が最も可愛い心理から出るものだし、つまり「自己愛」、これは、もちろん、やられた側にも最低限あるのだから、
「ほんとは、自分たち、仲が良かったよね~」っと言いたい心理は、後ろめたさやバツの悪さ、責任を負いたくない、また、抵抗力の乏しさや惨めさから逃れたくて、「加害者」「被害者」双方ともに共通したセリフに なりがちな場合も あろう。
互いに、それぞれの心理的理由から、「大したことじゃなかったんだ」と いうことにしたいのである。
「レイプ」被害者が、「セックス依存症」になってしまうケースとも通底しているものが あると思う。
それと、これも先日のエントリーで指摘済みだけど、「迎合性」ってこと。
いわゆるイジメ――それが、虐待や暴行に値するほどのレベルなのに、
「自己愛性人格障害」の特徴で、
他者を「ダブル バインド」状態に置く。(アベスガ政府みたいな?w)
「飴と鞭」の如く、巧みにコントロールする。(アベスガ政府みたい??w)
そういった傾向が、特徴的に秀でているということから、
そんな相手の「餌食」になってしまうのも、やっぱり、それに適した「相性」が あるのかしらんけど、
どうしても何らかの事情や経緯で、逆らえないもんだから、かえって積極的に、「迎合」的態度になりがちだったりする。
これが、ふつうなら、おかしいぞ?と途中で気づいて、激怒するなりできるくらいであれば、さっさと見限って、二度と かかわるまい、とするはずだし、ならば、
ぐずぐずと「依存」だの「迎合」だのといった状態に陥っていく必要も ないのだ。
でも、私だったら、実際には「盛った話」であったとしても、そのなかで、もっぱら自分が酷くイジメられ、ほとんど暴行や虐待に近いことを されてた、という内容の「被害者」側にされてただけでも腹を立てるだろうし、
そのうえ、どんなにイジメられても、慕っていて、手紙や年賀状を遣り取りしてた、なんて話まで追加されてたら、ほんとうに、
ザケんじゃねえー!!と、心底から立腹しただろうと思う。
根は単純なもんでねw
私自身、似たケースも経験してるが、
ともだち、と思っている相手なら尚更のことで、それがイジメられていたら、やっぱり止めに入る。
最初は、敢えてシタテにシタテに出ることも辞さず、極力、穏かな雰囲気の態度で説明しながら庇うし
(大概は、これで おさまる。けっこう上手いのよ私w母親を暴行する親父らに鍛えられてるからww)、
それでも、どうしても止まなかったら、ほんとに激怒するだろうし、即刻、相応の手段(=上の立場に居る人に訴えるとか、学校だったら、まずは担任に言うとか)を とると思う。
そういうことって、敢えて しないのですかね?皆さん。
【続く】