忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[688]  [687]  [686]  [685]  [684]  [683]  [682]  [681]  [680]  [679]  [678
Updated   
2015.10.23 (Fri)
三木 清の言葉

の続き。

 
三木 清という人が、このような人が獄死したという歴史的現実を思うと、暗澹とした気持ちに襲われる。

過去の歴史に、こうした事実が、どれほど多く起こったことであろうか。

 

*――*――*――*――*――*――*――*――*――*

 

仮説的に考えるということは論理的に考えるということと単純に同じではない。
 仮説は ある意味で論理よりも根源的であり、論理は むしろ そこから出てくる
 論理そのものが一つの仮説であるということさえもできるであろう。
 仮説は自己自身から論理を作り出す力をさえ持っている
 論理よりも不確実なものから論理が出てくるのである。
 論理も仮説を作り出すものと考えられる限り、
 それ自身仮説的なものと考えられねばならぬ

 

すべて確実なものは不確実なものから出てくるのであって、
 その逆でないということは、深く考えるべきことである。

 つまり確実なものは与えられたものでなくて形成されるものであり、
 仮説はこの形成的な力である

認識は模倣でなくて形成である
 
精神は芸術家であり、鏡ではない

 

感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬がある。
 むしろその逆がいっそう真理に近い。
 感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、
 知性こそ主観的なもの、人格的なものである。
 真に主観的な感情は知性的である
 孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ

――streber――

 

PR