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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2024.10.20 (Sun)

それは、『民主主義』。

 

近く決戦となる『アメリカ』大統領選挙。

これで、トランプが破れたということになったら、それは それで、前回のときの忌まわしい暴動が再現される恐れが あると、バイデン大統領が懸念を示していたけれども、

一度は実際に経験したことなのだから、最悪の事態を未然に防止する手立てが不可能なわけでもないはず。

私が、そのことよりも、もっと危惧しなければならないと思っているのは、

トランプが返り咲いた場合、日本でも、安倍氏が返り咲いたときも同様だったように、それ以上にも、もっと大っぴらに、不正・不公正を横行させ、蔓延させるという事態だ。

 

それを示唆する発言を、トランプは憚りもせず公言してるよね。

これまでにも、はなはだしい暴言を吐くだけでなく、実行してきているのだから、次の政権では やらない保障も保証も、あるわけがない。

ということは、

辛うじて一過性で収められる暴動の類よりも、もっと長く不正が続き、事後も影響が残り続ける恐れが高いのは、まさに、トランプ返り咲きの事態では ないのだろうか。

 

先日の当ブログ エントリーでも指摘してある、

その間、アメリカの司法界、法の精神が徹底的にメチャクチャにされてしまわないか、という懸念。
一度でも崩してしまうと、再建するのは簡単とは いかない。

 

すでに、公私混同を平気でやる典型だということもハッキリしているのが、トランプのようなタイプだ。

古今東西に、このモデルは尽きない。

 

アメリカ国民も、特に、そもそもが、個々の生活のレベル アップを主な目的に移民してきた層が多いだけに、彼らの関心は、どうしても、自分たちの目先の暮らしやすさに向くのも理解できるが、そのために、自分たちの あとから やって来た、同様の移民を憎悪し、排斥するためには、根本的な視点、それは「民主主義」や法の精神を損なうことすらも辞さず、という視野狭窄にまで堕ちてしまっているように見える。

 

まさしく、「民主主義」の欠陥が、いま、こうして、「大将アメリカ」自身の足もとで曝け出されている。

 

 

次は、恒例の如くな、「ヤフゴミん」どもの愚物っぷりを披露。

 

たぶん、このブログに来て、なまじに読んでみて、それから、「居着き」の一つである「ヤフゴミ捨て場」での投稿に利用しようと、へったくそな応用を やってみせんとする連中が いるのは、とうに察していたことだが、

今回は、ひときわ、あの「おカルト連」の、それも「■▼んこ」ババさまの特徴まる出しな癖が出ていたので、

「まーた やっとるわ

と思いつつ、目を走らせてみたら、案の定で、さっそく、「うーん」ボタンの連打を浴びていた ようす()

と言うのも、

いつぞや、性格の心理的パターン分類の一端として、たとえば、「人を見たらドロボウと思え」じゃないけれど、とくに理由は ないのに、初対面や第一印象の段階のうちから早々と、誰に対しても、悪いこと、邪まなことを腹に企んでいるに違いない、といった類の疑いを、基本的には、ほぼ自動的に近く持ってしまうのは、自分自身が常に、そのような邪悪な企みを潜めているからこそで、

逆に、

ごく良心的な、善良な性質の人は、初対面のうちから、相手を悪いようには思えないものだ、と、
おおよそ、そういうふうなことを述べたかと思うが、

だからというので、

くだんの、「おカルト連」のババさまパターンの「ヤフゴミん」は、あさはかにも、

「相手を悪い人物と思えるのは、自分が悪人だから、逆に、相手を良い人だと思うなら、自分自身が善人ということなのだ」云々、

などというふうに、単純至極にも決めつけたことを並べ立てていたので、

ほんとうに、何か足りないんだろうなあ、単に、読解力だけの問題でも ないんだろうなと、かねてから思っては いたものの、

毎度のパターンで、あさはかさとカン違いと、致命的な読解力のなさっぷりで、腹が立つとか不快とかは通り越し、哀れを もよおすほど呆れるしかなかった。

 

こ゛ら!!emoji「おカルト連」の「●▲んこババ」そっくりなやつ。

私はね、とくに理由も なく、何の切っ掛けも ないのに、にも かかわらず、良くないイメージとか、悪人に違いないという印象を、相手に対して持たずに おれないのは、自分自身が、そのようなタイプの者だからだ、というふうなことは述べただろうけど、

あくまでも、何らかの理由とか切っ掛け、裏付けなども ないうちからと、そのような場合を指して言ったんだ。

そうして、

ふつうに善人タイプの場合には、もちろん、誰に対しても、ほぼ自動的に、まあ「善人」なのだろうと思ってしまうのは、概ね、本人自身が そうだからなのだが、

その印象は間違った思い込みだったのだと気づくには、やはり、何かの切っ掛けや裏付けの類が あって、そこで やっと、気が つくわけよ。

 

つまりは、

とくに理由も裏付けもないのに、そうに違いない!という感覚で、最初から自動的に受けとめてしまうのは、いずれにしても、「自己投影(←これって普遍的キーワードですよ!)ということになるわけだが、

ふつうに善良な人なら、お人よしな思い込みを改めるのには、何かの切っ掛けや裏付けが あって、そこで初めて変更に至れるわけだが、

その点、

自分自身が、隙あらば陥れてやろうと企む邪まな性質だと、もちろん、同じく自己投影するだけでなく、何の切っ掛けが あろうとも、相手に対する悪いイメージを崩さないまま、裏付けが あろうが なかろうが、どこまでも疑い続けて やまない、そういう根本的な違いが あるようだ、ってことを言ったんだよ。

 

また言ってやろうか?もっと剥きつけてほしいのか?

