2015.10.23 (Fri)
『姜尚中が見た“現代の悪”の正体「生まれて初めて悪人は実際に存在すると確信する経験をした」』
週プレNEWS 10月13日(火)6時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151013-00054814-playboyz-soci
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姜 尚中さんへ。
そして、
アヘぞうり、ならびに、右や左の政治屋センセイがた江
「われわれの生活は期待の上に成り立っている」
「期待は他人の行為を拘束する魔術的な力を持っている。
われわれの行為は絶えずその呪縛の元にある。
道徳の拘束力もそこに基礎を持っている」
「全ての人間が利己的であるということを前提にした社会契約説は、
想像力のない合理主義の産物である。
社会の基礎は契約でなく期待である。
社会は期待の魔術的な拘束力の上に建てられた建物である」
「政治の過剰は政治的思考の充実を示すものでなく、反対に政治の科学性の没却、政治哲学の貧困を語るものである」
「真の懐疑家は論理を追求する。しかるに独断家は全く論説しないか、ただ形式的に論説するのみである」
「独断家は甚だ しばしば敗北主義者、知性の敗北主義者である。彼は外見に現はれるほど決して強くはない」
「ギブ・アンド・テイクの原則を、期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である」
「利己主義者は自分では充分合理的な人間であると思っている。
そのことを彼は公言もするし、誇りにさえもしている。
彼は、彼の理知の限界が想像力の欠乏にあることを理解しないのである」
「どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。
心の秩序を度外視してどのように外面の秩序を整えたにしても空疎である」
「秩序は生命あらしめる原理である。
そこにはつねに温かさがなければならぬ。
ひとは温かさによって生命の存在を感知する」
「また秩序は充実させるものでなければならぬ。
単に切り捨てたり取り締まったりするだけで秩序が出来るものではない。
虚無は明らかに秩序とは反対のものである」
「外的秩序は強制によっても作ることが出来る。
しかし心の秩序はそうではない」
「しかし秩序は常に経済的なものである。
最少の費用で最大の効果を上げると言う経済の原則は秩序の原則でもある」
「最少の費用で最大の効果を挙げるという経済の法則が
同時に心の秩序の法則でもあるということは、
この経済の法則が実は美学の法則でもあるからである」
「生命とは虚無を掻き集める力である。
虚無を掻き集めて作られたものは虚無ではない」
「人格とは秩序である。自由というものも秩序である。
…かようなことが理解されねばならぬ。そしてそれが理解されるとき、
主観主義は不十分となり、
いくらか客観的なものを認めなければならなくなるだろう」
「近代の主観主義は秩序の思想の喪失によって虚無主義に陥った。
いわゆる無の哲学も、秩序の思想、特にまた価値体系の設定なしには、
その絶対主義の虚無主義と同じになる危険が大きい」
「近代デモクラシーは内面的にはいわゆる価値の多神論から無神論に、
すなわち虚無主義に落ちてゆく危険があった。
これを最も深く理解したのがニーチェであった。
そしてかような虚無主義、内面的なアナーキーこそ独裁政治の地盤である」
「もし独裁を望まないならば、虚無主義を克服して内から立ち直らなければならない。
しかるに今日わが国の多くのインテリゲンチャは独裁を極端に嫌いながら
自分自身はどうしてもニヒリズムから脱出することが出来ないのである」
「現代の混乱といわれるものにおいて、あらゆるものが混合しつつある。
対立するものが総合されてゆくというよりも むしろ
対立するものが混合されていくいうのが実際に近い。
この混合から新しい形が出てくるであろう」
「混合の弁証法は虚無からの形成でなければならぬ。
カオスからコスモスへの生成を説いた古代人の哲学には深い真理が含まれている。
重要なのはその意味をどこまでも主体的に把握することである」
【続く】