2024.10.23 (Wed)
まずは、『AI』の問題から まいりましょう。
どのような「文明の利器」も、きちんと良識、先見の明をもって扱うので あれば、どシロウトが、プロと見紛う出来映えを披露できるのは結構なことなのだろうけれど、
常に変わらぬ問題は、悪用する者たちだ。
それと、深い考えも なしに、ごく気軽に、あっけらかんと、プロの おとな同様に扱えてしまう子どもたちね。
この問題については、『AI』以前に、もう それはインターネットの開始と同時に始まっていて、決め手になる解決策も 未だし、だもんね。
けど、まあ、私が若い頃から、合成写真や合成映像そのものの類は、なんぼでも存在していたので、その延長線上に過ぎないとも言えよう。
たとえば、私が高校生の時分に、帰途の駅で電車の到着を待っていたら、反対側のホーム上から、制服姿の私に向けて、いやに立派なカメラを構えてる男の人が いるのに気づいて、急いで、場所を移動したことが あった。焦っている私と、たまたま遭遇したクラスメートが、「なにを慌ててるん?どないしたん?」と聞くので、その理由を話すとともに、
「首から上だけ すげ替えて、いやらしい、ヘンな写真に仕立てるつもりかもしれん!」
という懸念を述べたことも あった。友人は苦笑してたけど。
ただ、
その頃は、何らかの情報系などの分野で仕事している専門職くらいしか、そのようなものを巧妙に作成することは、時代の最先端の機器を、せいいっぱいフンパツして購入したとしても、業界人でもない一般人には やはり、まだまだ、プロのように つくれるものでは なかった。
なんせ、ふつーの一般家庭向けカメラですら、「私にも写せます!
」っつう、テレビ コマーシャルのキャッチ フレーズが、女性をバカにしてる!!というので、非難轟々だった時代。
振り返ると、だいたい、1980年代頃からだったかなあ、テレビを見ていても、映像の鮮明さ、奥行き感が、それまでとはハッキリ違うなと分かるようになってきたのは。
映像技術全般が、そうだものね。
こんにちでは、そのへんのドしろうとが手軽に撮影したものでも、「プロ跣足」あたりまえなデキで、ほんとうに、プロは、もはや、どこで差別化するのかなと思うくらい、機器に おまかせできる時代になってきた。
さて、
国際的にも『韓国』がダントツで、10代の若い世代を中心に、フェイク画像(=ディープ フェイク ポルノ)の蔓延が社会問題になっているそうなのだが、
持って生まれた本来の顔面や容姿そのものをフェイクにするようなもんだから?もしかして、「整形大国」であることと根底で繋がってるかもねw
近年は、キャプションなどを読まなくても、「あ、これは韓国の芸能グループだな」と、ひと目で分かるくらい、ほとんど全員が、同じ顔を並べている感じになってきたしwちょっと怖いものが あるなww
ま、だいぶ下がってとは言えw同じ問題で堂々の第3位は、日本ですってさww
ルーツを同じゅうするだけに、どスケベイが多いことでも共通してんのかね、この両国www
さて置き、
これは「フェイク」だなと見破るのが困難という問題だけでは ない、
じつは、最もタチが悪い問題が、他に ある。
と言うのは、
「見たいものしか見ない」ということ。
この傾向は、ある種の性格とか、また、いわゆるネトウヨとか、何によらず「極」の付くような偏った性向の者に顕著だと見受けているのだが、
こういう手合いになると、騙されて云々ということよりも、
むしろ、「フェイク」だと知れていてさえも、
「もう一つの真実だー!!」
なーんてことを言ってのける(嗤)
この域に入ると、心理的な問題になってくるわけよ。
つまるところ、
ある種の傾向が、病的なまでに つよい者にとって、おのれにとっては「心地良い」ものでさえ あれば、あきらかにフェイクだろうが何だろうが、もう、ひたすら大満足なのである。
たとえば、
好きなのに、さっぱり片思いの、振り向いてくれそうになかった相手が、なぜか、突然、迫ってきて、抱きしめられ、戸惑い、嬉しハズカシな自分自身と、大好きな相手の姿。
見るなり蕁麻疹が噴き出しそうなほど大キライな、蛇蝎の如くに憎悪して やまぬ、不倶戴天の敵が、「正義の味方」と言うよりも、自分の味方である素晴らしいヒーローに、ぼこぼこのフルボッコに やられている、痛快この上ない光景。
いずれも、現実からは ほど遠く、ありえないほど荒唐無稽な場面でも、
それはフェイクなのだと分かっていても、うっとりと浸れるのであるw
こうなると、
フェイクだから どーした?
フェイクだから、なに?
という域に入る、というわけさ。
トランプ陣営も、まさに「息を吐くように嘘を つく」と同時に、フェイク画像を矢継ぎ早に繰り出してくるのは、とっくに、世界じゅうで知られている やりくちだけど、
まあ、この先は、否応なく憚りなく整形、いや「フェイクあったりまえ」に なっていくのであれば、それがフェイクか否か明確に表示される何らかの警告装置を、早急に開発し、その警告表示あるいは公的認証の類が伴っていないかぎりは、とりあえず、ぜーんぶフェイクである!というふうに、有無を言わせず判断されても 致しかたない、とでもするよう、国際的社会的常識ルールとして定着させていくしか ないのでは なかろうか。
でも、結局はイタチごっこに なるのだろうけどな。。。少なくとも当面は。
しかしながら、
フェイク画像のようなことに関する諸問題は、いまに始まったことでは ないものね。
デマに踊らされない冷静さ慎重さ、観察眼、思考力の必要性は、これからも同じことだ。
昔から、テレビ ドラマの役柄で、悪役を演じている俳優は、それが上手ければ上手いほど、私生活でも悪人に違いないと、大のオトナですら、思い込むことが多いというのだから。
問題は、やはり、子どもたちだなあ。
いっそのこと、とにかく一切、近づけないことにするのは とうてい無理であろうから、経験ストックの乏しさを、どこかで補わなければ ならない。おとなの責任だわね。
【続く】