相変わらず、ノータリンマゾヒストが!!(大嗤)

 

 

もう一つの例は、『ガザ』の問題についてのコメントだ。

『ガザ』と言えば、つい最近、『ハマス』のトップを暗殺したと、『イスラエル』側から公表が あったということで、たぶん、うちの以前のエントリーで、

「おえらいオッサンたちが、自分たちは安全な場所に隠れ、ノンキそうに笑ったり、床に這いつくばって、彼らの神に祈ったりしている」

そんな姿に、なんとも言えない反感と嫌悪感を感じたということを述べたかと思うのだけれど、

今回、そのトップを暗殺した前後の光景らしき、「ドローン」による撮影場面を、私も、ちょっと覗いてみて、
あれは、どうやら、右手首の先が吹っ飛ばされていたように見えたけれど、それでも、ドローンに向かって、何か投げつけていたでしょ。

 

私も勿論だけど、そこのアナタも、自分自身の手や足が吹っ飛ばされ、もがれてる状態で、なおも、何かしら少しでも投げつけてやろう、という気力が出せますかね?

凄まじいよね。emoji

 

破壊された建物の崩れかけた部屋のなかで、今しがた、おのが片手を吹っ飛ばされた男、組織のトップに君臨していた男が、なぜか一人きりで、椅子に腰掛けていて、ほとんど残っていない力を振り絞り、最後の最後まで、何かを投げつけようとした。

当然、どこに かすりもせず、力よわく落ちていっただけだったが。

 

ほんとうに、なんとも言えず凄まじい光景だった。

 

ああ、いやだ。。。

そりゃあ、敵と言わず味方と言わず、幼い子どもたちまでが、むざむざと命を奪われ続ける残酷な日々のなかで、仲間と談笑し合っていたのだもの、ついに、おのれの手足の一部が吹っ飛ばされたからとて、泣きも呻きも する資格は なかろうが。。。

 

見ていて、同時に、『ロシア』のナワリヌイ氏の、亡くなる少し前の姿を思い出していた。

一度は命を落としかけ、辛うじて回復したら、亡命するのかなと思いきや、またぞろ、危険を承知で、逃げも隠れもせずに、自国へ戻り、案の定、囚われの身に戻った。

そこからは、もう ほんとうに、痩せて痩せて、やつれきった その顔に、なおも不敵な笑みを浮かべ、隣りの同志らしき男性の耳もとへ、何やら話しかけていた姿。

私は、ナワリヌイ氏の政治的思想信条などについて、詳しいことまでは知らないけれど、とにかく、「不撓不屈」というのは、ああいう姿なんだろうなと思ったことだ。

 

いったい、なんだからというので、こんなにも おぞましい世界なんだろう。。。emoji

 

宗教って、ほぼ例外なく、男が主宰し、権力を持っているし、当然、様々な争いの原因で あり続けてきた。

やっぱり、くそマッチョ男どもには、完滅してもらいたい!

 

ちなみに、

ヤフゴミんのなかには、

「日本のマスコミは、イスラエルの肩ばかり持っていて、パレスチナ側の実態を一切、報道しない」

と言い募る者も散見するが、これなんかも、
「自分の見たいものしか見てない」
とでもいうか、自分が「ウヨ」だから、「中道」でも「極左」に見えてしまうのと同様の現象なのだろうかw

ただし、何十年も前に、市井の主婦だった うちの母親でさえも、
「イスラエルが悪い!」
と言い切っていたものだよ。
しかも、実家が購読していた新聞は、『読売』一筋だったよw

 

再び、ことわっておくのだけれど、

『イスラエル』と『パレスチナ』の争いについては、私個人は、どちらにも、くみしないスタンス。

もともと、疎かったものの、聞けば聞くほど、ややこし過ぎ。ぶっちゃけ、それこそ「似た者どうし」「どっちも どっち」と言われても仕方ないほどの執着と膠着には、ほとほと呆れるくらいだ。

正直なところ、このような気質の人たちとは、国民としても、個人としても、深入りしたくない。

この粘着気質だからこそ、ああいう宗教なのかなとも思う。

 

あまりにも遅すぎたには違いないが、これ以上、続けていっても、ひたすら憎悪と怨恨の積み重ねしか残らないのだから、少なくとも自分たちの子どもが かわいそうだと思う気持ちが あるのなら、おとなの責任として、手を打つべきはサッサと打って決着すべき。その手伝いなら、各国も前向きに協力を惜しまないはずだろうに。

万物は流転す、だよ。

さもなくば、気が済むまで、阿鼻叫喚の、この世の地獄図絵を繰り返すしかなかろう。

いいかげん、むなしくないのかな。。。

 

【続く】

 

 

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